段ボール本丸 / 幕間二【風呂】

 

 

 外で鶯が鳴いている。三月に入り、冬間の厳しい寒さも和らいできた。それでも朝夕の冷え込みはまだ続いていて、縁側で寛ぐには些か早い。
 そういった事情で近侍部屋の炬燵は今日も稼働していた。決して仕舞うのが面倒くさいわけではない。

「邪魔するぜえ、長谷部!」

 断ると同時に障子が開け放たれる。遠慮も何もあったものではないが、窘めたところで相手が相手だ。効果はたかが知れている。

「本当に邪魔する気なら帰れ」
「こたつの三分の一を占拠しているうちの若いもんと四つ足のは」
「大倶利伽羅は静かだし、猫はこたつで丸くなってるからノーカンだ」

 寡黙な竜の刀は読書に夢中で、鶴の鳴き声など全く気にも留めていない。猫の方は言わずもがな、ヒトガタの事情などお構いなしに、夢の世界を揺蕩っている。
 こうして先客である一口と一匹は、ほとんど部屋の景趣と化していた。喋らないと死んでしまうような鶴丸某には到底できない芸当である。

「まあいい。かなり重要な事案を持ってきたんだ、是非とも近侍殿の意見を仰ぎたい」
 芝居がかった咳を一つし、来訪者は目を細めた。軽薄な雰囲気が一掃され、伊達に共通の黄金色が鈍く光る。いつぞやの戦場で見せた、武器らしい獰猛な顔を五条の刀は覗かせていた。

「光坊って風呂入るときにも眼帯外さないんだが、あれ絶対蒸れるよな」
「帰れ」
 二度目の戦力外通告である。鶴丸国永はやはり鶴丸国永でしかなかった。

「いや、だってなあ!? 気になるだろ! 湯に浸からなくたって、髪を洗ってる時点でもうアウトじゃないか! 絶対眼帯の隙間からシャンプーの泡が入りこむよな!」
「そこまでひとのシャワーシーンをまじまじと観察するぐらいなら、当人に直接言え」
「そりゃあ言ったさ。濃厚な厨二設定が飛び出してくることまで覚悟の上で言及したとも」
「で、結果は」
「誰にも見せちゃいけない気がするから、悪いけど内緒だよ。だそうだ」
 鶴丸の声真似はともかく、口調はいかにも燭台切光忠のものである。
 しかし、あの太刀にしては歯切れが悪いというか、断る理由が妙に曖昧だった。普段の明快な受け答えを思うと俄には信じがたい。

「なあなあ、伽羅坊もここじゃあ古参の刀だろう? 光坊が眼帯外した姿を見たことはないか?」
「無い」
 悩む余地もなく大倶利伽羅は否と答えた。燭台切が顕現してから、任務を共にすることも多い同郷の刀すらその詳細は知らないという。

「む、じゃあ最後の砦だな。長谷部は」
「何で俺が最後なんだ。知るわけないだろう」
「なに光坊は閨の中でも眼帯を外さないのか。徹底してるな」
「事実を捏造するな。俺とあいつはそういう仲じゃない」

 互いに親友だと思っているし、好意も抱いている。燭台切からは、そういった意味で告白もされた。ただ俺の方は未だに友情と慕情との違いが掴めない。
 一度は唇も合わせたが、答えは出ないまま保留となっている。待たせている自覚は有るものの、こればっかりは適当に済ませていいことではないだろう。

「あの光坊に二ヶ月も口説かれて落ちないとは頑固だなあ。そろそろデキ婚の報告を聞く頃だと思ってたぜ」
「知ってるか鶴丸、オス同士では孕めない」
「だが真面目な話、気にならないか長谷部」
「何がだ」
「光坊の眼帯の下さ。古い知り合いにも好いた相手にも見せないんだ。そりゃあ、途轍もない驚きが隠されてると思うだろう!」

 普段なら、この手の誘導尋問など軽く流していたことだろう。
 そもそも、ひとの秘密を探るなんて悪趣味極まりない。親しき仲にも礼儀あり。それが戦場で背中を預ける仲間なら尚更で、相手の信頼を損なうような真似は避けるべきだ。
 文句はいくらでも浮かぶのに、俺の舌は一向に反論を紡ごうとしない。

