僕と向日葵畑を

 

 

 ――君の隣に立ちたい。戦場で敵としのぎを削る君を支えたい。大それた願いだと自分でも解っている。それでも、僕をみつめる藤色のひとみを、追わずにはいられなかったんだ。

 その本丸は春夏秋冬を問わず、一年中向日葵が咲き誇っている。審神者が運営する城内は、天候も景趣も全てがシステムの管理下にあった。しかるに、前述の向日葵畑はどう設定を弄っても絶えず庭の一角にあり続ける。奇妙な話ではあるが実害は無い。まあ銀世界で眺める夏の花も一興だろうよ。かくして酔狂な城主の遊び心により、日輪を象った花は狂い咲きを許された。

「もうすぐ台風が来るんだって」
 遠征から戻るなり、桑名江は近侍を訪ねた。折しも審神者は不在である。主なき城は加護も弱まり、外界からの影響を免れない。季節は夏、恵みと野分とは切っても切り離せぬ時分だった。台風への備えは多ければ多いほど良い。畑に一家言ある桑名は、報告もそこそこに作物を守る有志を募った。主より留守を任されていたのは一期一振である。兵糧を重んずる近侍は、桑名の訴えを二つ返事で了承した。

「しまった、紐が切れた」
 長谷部の手元で半端な長さの紐が揺れている。本丸の敷地はおそろしく広い。そこに付随する庭の面積も推して知るべしで、向日葵の数も千は下らなかった。茎を支柱に固定するだけでも手間であり、資材を湯水のように消費している。紐の予備も準備してはいたが、長谷部の位置からはどうにも遠い。

「はい」
 腰を浮かせた長谷部の前に黒い影が過る。視界を遮った束ね紐は真新しい。備品を差し出す腕より先を辿れば、燭台切がその長躯で西日を遮っていた。
「あ、りがとう。助かった」
 長谷部が言い淀んだのは何も同僚との不仲のためではない。寧ろ燭台切とはよく話す間柄であり、相談に乗ってもらうことも多々ある。気難しい長谷部が胸襟を開き、頼みとする希少な刀剣男士とさえ言えた。少なくとも警戒するような相手ではない。

「お役に立てて何よりだよ」
 低く、艶のある声が耳朶を擽る。何てことのないやりとりだが、長谷部は頬に薄らと熱を感じた。おちこちにある向日葵の花びらですら、輝く黄金色を彷彿させて落ち着かない。青々とした枝葉に視線を移し、長谷部はまた黙然と作業を再開した。

「長谷部くん」
 応ずるより早く、長谷部の頭上に庇が降ってくる。日差しが和らいだ理由を知り、紐を括りつける手が止まった。麦わら帽子の頂を潰しながら、長谷部は傍らの男をついと見上げる。

「夕方だからって油断してはいけないよ。湯船に浸かったとき、肌がひりひりするのは嫌だろう?」
「……お前は被らないのか」
「髪が崩れるのはちょっとねえ」
「汗掻いたらどうせ同じだぞ。大体、その無造作ヘアーなら少しくらい崩れても判らん」
「好きな子の前では常に格好良くありたいんだよ、って返しておこうか?」

 咳が三度軍手に吸い込まれる。土の匂いに余計噎せつつ、長谷部は眦を割いた。睨まれた燭台切といえば、ただ微笑を返すばかりである。気に食わない。先日より、長谷部はこの黒を纏った伊達男に翻弄されっぱなしだった。

 長谷部にとって燭台切光忠は良き戦友である。協調性に富み、万事につけて器用に立ち回る刀なればこそ、どの本丸の自分も同じ想いを抱くと考えていた。その認識はあながち間違っていないが、世事に疎い打刀が思い描く関係性と現実とは多少違う。
 確かに燭台切光忠とへし切長谷部は大概の本丸で仲睦まじい。その親密さたるや、友情に飽き足らず恋仲へと発展する例も珍しくなかった。二年に渡り、仲間からの秋波を尽く善意と捉えた長谷部である。同じ号を冠した刀たちの秘め事など当然知る由も無い。だからこそ、この本丸を訪れた幼き客人は二振りにとって転機となった。

 少年の名は長谷部国重、その親友は長船光忠。かつて付喪神としてあった彼らは、人の生を得てなお前世の縁と繋がっていた。四季知らずの向日葵がまだ花開く前、この本丸は一度閉ざされている。元主の采配により、学友として再会した二人は淡い恋心を育み、互いに想い合う仲となった。
 しかし二度目の初恋は順風満帆とはいかず、彼らは危うく過去ごと消えるところだった。少年たちの排斥を目論んだのは、二人に歴史改変の片鱗を見出した検非違使である。この守り手を自負する武者たちは、老若男女の別なく、獲物であれば等しく爪牙を振りかざす。そんな理不尽から少年たちを救ったのが、向日葵畑を引き継いだ長谷部と燭台切だった。

 脅威は去りました、めでたしめでたし。最後に幼い二人の恋路も報われました、大団円です。
 長谷部は困惑した。見目はともかく、本を正せば少年らも自分たちと同じ刀剣男士。加えて背負った物語も由来も一致する。よもや自分と燭台切がそんな仲になろうとは。混乱覚めやらぬうちに、さらに頼れる友が長谷部に追い打ちを掛けた。

「君のことが好きなんだ」

 衒いも飾り気もない、ありのままの好意が言の葉を紡ぐ。手を取られ、目を逸らすことも叶わず、長谷部は立ちすくんだ。触れ合った掌は熱い。いつぞやの夜、好いた相手がいると嘯いた燭台切の温もりと、何一つ違わなかった。

 周囲は向日葵に囲まれている。日々慈しんだ花々に見咎められているようで、長谷部はますます気恥ずかしくなった。思考は散り散りになり、容易にまとまらない。ただ向けられる恋慕を、長谷部は決して疎ましくは感じなかった。それでも二の句を継げぬまま、燭台切の本意を知った刀は押し黙る。普段は勝ち気に吊り上がっている煤色の眉が八の字を描いた。いつになく弱々しく、初々しい思いびとの姿が燭台切の胸を灼く。

 逃げ場を封じていた両の手が緩み、一方が長谷部のうなじを支える。ふたりの影が重なった。ほのかに汗の味がする唇は、数秒と経たず分かたれた。長谷部は絶叫を伴いその場を去る。畑には、鳩尾を押さえる燭台切だけが取り残された。

 まさに青天の霹靂。未だ恋を知らぬ打刀に愛の告白は早すぎたらしい。以来、長谷部は燭台切と顔を合わせるたびに慌てふためいた。体温の上昇、動悸、発汗。これらの症状は甘い言葉を浴びると一層深刻となり、長谷部から易々と思考能力を奪う。敵前逃亡を試みたことも一度や二度ではない。戦場では先鋒を務め、意気揚々と大将首を狙う猛将も、こと色恋に関しては弱卒でしかなかった。