 ――認めよう。正直なところ、少し、いや結構、かなり気になる。

「風呂でも外さない念の入れようだぞ。まさか強硬手段に訴えるつもりか」
「まさか、手入れ部屋オチじゃあ驚きがない。押して駄目なら引いてみろってやつさ」

 鶴丸が自らのこめかみを人差し指で突く。
 正面突破が難しければ計略を立てよ。本丸きっての食わせ者は、声を潜めて身内を陥れる奸計を口にした。

「おーっと、ふたりともすまない!」
 謝罪とほぼ同時に中空を黒い飛沫が舞う。程なくして廊下に筆や半紙が散らばり、俺と燭台切は仲良く墨の香りに包まれた。

「鶴丸、廊下は走るなとあれほど」
「すまんすまん。ワックス塗り立ての滑り具合が楽しくてついな」
「好奇心にステータス振りすぎだよ。短刀くんたちが真似するといけないし、気をつけてね」
 そう言って鶴丸を窘める燭台切を見ていると、いったいどちらが年長者なのか判らなくなる。実際やっていることは悪ガキと変わらない。しかも事故を装った故意犯なのだから余計質が悪かった。もっとも今回は俺も同罪である。
 ふと粗忽な振る舞いを詫びる金色と目が合う。後は任せた。共犯者の声なき声を聞き届け、ひっそり頷く。

「全く、ちゃんと片付けておけよ。俺たちは風呂に入ってくる」
 呆れた声を作り、燭台切の背をやんわり叩く。
 容器の半分が溢れた墨の被害は甚大だった。その証拠に、隣に立つ男の毛先からは、ぬばたまの雫がぽつりぽつりと垂れている。格好に拘る伊達男としては一刻も早く髪や服を洗ってしまいたいはずだ。

「あれ長谷部くん共用の方使うのかい? 僕は部屋のシャワーで済ませるつもりだけど」
「午前は馬当番だったんだ。どうせだから汗も流してしまいたい」

 早くも計画が破綻するようなことを言い出すな! 三月だがまだ肌寒いだろう!? どうせだから温かくて広々とした浴槽にゆったり浸かりたいだろ!?

「そうかい、ゆっくりしておいで。じゃあ僕は部屋のシャワーを」
「まだシャワーだけだと寒いだろう。お前も一っ風呂浴びてくればいいじゃないか」

 燭台切の身を案ずる台詞を吐いてはいるが、内心は作戦遂行に必死である。

「お風呂は魅力的だけど、今は少し差し障りがあるっていうか……」
「差し障り? 何だそれは」
「そこは、あれだよ、察してくれ」
「日常会話にエスパー適性を求められてたまるか。言え、俺と裸の付き合いを拒む理由は何だ」

 はっきりとしない物言いに苛立ちが募る。互いに遠慮はしないと誓い合った仲だ。俺に肌を見せたくないなら、その旨を明らかにして断れば良い。それで作戦が失敗しようと、燭台切が本心から拒むというなら致し方ないだろう。

「いくら親しき間柄であっても急所を晒すのは憚られる。それは解る。それが理由だとすれば俺には何も言えない。だがな、一度誘いを断られたくらいで、友との付き合い方を変えるような男ではないぞ。そこだけは誤解す」
「いやいや誤解も誤解。たかがお風呂でそんな深刻に捉えられても困るから。同じ部隊の刀とも一緒に入ったこと有るから。僕が心配してるのは自分より寧ろ君の方だから」
「は? お前相手に警戒する必要こそ皆無なんだが?」
「未だ嘗てない理不尽さを噛みしめている」
「全幅の信頼を寄せているというのに何が不満なんだ」
 燭台切はこれ見よがしに大きな溜息をつく。こいつ解ってないな、という顔がまた腹立たしい。

「その全幅の信頼を寄せている男は、君をいかがわしい目で見ている。裸なんて見せられた日には尚更だ。はい、この説明で満足かい」
 無知の恥知らず野郎は俺でした、申し訳ございません。
 空想上の自分が四十五度の角度で勢いよく謝罪を決める。しかし実際には身動ぎはおろか、瞬きすらできずに固まっていた。

「長谷部くんさあ、僕が君のこと好きだってこと忘れてただろう」
「いや、別にそんな、その今回はうっかりしてただけで」
「うっかりで舌絡めたことすら記憶の彼方に飛ばさないでくれよ」
「昼間から恥ずかしいことを思い出させるな」
「僕だって昼間から精神修行を強いられるのはごめんだよ」