 さて慕情を拳で返された燭台切といえば、意外にもこの状況を楽しんでいる。それもそのはずで、子供一人挟んで川の字で寝ても平然としていた相手が、ようやく自分を意識し始めた。やっとスタートラインに立った太刀はご機嫌である。隙あらば口説き、距離を詰め、唇を奪った。二年も機会を窺っていた男らしからぬ攻勢ぶりだが、長谷部の態度がこれに拍車を掛けている。
 へし切長谷部は是非も好悪もはっきりと口に出す刀である。一方的な求愛に辟易としているなら、鞘走らせた得物を相手の喉元に突きつけるぐらいはするだろう。現実には、断りなく肌を吸う不埒者に文句はつけど、未だ鯉口は切られていない。織田の古馴染み曰く「絆されチョロ部」、黒田の腐れ縁曰く「保ってあと一月」「三週間にお小遣い全ベット」周囲から完全に手遅れ扱いされながらも、長谷部は蟷螂の斧を振りかざし続けた。

「僕はカモネギだと思う」
「鍋の具か?」
「いつか美味しく料理したいとは考えてるけど、まだ早いかなあ」
「夏だからな。でも精もつくし今時分でも良いと思うぞ」
「いっそ計算して言ってる方が可愛げがあるね。まあ長谷部くんはいつでも可愛いけどさ」
「ずんだを食べてるときに呪詛を吐くな」
 受け流すのにも慣れた(と、自分では思っている)長谷部は、再び視線を皿の上に移した。
 夕餉はとうに済ませているが、瑞々しい若緑を塗布された餅を前にすれば自ずと喉が鳴る。餡は滑らかさと残る粒の塩梅が絶妙で、くどすぎない甘さが素朴な餅とよく合った。煎茶との相性も良い。舌に残る後味が八女茶に浚われ、じわりと溶ける。こくの深い温もりは僅かな糖を余さず拾い、豊かな風味で喉奥を潤していく。ほう、と一息ついて長谷部は湯飲みを置いた。
 外は少しずつ風の音が強まっている。桑名の予見は正しく、早々に人手を集めて正解だったようだ。作業の途中で既に雲行きが怪しくなり、皆が引き上げた頃には強雨が屋根を叩いていた。
 燭台切と長谷部の担当は向日葵周りだけだったが、数が数だけにやはり疲弊する。そんな折に燭台切がずんだを持って訪ねてきた。長谷部が一再もなく歓迎したのは言うまでもない。

「しかし、何でまたずんだ餅なんだ?」
「あれ、忘れちゃった? 国重くんがここに来た日に、作るって約束したはずだけど」
「……すまん、色々あって忘れていた」
「あれから忙しかったし仕方ないよ。僕も持ってくるのが遅くなってごめんね」

 向日葵泥棒の発覚、見知らぬ少年の保護、元城主の調査、検非違使の介入阻止。たった一日二日の間に状況はめまぐるしく変化した。一連の問題が解決しても、政府への報告や国重らの事後調査で時間を取られ、息つく暇もなかったというのは確かである。それ以上に、告白で浮き足立つ長谷部に落ち着く余裕などあろうはずもない。

「内番に加えて、今日はしゃがみっぱなしの作業が多くて疲れただろう? お茶会するなら今夜だ、って思ったんだよね」
「相変わらず気のつく男だな」
「ふふ、ありがとう。好きな子に褒めてもらえるのは嬉しいなあ」
 長谷部がさっと渋面を作る。勢い睨みつけても燭台切は全く動じない。深々と刻まれた眉間の皺すら、今の伊達男には喜ばしく思えた。
 燭台切光忠は誰にでも優しい刀、などという幻想はさすがに長谷部の中でも潰えている。確かにこの太刀は皆に対して誠実であるが、それ以上に惚れた相手は一等甘やかす。自身の好意が誤解なく伝わっている事実に、燭台切はしみじみと感じ入った。

「いくら甘ったるい言葉を吐いても、俺は野菜みたく肥え太ったりしないぞ」
「長谷部くんなら美味しく育つと思うよ」
「顔と声でゴリ押しして妙な雰囲気を作るんじゃない。俺はそういう、色恋沙汰には詳しくないし、今後もお前の気持ちに応えられるとは思えない。燭台切ほどの刀なら相手にも困らんだろう。だから」
「君を諦めろって? 冗談にしちゃあセンスが無いな」
 微笑を絶やさなかった燭台切から表情が消える。長谷部は自身の失言に気付いたが、後の祭りだった。ふたりが囲んでいた座卓はそう大きくない。その丸い縁をなぞって一歩踏み出すだけで、燭台切は長谷部の隣に行き着いた。

「他の子じゃあ意味がない。僕が欲しいのは君だけだ」
 墨色の浴衣が畳に擦れる。脇下を縫うように腕を突かれ、長谷部は後ずさることもできなくなった。

「待て、近い暗い怖い。真顔で迫ってくるな、圧が凄い」
「その前に少し釘を刺しておきたくてね。いいかい、僕の気持ちは僕のものだ。他ならぬ長谷部くんに捨てろ、と言われても頷くことはできない。理解されなくとも、応えてもらえずとも、僕はずっと君を想い続ける。だから、さっきみたいな忠告はするだけ無駄だよ」

 木々が撓り、雨樋からは滝のように水が落ちてくる。外のただならぬ喧噪も、長谷部の耳にはまるで入らない。ほとんどの音は逸る鼓動に上書きされている。さらには自分を見据えるきんいろに射貫かれ、長谷部は瞬きすらも躊躇った。

 刹那、稲光が障子を透かす。一拍遅れて轟音が響き、長谷部ははっと我に返った。しかし崩れた体勢は咄嗟に立て直せず、畳の目が間近に迫る。幸い寸でで逞しい腕に拾われ、長谷部は床に身体を打ちつけずに済んだ。

「すまん、助かった」
 おもむろに見開いた眸に驚愕が交じる。男の肩越しに天井を臨み、長谷部は自身の迂闊さをほとほと呪った。
 ――雷ごときに動揺するとは情けない。お陰で不可抗力とはいえ、燭台切にまんまと組み敷かれてしまった。このままでは雰囲気に流され、色々と大事なものを失ってしまう!

「風雲長谷部城がそう簡単に落ちると思うなよ……」
「えっいきなり何、やっぱり長谷部くん頭打った? ごめんね、僕の機動がもう少し速ければ」
 普通に心配されて長谷部は居たたまれなくなった。寧ろ謝るべきは偏見の眼差しで仲間を見ていた自分の方である。

「気にするな、俺みたいな薄情者は頭の一つや二つ打つくらいでちょうどいい」
「何も良くないよ? どうしたんだい、急に卑屈になって」
「内心お前のことを、事故を利用して関係を迫る海綿体の化身みたいに捉えていた。ひどい侮辱だろう……殴ってくれて構わないぞ……」
「殴らないけど、それはつまり期待されてたってことかな?」
 親指で唇のあわいを撫でられ、長谷部の肩が跳ねる。今度こそはと脱出を図るも、背に回った腕はびくともしない。始めは耳、次に額。燭台切は改めて長谷部を横たわらせ、好きに唇を落としていった。

「ぁ、やめ……」
 制止の声は聞き入れられず、長谷部はのし掛かる男の襟を引いた。緩んだ浴衣の合わせより、鍛えられた体躯が露わになる。晒された肌の白さと、隆起のはっきりした筋肉の縄目が長谷部の目を惹いた。善からぬ痺れが背を伝い、男を突っぱねる手はいよいよ抵抗を忘れていく。
 ふたりの吐息が混じり合う。それでいて、燭台切は一度も長谷部の口を吸おうとしない。知らず自らの唇を舐り、長谷部はもどかしい蹂躙の間を耐えた。

「長谷部くん、今すごく可愛い顔してる」
「はぁッ……それが、押し倒す免罪符になるとでも」
「免罪符というなら、自分に惚れてる男と夜に自室でふたりきりになる時点で十分すぎるくらいだと思うけどなあ。ねえ、僕を部屋に招き入れたとき、少しもこうなる可能性を考えなかったって言い切れるかい?」

 問われ、長谷部は口ごもる。この場合の沈黙は肯定も同然だった。
 燭台切が片頬を寄せ、口端を歪める。今にも相手の肌を暴きかねない内の狂気とは裏腹に、愛しい刀を撫でる手つきはひどく優しかった。

「お前は、俺が本当に嫌がることはしないだろ」
 沈黙の末に呟かれた答えが燭台切の胸中を掻き乱す。この主張を掘り下げるなら、つまり為すがままにされている現状は、長谷部から見て本気で拒むべきものではない、と言い換えられる。

「ンッ……!?」
 噛みつかれた。そう長谷部が錯覚するほど荒々しく唇が重なる。実際に肌が食い破られることはなく、柔い肉同士が合わさり、互いの形を変えた。呼気を食むうちに、固く結ばれていた唇がほどける。その僅かな隙間を舌で突き、燭台切はぬかるむ咥内に侵入を果たした。初めて味わう他者の熱に面食らいながらも、長谷部は未だ拒まない。その両手は押し返す素振りも見せず、燭台切の背に縋りついている。
 舌が絡み、幾度となく水音を立てた。攪拌されたふたりぶんの唾液が溢れ、頬を伝っておとがいに達する。長谷部が息継ぎを訴えたのを機に、燭台切は名残惜しげに距離を取った。細い銀糸がぷつりと断たれ、またひとしずく長谷部の肌に垂れる。

「は、ぁ……は……なんだ。これで満足かァ、伊達男」
 忙しなく胸を上下させ、長谷部は頭上の男を煽りたてた。当人は拍子抜けと揶揄ったつもりだが、文脈は否定を待つそれである。衣服の乱れを直しつつ、燭台切はどうにか死に体の理性を取り繕った。

「今日はこれぐらいにしておくよ。続きがしたくなったら……そうだね、長谷部くんからキスしてもらおうかな」
「は?」
「嫌じゃない、止まりじゃあ気が引けるからね。君の方で、僕に抱かれてもいいって思えたなら、誠心誠意尽くさせてもらうよ」
「いや、むり。無理だろ、本気で俺がそんな提案にのるとでも思ってるのか」
「さっきまでの自分の言動を思い返したら解るだろう? いやあ楽しみだなあ」
 長谷部は口をへの字に曲げた。――これがほんの数分前に獣よろしく襲ってきた男の台詞か?

 何より解せないのは、提示された条件が長谷部に有利すぎる。そのくせ燭台切は悠然と構えて、事が自分の読み通りに運ぶのを些かも疑っていないようだった。
 訝しむ長谷部を余所に、燭台切はあっさりと引き上げていく。空になった皿も、湯で膨らんだ茶葉もとうにない。

(実質諦めたようなものだな)

 長谷部から動かなければ、燭台切との関係はいつまでも戦友のままだ。もう二度と貞操を危ぶむ必要はない。
 夜も更けた。どの部屋も明かりが落とされ、本丸から光が失せる。嵐が収まって暫くしても、長谷部の瞼は一向に重くならなかった。

 台風一過の朝である。暗雲を払った空はいつにも増して蒼い。畑の枝葉は雨粒を戴き、重たげに果実を提げている。各所で喜びの声があがる中、長谷部は重々しい足取りで部屋を出た。その目の下には盛大な隈があしらわれている。

「よお長谷部、昨晩も枕を袖にしたみたいだな。そろそろ布団に愛想尽かされる頃じゃないか」
「寝具とは仲良くやっていたさ、台風の音で眠れなかっただけだ」
「きみ居留守用の耳栓持ってたよな? 光坊が相当ご立腹だったから覚えてるぞ。全く痴話喧嘩にいたいけな鶴を巻き込まないでほしいもんだ」

 平安刀の野次を聞き、顰め面を彩る眉がますます吊り上がる。鶴丸はおや、と金色の瞳を瞬かせた。普段の長谷部なら「たったの二言三言に矛盾を詰め込むな」と、素気なくあしらっていたことだろう。常ならぬ様子に驚きを求める男の好奇心がむくむく刺激される。

「ははあ、眠れぬ夜を過ごした原因はそれか。こいつは身内が失礼した。お詫びと言っちゃなんだが、ここは年長者らしく若人の愚痴やら悩みやらを聴いて進ぜよう。なに、光坊には黙っててやるさ」
「貴様の無聊を慰めるようなゴシップは何も無い」
「この際捏造でもいいから刺激をくれ。井戸端会議でウケそうなメロドラマ節だとなお良い。頼む長谷部、酒の席での肴を増やすと思って!」
「せめてもう少し同情を買えそうな理由で迫れ、な?」
 しつこく食い下がる老爺を引き連れ、長谷部は廊下を曲がった。早朝とはいえ、大所帯の洗面所はいつも誰かしらが利用している。とはいえ、格好に拘る男士のほとんどは自室で身支度を済ませていた。共用スペースに来るのは、寧ろ服装に頓着しない刀の方が多い。

「おっ、噂をすれば光坊」
 すっかり油断していた長谷部の息が詰まる。先客は鶴丸に気付き、花瓶を弄う手を止めた。

「おはよう鶴さん、それに長谷部くん」
 好青年然とした笑みが朝の挨拶に添えられる。頭頂から爪先まで隙なく整えられた姿は、長谷部もよく知る燭台切光忠に相違ない。知己である鶴丸もいつもと変わらず振る舞っている。
「……?」
 不意を突かれての緊張とはまた違う。長谷部は気取れぬよう慎重に、密かに男を観察した。

「きみが趣味人なのは知っていたが、花の世話までするとはな。その辺は歌仙辺りの領分だと思ってたぜ」
「ああ。ちょっと元気なかったみたいだから、ついね」
 振る舞いも受け答えも、まさしく燭台切光忠のものである。彼が言葉を重ねれば重ねるほど、その確信は強まっていくのに長谷部は未だ納得できずにいた。

「長谷部くん?」
「あ、ああ。何だ?」
「ぼうっとしてたみたいだけど、調子でも悪いのかい? 昨日変なものでも食べた?」
「変なものって、」
 それをお前が言うのか、という応えを長谷部は強いて呑み込んだ。よもや自分が用意した茶請けを忘れたとは言うまい。しかし燭台切の面差しに含みはなく、純粋に長谷部を案じている様子だった。昨晩のやりとりをほのかめそう、という意図は感じられない。

「お前も昨日の夕餉くらい覚えてるだろう。献立は何だった」
「ええ? 南瓜の煮付けに、酢豚だろう? 味噌汁は油揚げと豆腐、ワカメが入っていたね」
 燭台切の答えはこれまた長谷部の記憶と合致する。疑う余地はなかった。そもそも、長谷部は仲間を訝しんでいる根拠すら自分でも把握できていない。