 顔を合わせづらくなって床に視線を落とす。磨きたての木肌に二、三の黒い斑点ができていた。その汚れを横から伸びてきた雑巾が拭い去る。

「イチャつくなら服を脱いでからの方が良いと思うぞ、色んな意味で」

 生暖かい目の鶴丸が道具を片付け始める。既に廊下はすっかり清められて、元の装いを取り戻していた。今となっては俺たちが一番墨に塗れている。
 会話を聞かれていた気まずさも手伝って、ふたりで逃げるようにその場を後にした。

 共用の脱衣場には備えつけの浴衣とタオルが置かれている。乾いた洗濯物もここで仕分けされるため、入浴するだけなら準備も要らない。
 燭台切はロッカーから洗髪剤やら何やら取り出している。シャンプーの銘柄まで拘る親友と違い、俺はただ脱ぐだけで良かった。改めて汚れた服を眺めると、作戦のためとはいえ派手に墨が飛び散っている。洗剤で落ちるかどうか些か不安になってきた。

「これちゃんと落ちるんだろうな? どう思う燭台切」
 ジャージを持ったまま隣に立つ男に話しかける。ちょうど上着を脱いだ親友は、こちらを見るなり表情を無くした。
 なまじ造形が整っているせいか、真顔の燭台切は正直なところ威圧感が有って近寄りがたい。平時であれば美しい一つきりの黄金色も、これに射貫かれると喉元を獣に晒している心地になる。
 問題はどうして俺がこいつに睨まれなくてはいけないのか、ということだった。

「僕やっぱり部屋でシャワーを」
「ここまで来てそうはいくか」
 踵を返そうとする燭台切の腕を捉える。俺の体重ぐらいでは力自慢のこいつを止めるのは難しいが、まさか上裸の仲間を引き摺って部屋に帰るわけにはいくまい。

「何でそんなに頑ななんだよ……まさか、いかがわしい目で見られたいってわけじゃないよね? 見るよ? 舐め回すようにじろじろ見るよ? いいの?」
「はっ、毎年の展示で見られるのには慣れている。どうだ腹は括ったぞ、お前も俺の前で一糸纏わぬ姿を晒すがいい」
「大丈夫? それ変質者の言い分じゃない?」
「何だったら俺が脱ぐのを手伝って」
「あーはいはい、脱ぎます。脱ぐから少し離れて良い子にしてようね」
 俺を引き剥がし、燭台切は淀みなく服を脱ぎ捨てていった。鍛え抜かれた身体が露わになり、その逞しさについ目を奪われる。綺麗に割れた腹筋、くびれた腰から腿にかけてを覆う厚い筋肉、どこもかしこも引き締まっていて、武人としておよそ理想的な体格をしていた。

「お前実は着痩せするタイプだったんだな」
「僕より長谷部くんの方がじろじろ見てくる……」
「ちょっと腹筋触っていいか? 先っちょだけ、先っちょだけでいいから、頼む」
「もうどこまで解って言ってるのか判らないな? どうぞ」
 許可を貰い、俺は意気揚々と目の前の肉体に触れた。硬い。身も詰まっていて、これが敵ならどんなにか切り甲斐を覚えたことだろう。さすがは太刀、長船派の祖、光忠が一振りだ。感動のあまり頻りに頷いていると、指を掴まれた。

「はい、もう閉店です。そろそろお風呂入って温まろうね」
 回り込んだ燭台切に背を押され、有無を言わさず外風呂へと連行される。さっきから童子扱いされてるのは何故だ、解せぬ。

 竹垣で切り取られた空を仰ぐ。広がる色彩は薄く、湯気の合間から覗いてみても天上の青はやはり淡いままだった。いかにも春らしい霞がかった空模様だが、水面で揺れる花びらは桜ではない。

「梅といえば、水戸の偕楽園が有名だな」
 指先で白の花弁を掬い上げる。冬場から長らく庭園を彩ってきたそれは、桜の蕾が膨らみつつある今も本丸をいじらしく飾り立てていた。
「ああ。あれは良いものだよ、いつか長谷部くんにも見せてあげたいな」
「そのときは案内を頼むぞ。あと展示されてるお前も見に行くからな」
「会いに来てくれるんだ?」
「当然だろう。それこそ舐め回すように見てやるからな、覚悟してろ」
「はは、それじゃあ格好良く決めないとね」