 この後、それとなく燭台切の動向を探ってみるも成果はなし。違和感を訴え出る者は誰ひとりとしていなかった。鶴丸を始め、伊達の刀や長船派の男士に確認しても同様である。
 審神者が戻るにはまだ早い。頼みの綱を失った長谷部は、大人しく主なき本丸の維持に務めた。出陣はなくとも、ただ遊んで暮らすのは長谷部の矜恃が許さない。怠慢を嫌う刀は、掃除に経理に炊事にと忙しく立ち回った。
 外れた瓦を直し、散乱した葉を拾い、廊下まで跳ねた泥を拭う。荒れた本丸を皆で片付けるうちに、太陽はすっかり西に傾いていた。
 使い終わった道具を脇に、長谷部は濡れ縁に沿って歩く。そのうち朝顔主体だった景趣が向日葵畑へと差し掛かった。ざっと眺めた限り、折れた茎は見当たらない。長谷部はそっと胸を撫で下ろして、黄色い花冠の列から視線を外し――すぐさま戻した。

「あ、長谷部くん」
 足音を察した燭台切が振り返る。彼の掲げている笊に花弁の小山ができていた。男の隣では、博多が千切れた向日葵の断片をせっせと拾い上げている。

「……食べるのか?」
「うーん、ここの向日葵はあまり食用には向いてないかな」
「何でもかんでも実用に繋げるのは長谷部の悪か癖ばい」
 本丸きっての勘定方に言われたくない。長谷部は喉元まで迫り上がった本音をぐっと堪えた。下手に混ぜっ返しては本題が遠のく。

「昨日の台風で結構花が散ってしまったからね。まだ若い子も多かったし、せめて押し花やハーバリウムにできないかと思って」
「はーばりうむ」
 面食らう長谷部に博多がそっと耳打ちする。小瓶に詰めた植物標本のようなもの、という説明で合点がいったらしい。万屋の棚にも置かれている商品は、確かに長谷部にも見覚えがあった。

「こういう女子ウケするインテリアは売れるけんね」
 作るのが実用品でないだけで博多の目的も大概である。眼鏡の奥で小判が爛々と光っているのを、長谷部も燭台切も共に見ないふりをした。

「長谷部くんも部屋に一つどうかな」
「え、いや俺は、そういう洒落たものはよくわからん」
「長谷部くんが育てた向日葵だから、君に持っていてほしいんだ」
 語気が強いわけでも、武力で脅されたわけでもない。ただ有無を言わせぬ迫力を感じ、長谷部は燭台切の求めに首肯で応じた。

 道具を片付け、長谷部はやっと自室の戸を開ける。座卓に箪笥、他には実務書ばかりの本棚。整頓されているというより極端にものの少ない室内は、殺風景と評して差し支えない。あれだけ世話をしている向日葵とて、長谷部は一度たりとも部屋に飾ろうとしなかった。
 いかに不滅の花だろうと、根から断たれた枝は別である。瓶に据えて一時の美を味わったところで、近いうちに枯れてしまうなら始めから日の下で咲き誇れば良い。付喪神からすればヒトは脆い。そのヒトより儚い花ならば尚更のこと。長谷部は長谷部なりに、絶対に譲れぬ一線があった。

 ――もどかしいと思っていた。僕の言葉は君に届かない。彼の隣に立って、親しく話せる者たちが羨ましかった。日溜まりのような指先の温もりに応えたかった。僕は、僕に託された祈りを正しく導いた。じゃあ僕の祈りは、いったい誰が伝えてくれるのだろう。

 生花からハーバリウムを作るのは難しい。水分を含んでいるため、腐敗やカビの発生が危ぶまれるためである。燭台切らが集めた花弁は、まず乾燥させてドライフラワーにするところから始まった。
 向日葵の花はさほど薄くない。乾燥剤と一緒に密封して容器に入れているが、水分が抜けるには多少時間が掛かるだろう。仕上がりを待つ間、燭台切は夜ごと文机に向かった。
 湿った筆が紙面を滑る。毛先はいつまでも淀みなく走り、止まることを知らなかった。

「絶対恋文だと思うんだけど、あっさり否定されたんだよなあ」
「いやあ、あれで光坊は結構図太いからな。七並べや大富豪でその手腕は散々見せつけられてきただろう」
「相棒にしれっと嘘つくとか、ひっでえよなみっちゃん」
「というわけで、伊達の結束が揺らぐ前に真実を確かめに行ってくれないか調査員H」
「頼むぜ長谷部クン、今度仙台の地酒贈るからさ」
「いきなり部屋に押しかけて茶番からの買収を始めるな」

 資料をまとめていた長谷部は、何の前触れもなく鶴丸と太鼓鐘に襲撃されていた。二振りを止めてくれそうな燭台切は厨に、大倶利伽羅は厩に詰めている。援軍は期待できそうにない。長谷部は深く、重々しい溜息を吐いた。

「親しき仲にも礼儀あり、本当に恋文ならそっとしておくべきだろう」
「何だか余裕だが、それできみ宛てじゃなかったらどうするんだ」
「……いや、どうもしないが」
「はい一瞬間があった! その沈黙こそ本音にして答えだぜ、長谷部クンよぉ!」
 二方向からの手拍子が長谷部を囃したてる。シンプルに喧しい。長谷部の額に青筋が立つこと一分、伊達の刀剣は揃って外廊下に締め出されていた。再度の直談判を請おうにも、障子の裏にある支え棒がそれを許してくれない。部屋を追われてなお鶴丸たちは粘り続けたが、しばらくして身内に回収されていった。

 ようやく静寂を取り戻し、長谷部は書類を前に沈思する。その脳裏に浮かぶのは、数字の記録ではなく闖入者の言だった。
 燭台切が夜な夜な筆を執り、誰ぞに向けた文を熱心にしたためている。仮に内容が艶書だったとしても、長谷部は咎める立場にない。移り気を責められるのは恋仲のみの特権である。

「馬鹿馬鹿しい」
 悩むだけ無駄だと結論づけ、長谷部は帳簿の頁をめくった。

 置き時計の針が天頂を指して重なる。日付が改まり、大半の刀は寝入った。この時間でも行灯を用いている者は少ない。廊下まで伸びる光帯を目印に、長谷部は夜半の庭を過った。
「燭台切」
 障子越しの影絵がどよめく。歪に膨らんだ輪郭が崩れ、大きさを増しながら長谷部の方へと近づいた。

「長谷部くん、どうしたんだい」
 驚きの声と前後して戸が開く。部屋の主は寛衣に着替えていた。奥には床も設えられているが、その布団に乱れは認められなかった。

「夜分遅くにすまない。この時間でも起きていたようだから、少し気になってな」
「ああ、ちょっとやりたいことがあってね。大丈夫、夜更かしが過ぎて寝坊、なんて無様はしでかさないよ」
「……なら、いいんだが」

 ぼんやりとした灯りを背負う燭台切の陰影は濃い。柔らかい声色を紡ぐ口元も、月色の瞳も、長谷部からは黒く塗り潰されて見えた。室内を窺おうにも、境目に立つ燭台切が壁になって、机上に何があるかも判らない。とはいえ、部屋に入る口実をぱっと思いつくほど、長谷部は器用な刀ではなかった。