 互いに湯船に浸かり、四方山話に花を咲かせる。入るまでのいざこざは何だったのか、いざ岩肌に並んで背を預けてしまえば、まるで普段と変わりがない。
 気の置けない友人、傍にいて安心できる仲間。やはり燭台切の隣ほど居心地の良い場所は他になかった。
少なくとも俺はそう考えているが、燭台切の方はどうなのだろう。今こうして雑談している間も、その右目は眼帯に覆われたままだった。その格好こそが言外に全てを晒すつもりはないと物語っている。
 誰にだって隠したいことの一つや二つは有るだろう。俺に対してはいつでも本音で話してほしいとは告げたが、別に秘密を作るなとは言っていない。

「眼帯、外さないのか」

 従って、これは単なる俺の我が儘だった。
 燭台切に頼られたい。俺にだけは全てを打ち明けてほしい。燭台切のことを、もっと知りたい。

「墨で汚れても外さないのだから余程の事情が有るんだろう。その下に何が隠れているのか、何を隠したいのかは知らない。だが、これだけは言っておく。その眼帯の下がどうなっていようと、俺の燭台切に対する友情は変わらない」

 宗三のように、前の主が刻んだ印が人の身体に現れる男士もいる。政宗公を慕っている燭台切の場合はその影響が右目に出たのだろう。或いは、彼の病の行く末すら、その身で再現しているかもしれない。
 ロマンチストじみた理由で露出を断っているのは、仲間に罪悪感を抱かせないための心遣いではないのか。燭台切光忠という刀は、柔らかな言葉と穏やかな表情で、優しい嘘をつく。いつだって他者のために自分が傷つく選択肢を選ぶ。そういうこいつの格好つけなところが、俺は心底嫌いで、どうしても放っておけなかった。

「勿論、お前がどうあっても見せたくないというなら無理強いは」
「待った。凄く深刻そうな顔してるけど違うからね? ただ何となく、誰にも見せたらいけない気がして外さないだけだからね?」
「そんな理由でシャンプーの泡が隙間から目に染みそうな危機感と日々戦えるものか」
「そんな理由で戦ってるんだよ。僕にとっては大事な話だから」
「もうお前眼帯の付喪神名乗れ。俺の傷心を返せ」
「君もそろそろ理不尽の化身を名乗れるよ」

 ふて腐れて両の手で挟んだ湯を押し出す。発射された水滴が緩い弧を描いて、再び湯船に戻った。
「あ、それ僕もできるよ」
 俺に倣って、燭台切も鉄砲の構えを取る。合わせた掌の間から高々と水が噴き上がった。手慣れた動きに感心していたのも束の間、多量の水飛沫で鼻っ面を叩かれた。

「油断大敵だよ、近侍殿」
 奇襲を成功させた男がほくそ笑んでいる。俺の顎先と敵の手首から雫が伝い落ちた。挑発の効果は言うまでもない。

「はッ……太刀が打刀相手に遠戦を仕掛けるとは良い度胸だなあ!」
 握り合わせた拳を水中に沈める。忽ち掌中は湯水で満たされ、反撃の準備が整った。

 さりとて弾数が豊富なのは相手も変わらない。ほぼ同時に水を補充し、互いに攻勢へと転じる。俺の放ったものは岩肌を濡らし、燭台切の一撃は水面を削いだ。
 ざばざばと波立たせて移動し、距離を取る。射程圏外に陣取って睨み合うこと数分、前方に忽然と水柱が立ち上った。白波の発生源を追えば標的は既に無い。

 周囲を見渡し、水中に潜んだだろう相手の位置を探る。接近を許してしまえば敗北は避けられない。しかし敵も然る者で、中々尻尾を掴ませてはくれなかった。
 このままでは埒が明かぬと、腰元に巻いていたタオルを外す。急所が晒されて、守りの失せた下半身が途端に心許なくなった。ただ防備を薄くした甲斐は有ったと見える。すぐ近くで水泡の上がる音が聞こえた。