「長谷部くんの方こそ、ちゃんと休まないとダメだよ。前も目の下に隈を作っていただろう」
「眠ろうとはしているぞ」
「不眠症? それとも何か悩み事でも」
「別に、大したことじゃない。安心しろ、眠れなくても惰眠を貪るような真似はしないさ」
「僕の発言に被せてみたところで、端から寝坊の心配はしてないんだよ」
 呆れ返った燭台切が敷居を跨ぐ。不意に距離が縮まって長谷部はのけぞったが、部屋を出た刀の爪先は母屋に向けられていた。

「おいで、ホットミルク作ってあげる。皆寝てるから静かにね」
 手招かれ、長谷部は素直に男を追う。
 突然の訪問にもかかわらず、話に応じてくれたばかりか、体調を気遣って夜の厨にまで赴いてくれる。面倒見の良い友に付き従い、長谷部は前方の背中を見つめた。

 何もおかしいところはない。――どこか呆気ない。
 燭台切が長谷部に優しいのはいつものことだ。――あれは本当に優しいだけだったか。
 眠れない夜にホットミルクを馳走するのなんて実にらしいじゃないか。――俺の知る燭台切なら、ホットミルクを用意する前に世迷い言の一つや二つは抜かすだろうよ。

「美味しい? 長谷部くん」
「ああ」
 夜の厨はふたりの他に誰もいない。格子窓からは細く、弓なりになった月が覗いている。日中は食材や皿で溢れかえるテーブルも、今は湯気をくゆらせるコップが一つあるに過ぎない。燭台切は長谷部の正面に座り、ミルクが減っていくのを見守るばかりだった。

「これで眠れるといいんだけど、難しいようならお悩み相談も歓迎だよ」
「大したことじゃないと言っただろう」
「長谷部くんにとって些事でも、僕にとっては大事だよ。君が眠れないほどの悩みを抱えているなら力になりたいんだ」

 熱の籠もった眼差しが長谷部を打ち据える。降り注ぐ言の葉はどこまでも真摯で、誠実だった。この燭台切は間違いなく長谷部を慕っている。蜂蜜を溶かしたような甘い色に注視され、長谷部はそっと眉を開いた。

「はは。お前は本当に、俺のことが好きなんだな」
「うん、大好き」
「そうか。なあ、もし俺がお前の気持ちに応えたら、まず何がしたい?」
「えっ、そうだなあ……うーん、考えてなかった。君の傍にいられるだけで、僕は十分幸せだからね」
「ほう、随分と殊勝なことを言うじゃないか」

 頬を掻く燭台切の眼前に閃光が走る。一つ目がその正体を捉えるより疾く足が動いた。失せた人影に代わって緩やかに反りを描く皆焼刃がある。咄嗟に飛び退いた燭台切は首の付け根を擦った。繋がっている。ただ安堵するには早いのだと、虚空を薙いだ白銀が語っていた。

「生憎、俺の知っている燭台切光忠はもっと太々しくてなァ」
 呼び寄せた刀の鞘を放り、長谷部は大上段に得物を構える。燭台切は応じず、勝手口から厨を脱した。

 夜気が粟立った肌を舐める。開けた場所に出ようと太刀の不利は変わらない。寧ろ遮蔽物が無くなった分だけ長谷部の脚がいよいよ幅を利かせる。二振りの位置は忽ち入れ替わった。地を蹴り、壁を走った長谷部が燭台切の前に躍り出る。正面、左の肩口から斜めに刀が振り下ろされる。鈍く、重い音が反響した。長谷部の刃は黒鞘の中央で押し止められている。

「どうした、抜かないのか」
「冗談ッ……僕は、君と争う気はない」
「貴様の意向など知ったことか。偽物ごときがその刀を扱うのは癪だが、燭台切の面で無抵抗を気取るのも虫が好かん。どうせ皮を被るなら、最期まで演じきってみせろ」
 交差した刀が離れ、また十字を描く。二合、三合と矢継ぎ早に長谷部が仕掛け、燭台切はかろうじてといった体で相手の猛攻をしのいだ。優勢にもかかわらず長谷部の面差しは昏い。

「ふざけるなよ。燭台切光忠の刀で、手足で、そんな無様な立ち回りが許されると思ってるのか!」
 怒りも露わに長谷部が吠える。燭台切の動きはかつて背中を任せた友とは比べるべくもない。

「くっ! 長谷部くんお願いだ、話を」
「何があろうと燭台切は己の背を敵に晒さない。抜き身の相手に納刀したまま交渉などしない。ああどう考えたって別物じゃないか!」
 対峙している相手の歪さを知り、長谷部はその齟齬と己の不明を憎んだ。

「気付くのに十日掛かった。我ながら鈍い、鈍すぎる。隙あらば口を吸ってくるような不届き者が、今さら聖人君子じみた睦言を寄越すなんてお笑い種だなあ!」

 憤怒の中に自嘲を忍ばせ、炎を宿した刀身が迸る。勢いを殺しきれず、燭台切の手から武器がこぼれた。空手になった敵を逃す長谷部ではない。鋭い蹴りが燭台切の脛を払う。得物もろとも地に転がった男は、全身をしたたかに打ちつけ短く呻いた。
 天を仰げど月は見えない。燭台切の視界には今にも我が身を貫きそうな切っ先と、己を降した美しい刀だけがあった。

「もう解っただろう、貴様ではその身体を使いこなせん。ごっこ遊びは止めて、燭台切を解放しろ」
「頷きたいのは山々だけど、まだ交代の時間には早くてね。もうちょっとだけ見逃してくれないかな」
「ふん命乞いか、ますます以て気に食わん」
「あと一日だけでいい。それで彼との約束は果たされる」

 約束、という物言いが長谷部の肝を潰す。怪異に乗っ取られた仲間を救ったつもりが、まず前提から誤っていたかもしれない。燭台切は自らの意志でその器を明け渡した。動揺が刃先を小刻みに揺らす。大地を枕にしたまま、燭台切は惑乱する藤色を見上げていた。

「貴様の言が真実だという証拠がどこにある」
「虚偽という証拠もないだろう。信頼の問題だというなら、十日間この身を許されてなお平穏な本丸の現状を思ってもらえば。あとは僕の真心」
「真心だと」
「そうだよ。言っただろう、僕は長谷部くんのことが大好きなんだ。君だけじゃない。本丸の皆、全員を大切に想っている。だから、長谷部くんたちを傷つけるような振る舞いは絶対にしない」

 誇り高き刀剣の名を騙る行為は、物語を重んずる男士にとって許すべからざる狼藉である。世に伝わる逸話だけではない。この本丸に顕現し、仲間と切磋琢磨し、時間を共有できるのは、同じ本丸の刀を措いて他にない。長谷部にとっての燭台切光忠は、共に過ごし、戦い、好意を伝えてくれた一振りだけを指した。その大事な戦友の上っ面をなぞり、居場所を奪おうとした偽物の言葉を何故聞く必要があるのか。
 翳されていた刀が退く。長谷部は男の上からどき、視線も合わせず踵を返した。

「その誓いを違えたらどうなるか、せいぜい覚悟しておくんだな」

 燭台切を置いて、ひとりぶんの足音が遠ざかっていく。微風が梢をそよがせた。取り残された男は土埃を払って古巣を望む。十日と一日限りの夢の終わりは、近い。

 ――バグフィックス完了。システムエラーの修復を確認中……仮想アカウントによるアクセス不可。肥前国サーバー、本丸ID:XXXXXXXXXは外部から完全に保護されています。天候管理システムへの影響は漸次改善予定。報告は追って連絡致します。

「うわあ、綺麗にできたね! ボクも一つ貰っていいかな?」
「小判一枚でよかとよ」
「え~身内からもお金取る気? ねえ燭台切さん、何とか言ってやってよ」
「あはは、試作品でも構わないなら是非貰ってくれ。こっちは僕が作ったやつだし、博多くんもいいだろう?」
「っかー! 伊達の兄しゃんは甘かね~」

 受け取ったボトルを陽に透かし、乱藤四郎はくるくると舞い踊る。動きに合わせ、輪切りのオレンジと向日葵の花弁がオイルの海を揺蕩った。
 芝居がかった咳払いが三者の意識を誘う。開け放たれた障子の外、長谷部が廊下に佇んでいた。粟田口の長兄に弟の所在を尋ねられ、乱を探しに来た矢先のことである。一期一振の名を出され、乱はあっと声をあげた。内番中の鳴狐に荷物を渡しに行く最中だったらしい。目的を思い出した乱は、慌ただしく燭台切の部屋を後にした。

「本当に作ってたんだな、それ」
「当然。今なら小判二枚で、と言いたいところばってん、長谷部ん分はもう用意しとる」
「できあがったものがこちらになります」
「本当に作ってたんだな……」

 料理番組の仕込みより早い登場である。呆ける長谷部の掌に硝子瓶が載せられた。柔らかな蜜色のプールに向日葵の断片がいくつも浮かんでいる。これらは全て風雨に晒され、枝から落ち、土に還るはずだった花弁だ。

「直射日光は避けて保存すれば三ヶ月以上は保つと思うよ」
「期限つきなのか」
「まあどうしてもね。でも手入れも要らないし、生花よりは長持ちする」
「……うちの向日葵なら、世話を怠らない限り花が散ることもないだろう」
「わかってないなあ、長谷部くんは」
 燭台切が大仰に肩をすくめる。むっと気色ばんだ長谷部の鼻先に、黒い人差し指が突きつけられた。

「庭の向日葵はこの本丸皆のもの、でもこれは長谷部くんだけの向日葵だ。誰かに所有される喜びを知らない君じゃあないだろう?」
 男が語るは人ではなく物の視線。言葉を持たず、ただ託された意志のみを誉とする、物のみが知り得る心境だった。長谷部は燭台切が自分の知る刀でないことを理解している。ただ偽物と安易に軽んずるには、自分たちとあまりに近いように思えた。

「手間が掛からないなら、貰っておく」
「ありがとう」
「礼を言うのはこっちじゃないのか?」
「僕の贈り物を君の部屋に飾ってくれるんだろう? 実に名誉なことだ」
 長谷部は鼻白んだ。戦い方は全くなってないのに、妙なところだけ燭台切エミュの精度が高い。博多の前でなければ昨晩の醜態を散々当て擦っていたところだった。

「ふたりの世界は終わったと?」
「不毛の大地の言い換えやめろ」
「博多くんも手伝ってくれてありがとうね。お陰で長谷部くんに無事受け取ってもらえたよ」
「ばり健気たい。そろそろ長谷部も勘弁したらよかろうもん」
「賭けのために古馴染みを売りにかかるな」
「実際何が不満と。器量よし性格よし家事万能の近年稀に見る優良物件ばい」
「そういう問題じゃない。大体こいつは」

 長谷部は慌てて口元を押さえた。わざわざ仲間同士で不和を招く必要はない。本物の燭台切ではないにしろ、向こうも波風を立てるのは望んでいないはずだ。正体に言及するのは避けるとして、博多には別の観点から説明しなければならない。さて燭台切からの求愛を拒む理由は、と考えて長谷部は行き詰まった。
 そもそも長谷部は燭台切を疎ましく思ったことは一度もない。告白を受けた当初から驚愕しきりで、自分の気持ちと向き合う余裕など持てていなかった。

「伊達の兄しゃんが何とね」
 半端に口を滑らせたせいで、長谷部自身の問題とは言い出せなくなっている。燭台切の短所でも挙げて適当に誤魔化したいところだが、万事をそつなくこなす男だけに欠点など早々浮かばない。考えれば考えるほど、長谷部はどつぼに嵌まっていった。

「なんか、手が早そう」
「手が早い大いに結構、賭けの期限まであと一週間もないけん気張ってこ」
「俺の貞操について少しくらい黒田の誼を発揮しようと思わないのか?」

 彼が残陽に焦がれるのは習性だった。千にも及ぶ兄弟に囲まれ、黄昏を抱えた山際を見遣る。何百、何千の夜を過ごしてきた。その間一度も死神と相見えなかったのは、神の気まぐれと言う他ない。
 その神が同胞たちに与えた使命は果たされた。理を曲げれば当然どこかでしっぺ返しが来る。今がそのときなのだと、死を見据えた男は墓場の中心に立った。

「答え合わせをしようか」
 振り返った先には彼が太陽と同じく、いやそれ以上に慕った相手がいる。煤色の髪に薄紫の瞳、刀を握る手は存外に繊細で、決して草木を乱暴に扱ったりはしない。風でしなる枝葉と違い、いついかなるときも真っ直ぐ伸びている背筋が、彼には好ましかった。

「お前の正体について当ててみせろと」
「そうだよ。ヒントは要るかな?」
 燭台切のかたちをした男が長谷部に笑いかける。愚問だった。残された時間は僅かだというのに、ふたりして畑に足を運んだ時点で隠す気があったかも疑わしい。

「あいつも花は嫌いじゃなかった。服装に留まらず家具にも拘りがあったようだし、花瓶に目を留めてもおかしくない。例の硝子瓶だって、いかにも伊達者が好みそうな発想じゃないか」
 始めから示唆はされていた。あくまで燭台切光忠の規を超えない程度に、彼はずっと自らの生い立ちを示し続けてきた。

「でも、お前は仲間が朽ちるのを単純に放っておけなかったんだな」
「当然だよ。だって僕らも、刀である君たちと同様、人に望まれてここにいるんだから」
 無風の中で向日葵が波打つ。言葉はなくとも、同胞の声に応じているのだと長谷部にも見て取れた。

「どうして燭台切の身体を借りたんだ」
「大したことじゃないさ。一度くらい本丸の皆と話してみたかった、それだけ」
「だからって何故今になって」
「驚かせてごめんね、でも僕らにはあまり時間がないから」
「時間だと? お前たちは他の花とは違って朽ちたりしないだろう」
「同じだよ。ただ神様に望まれたから、ほんの少し長生きしていただけさ。かつての審神者に手紙を届ける大役は果たされた。奇跡はそう何度も起こるものじゃない。僕らは、この向日葵畑は、存在するだけで絶対不可侵の神域に穴を作ってしまう。政府がこのシステムエラーを重大な欠陥と認識するのも無理はない」