「隠れようが無駄だァ!」

 水を吸って重くなったタオルを投げつける。俺の渾身の一撃は、敵の眉間に見事ヒットした。

「はせべくん……」
「ふふん、借りは返したぞ。これくらいで動揺するなんて可愛いやつだなぁ」

 勝ち誇っていると、顔に白い布を張りつけた男がずんずんと距離を詰めてくる。絵面が完全にホラー映画のそれなので少し引く。

「タオル、早く巻いて」
「いやそれ俺のじゃ」
「いいから、早く」
「あ、はい」
 異様に低くなった声に抗えず、俺は差し出されたタオルをすぐさま腰に巻きつけた。端を結んだところで、燭台切もようやく顔から垂れ下がっていた布地を取る。非常に貴重な伊達男の顔芸シーンだったが、それに気付く余裕もからかう勇気も俺には無かった。

「ああ、もう髪がぐっしゃぐしゃだ」
「そりゃあ水中に潜ればそうなるだろう。形振り構わない戦法は嫌いじゃないがな」
「いけると思ったんだけどなあ、僕もまだまだ修行が足りないね」
 笑いながら燭台切が手櫛で髪を整えだす。その際に指先が引っかかったのか、眼帯が僅かにずれた。濡れた髪の大半は後ろに流れていて、今は珍しく額を剥き出しにしている。黒い楕円の布地以外に、彼の右目を隠すものは無い。

「おい、ずれてるぞ」
 このままだと中が見えるぞ、という忠告をしたつもりだった。

「そう? じゃあ付け直すね」
 そう言って燭台切はあっさりと、それこそ何の躊躇いもなしに眼帯を外した。

 秘められていた右の目は、左に負けず劣らず美しい。ただ唯一にして最大の違いは、その色合いだった。馴染み深い燭台の火を思わせる金色ではなく、彼の瞳は淡い紫色を宿している。
 いざ目の当たりにすると、燭台切がどうしてこれを伏せていたか解るような気がした。実戦向きと謳うだけあり、光忠は華やかだが斬れ味鋭く、豪壮なつくりをした刀が多い。燭台切も例外ではなく、この頼りがいある太刀に儚さを覚えたことは無かった。その印象を覆すように、右の薄紫は今にも壊れそうな繊細さを以て佇んでいる。異質だった。俺は見てはいけないものを見ているのだと知りながら、その歪な魅力に打ちのめされた。

「なんだい長谷部くん、そんな面白い顔して」
「いや、おまえ、眼帯」
「ああ。長谷部くんだし、見られても大丈夫だよ」
「いいのかそれで。誰にも見せたくなかったんだろう?」
「いいんだよ。君には見てもらいたかったんだ」
「何だそれ」
「さあ? 僕にもよく解らないな。でも、できればみんなには内緒にしておいてくれないかい」

 人差し指を唇に寄せ、男が露わになった二つ目を眇める。金と紫の異なる色合いには、魔性に取り憑かれた己の姿が映っていた。
 呆けたまま、ふたりだけの約束を交わす。動き回ったせいか、のぼせたのか、或いは秘密の共有に高揚しているのか、胸の鼓動がいつもよりも早く感じる。

 この日初めて、嘘をつくのが苦手な俺に、主にも言えない隠し事ができた。

「調査の結果はどうだった、長谷部隊員!」
 明くる日になり、また鶴丸が近侍部屋を訪ねてきた。こたつに入っているのは俺だけで、陰謀の成否を聞いても咎めるような先客は居ない。

「生憎と、お前の期待するような答えは得られなかった」
「さっすが光坊、どっかの近侍と違ってガードが堅いなあ! じゃああれからどこまで進んだ!? ちゃんと清掃中の札を立てておいたから邪魔は入らなかっただろう!?」
「何も起きなかったから全く以て無意味な気遣いだったな」
「なに、まさか光坊……あの見た目で不能なのか……? それはちょっとあまりに可哀想じゃないか? 長谷部、ここはきみの力で光坊の男をたててやるべきじゃないか! 色んな意味で」
 もはや眼帯の下そっちのけで、鶴丸の興味は完全に下世話な方に向いてしまった。どうせ後で身内にしこたま怒られるだろうから、鳥類の戯言は適当に流しておけばいいだろう。
 何はともあれ、燭台切との約束はこれで守られた。安堵する心とは裏腹に、昨日のやりとりを思い出す胸の内はやたらと騒がしい。

 ――僕と長谷部くん、ふたりだけの秘密だからね。

 頬がじわじわと熱くなる。おそらくもう春が本格的に近いから、こたつを卒業する時期なのだろう。

 梅が散り、桜の季節が来る。その頃には俺と燭台切の関係も変わっているだろうか。この問いの答えは、きっと誰にも解らない。

 

 

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