 この本丸は一度閉鎖された。当時の審神者は自身の不甲斐なさを嘆き、最後まで己を主と仰いでくれた刀剣たちに深く詫びていた。
 先の手紙とは、そんな老女を想って付喪神たちが綴った労りの言葉だった。主従の契約は絶たれ、時代すら隔ててしまった人の仔と再び縁を結ぶのは難しい。そのよすがとなったのが、四季知らずの向日葵畑だった。
 新しい審神者が赴任し、全ての管理権限が移行されれば付け入る隙は無くなる。一代目から二代目へと受け継がれた向日葵畑は、時が満ち、手紙を持った人物が現れるのをひたすら待ち続けた。長谷部国重、長船光忠少年の一件で、かの手紙はもう然るべき場所へと行き着いている。ただ、その過程で天候システムの不具合が政府に露見した。その後は男の語る通り、管理面の問題から至急の対応が求められ、現在に至る。

「近いうちにこの向日葵畑は跡形もなく消える。でも僕は、僕たちを世話してくれた本丸の皆が好きになってしまったんだ。一度だけでも皆と言葉を交わしたかった。君の、長谷部くんの隣に立ってみたかった」
「俺?」
「うん。だって一番熱心に僕らの面倒を見てくれたのは、長谷部くんだよ。それに綺麗だった。地面に根を張ってるのかと思うほど常に背筋が真っ直ぐで、瞳は水を湛えたように透き通っていて、どんな花より美しかった」
「……本当にあれみたいな口説き方をするな」
「勉強したんだ。彼はよくこの畑に来てくれたし、君とも親しかったしね。それにほら、博多くんの喋り方はちょっと難しいからさ」
「それで燭台切に目を付けて、あれは何て言ったんだ」

 燭台切が声なき声を聞いたのは、台風が迫る夕暮れ時だった。
 少し離れたところで作業している長谷部に尋ねても、特に呼びかけた覚えはないという。引っ掛かりつつ茎に紐を通していると、不意に燭台切の周囲から音が遠ざかった。畑には黒い太刀の他に誰もいない。いや畑だけではなく、本丸全体から住人の活気が感じられなかった。

「燭台切」
 またも呼ばれ、振り返る。何度目を凝らしても、燭台切の視界にあるのは向日葵だけだった。

「突然連れ出してごめんね。君にお願いがあるんだ」
 重なった葉が鳴る。燭台切は微かに眉を動かしたが、刀を抜くのは控えた。この太刀自身がかつて口にした台詞である。こんな綺麗な向日葵たちが誰かを悲しませるとは思えない。世話係の長谷部を励ます方便ではなく、燭台切は腹の底からこの黄色い花々に信を置いていた。

 箱庭の主は語る。この本丸にとって自分たちは異物であること、政府の介入により近日中にデータの抹消が行われること、せめて最後に世話になった皆と話がしてみたいこと。
 切々と説く向日葵たちに燭台切は協力を惜しまなかった。ただ一点、彼らの主張に反対したのは、

「別れの挨拶なんて寂しい考えはよそう。君たちがここに残る方法はきっとあるはずだ。なくても作る、それくらいの気概でいないとね。ずっと誰かの願いを叶えるために頑張ってくれた君たちに、ご褒美の一つや二つはあってもいいだろう」

 もっと貪欲になれ。予想外の激励を受け、彼らは十一日の猶予を得た。

「ふん、いかにも格好つけのあいつが言いそうな理想論だ」
「でもお陰で光明が見えたよ」
 借り物のてのひらが愛しい刀の左手を取る。恭しい仕草とは裏腹に、男の導き出した答えは長谷部を瞠目させた。

「この身体なら長谷部くんの傍にいられる。畑を出て、戦場にだってついて行ける。君以外の誰も、僕を燭台切光忠と信じて疑わなかった。我が儘を言ってもいいと、他ならぬこの身体の持ち主が僕らを肯定してくれた。あとは長谷部くんだけ、君が僕を燭台切光忠として認めてくれれば、全てが丸く収まるんだ」
「ッ、戯言を抜かすな」
「言っただろう、時間がない。それとも長谷部くんは、僕たちにこのまま消えてなくなれと仰せかい?」

 長谷部の手を握る力が増す。震える黒い指先は、脅すのではなく縋るような響きがあった。

「……顕現してからずっとお前たちの世話をしてきた。この前の台風が来るときだって、一本一本折れないように対策したんだ」
 応える長谷部の語勢は弱い。手を振り払うこともせず、静かな声がぽつり、ぽつりと過去を顧みた。

「その大変な作業も燭台切と手分けしてやった。お前たちがずっと待ち望んでいた手紙の件だって、あいつと一緒に解決した。あれと協力して守った向日葵畑に、消えてくれなどと誰が言えるものか」
 俯き、長谷部は足下に視線を落とした。そこかしこに縦縞の入った種が落ちている。まぼろしの花から零れた種子は決して芽吹くことはない。

「だが違うんだ。お前は燭台切になれない。同じ顔で、同じ声で、同じ刀を持っていても、あいつと同じように俺を好きだと言ってくれても、お前を燭台切として見ることはできない」

 長谷部はこの十日間を振り返った。燭台切の獣性を知るのは唯一長谷部のみである。故に、ひたすら穏やかな金のまなこを勘繰っても、それを怪訝に思う仲間はいない。
 得体の知れぬ輩が燭台切のふりをし、燭台切の地位を掠め取ろうとしている。薄気味悪く、また許しがたい光景だった。相手の尻尾を掴み、ようやく友が戻ってくると思えば、成りすましは燭台切の意志なのだと告げられる。長谷部は自らの無力さを痛感した。同時に、全てをひとりで決めてしまった男への憤りが募った。

 どうして自分にも話してくれなかったのか。共に世話していた向日葵が関わっているなら尚更である。好きだ惚れたと騒いでおいて、結局は信頼を寄せてくれるわけではない。文句を付けようにも、相手は自分の身体を明け渡して黙りを決め込んでいる。怒りのぶつけ所を見失い、長谷部は歯噛みした。

「俺が殴りたいのはあの澄まし顔だけだ。いい加減に演技の下手さを自覚しろ、お前に悪役は致命的に向いていない」
「どうして本心じゃないって言えるんだい」
「はっ、性悪があんな感謝状の束を書き連ねられるものか」
「長谷部くん」
「何だ」
「いくら中身が違うからって、勝手にひとの部屋を家捜しするのはどうかと思うよ」
「ふん、この俺を口説いておきながら他の連中にも付け文を寄越そうとするからだ」

 ――博多くんへ、いつも僕らの世話をしてくれてありがとう。商品は見た目も重要、と肥料にも拘ってくれて嬉しかったよ。僕たちが綺麗に花を咲かせられるのは君の努力の賜だ。
 ――桑名くんへ、台風対策のいろはを皆に教えてくれて助かったよ。お陰で花が少し散るくらいで済んだんだ。土塗れになっても笑顔で畑仕事する君はとても格好いいよ。

 夜ごと筆を滑らせ、文を綴った相手はこの二振りに限らない。霜を被り、雪に埋もれてもなお頑固に咲き続けた花を、審神者とその刀剣たちは快く受け入れてくれた。向日葵はこの本丸に住まう者全てに感謝している。手紙を贈るのに、ただの一振りでも省いていいはずがない。

「そうだね、気の多い僕じゃあ長谷部くんを満足させてあげられないな」
「当然、安い刀だと思われては困る」
「なるほど、彼が十一日に拘るわけだ」
「その半端な日数は何だったんだ」
「長谷部くん、向日葵の花言葉って知ってる?」
「浮気性とかか?」
「うーん、これの答え合わせは向こうにお願いしよう」
 重なっていた手がほどかれる。代わりに長谷部の身体が傾いで、男の腕の中に収まった。

「じゃあね、一途で物騒な御刀様」
 がくりと燭台切の頭が垂れる。意識の途絶えた男は、長谷部に体重を預けてまるきり動かなくなった。

「こら、いつまで寝こけてるんだ伊達男」
 自分より体格の良い太刀を支えながら、長谷部は肩口に寄せられた後頭部を軽く小突いた。揺さぶられても頬を二、三度叩かれても、燭台切は目覚めない。

「……これは、ノーカンだからなノーカン」
 長谷部がしなだれかかる身体を抱え起こす。ただ呼気を漏らすだけの唇に影が落ちた。互いの睫毛が皮膚を掠める。こそばゆさに促され、燭台切は重たい瞼をゆるやかに持ち上げた。

「おはよう、長谷部くん」
「おはよう、よだれついてるぞ伊達男」
「それ君がつけたんじゃないかな」
「は? 俺が寝込みを襲うようなふしだらな刀だとでも?」
「はいはい、長谷部くんは清純で健全で高潔な国宝様ですよ」
 身を起こし、燭台切は向日葵の壁を突っ切った。わけもわからないまま長谷部も男の後に続く。

「どこに行くつもりだ」
「誰かさんが忍び込んだ僕の部屋」
「おいお前どこまで聴いてたんだ」
「負い目があるなら手伝ってもらおうかな。台風対策するのに人手はいくらあっても足りないからね」

 丁寧に櫃に納められた文が取り出される。二つに分けてなお重い紙の束は、彼がいかに本丸の皆を好ましく想っていたかを如実に語っていた。

「君も、これを遺書にはしたくないだろう?」
 燭台切の意中を聴き、長谷部が口角を吊り上げる。伊達男の奇策は、気難しく情け深い刀のお眼鏡に適ったらしい。

 その日より本丸の刀たちは一時の眠りに就いた。敵襲や病魔のためではない。彼らは自らの意志で、暫し手足を動かす術を忘れることにした。審神者の部屋から見える庭園に、向日葵の姿はない。

「これほど熱烈に口説かれておきながら、死に水を取るだけというのは雅じゃないね」
「いいんじゃない。主も気に入ってるみたいだし、協力できるならするよ」
「ふむ任せておけ。年寄りだからな、早寝早起きは得意だ」

 手紙を受け取った男士らは何の逡巡も見せず、燭台切の頼みを快諾した。花鳥風月を愛でる趣味はなくとも、この本丸に顕現した以上は季節知らずの花と付き合わずにはいられない。血煙を浴び、四肢を損なうような修羅場を掻い潜り、疲労困憊の体で帰城した刀をいち早く出迎えるのは、主ではなく向日葵の香りだった。死を免れ、生を繋いだ喜びを分かち合ってくれる家族を歓ばぬ者などいない。

「見える場所にあると刈られてしまうというなら、皆で隠してしまえばいい。これだけ神様が集まってるんだ。花の千本を保護するくらい、歴史を守るよりずっと簡単だろう?」
 その身に取り込んだ十一本の向日葵を抱き、燭台切はちょっとした悪戯を披露するように笑んでみせた。残された時間がいくらかは誰にも解らない。手遅れになるよりは、と付喪神たちは燭台切らに後事を託し、自らの器に花を採り入れていった。

 審神者は未だ戻らず、仲間は皆寝入っている。日頃賑やかすぎるほどに賑やかな本丸は、夏の日中とは思えぬ静けさに包まれていた。

「どうして俺だけお触り禁止なんだ」
「僕をひとりぼっちにするつもりかい? 長谷部くんは薄情者だなあ」
 二振りの食事にがらんどうの居間は広すぎる。自室の座卓を燭台切と囲みながら、長谷部は素麺を啜っていた。

「人海戦術を採るなら俺も参加した方が良かっただろう」
「君の眷属になりたい子はたくさんいるから不平等にならないように、って彼の判断だよ。それに長谷部くんには貰ったハーバリウムがあるだろう?」
「そういう問題じゃないんだが?」
 長谷部は衣装箪笥の上を一瞥した。枯れ木も山の賑わい、と評するには目立つ小瓶が置かれている。暖色の海に浸かる向日葵は、朽ちず腐らず、部屋の主を優しく見守り続けていた。

「俺だって、あいつらを救う手助けがしたかった」
「ちゃんと手紙を届けるの手伝ってくれたじゃないか。それに皆が起きる前に主が帰ってきたらどうするんだい。長谷部くんだってお出迎えしたいだろう?」
「それは、そうだが」

 長谷部がこぼした不満は本心ではあるが、本意ではない。理屈の上では納得している。ただ燭台切ひとりに雑事を委ね、ただ嵐が過ぎるのを待っているのは長谷部の性に合わなかった。いやそれ以上に切迫した問題がある。誰かが目覚めるか、審神者の帰還まで、長谷部は燭台切とふたりきりで過ごさなくてはならなかった。

「身がもたない」
「それ詳しく突っ込んだ方がいいやつかな」
「そこは空気を読め。昼食を摂るのに適した雰囲気を心掛けろ。毒にも薬にもならない雑談を徹底するんだ」
「とんだ難題を強いてくるね。麦茶のおかわりいかがですか、かぐや姫」
「貰う。言えば燕の子安貝や火鼠の衣でも探してきてくれるのか?」
「蓬莱の珠の枝ならすぐにでも」

 足された麦茶の中で氷が踊る。燭台切が空いた両手を掲げれば、十一本の向日葵が束になって現れた。

「随分と旬のある手品だ。これで月の民を落とすつもりか車持皇子」
「なに、冒険譚の代わりに雑学を披露しようと思ってね。向日葵の花言葉、聴かず終いだっただろう?」

 長谷部が汗の掻いたグラスを手に取る。喉を潤しても渇きは癒えない。色事に疎いなりに、ここ二週間足らずで培った長谷部の経験が言っている。燭台切が何かしら勿体ぶるときは大抵良くないことが起きる、と。

「まずは、私はあなただけを見つめる。向日葵の花が太陽を向いて咲くのが由来だね」
「どこぞの太刀を装っていたやつは博愛主義だったらしいがな」
「本題はここからさ。向日葵は本数によって花言葉が変わってね。一本で一目惚れ、三本で愛の告白、七本で密かな愛」

 長谷部は男の不実を恨んだ。当たり障りのない話題を、と頼んだのに燭台切は真正面から切り込んできている。再び箸など取れるはずもない。胸の内側が激しく警鐘を鳴らしているにもかかわらず、長谷部はその場から動けずにいた。

「十一本の向日葵で、最愛」
 花束が燭台切から愛しい刀の手へと渡る。長谷部は狼狽しつつも向日葵を突っ返さなかった。一番、特別、最愛。それらは他家に下げ渡され、名付け主と最期を共にできなかった刀が、常に欲して已まない言葉だった。

「受け取ってくれるかな」
「どうせ返品は受け付けないんだろう」
「そんなことはないさ。僕は、君が本当に嫌がることはしないと心に決めているからね」
「一言も相談せず十一日も行方を眩ましたくせに」
「僕がいなくて寂しかったかい?」
「その質問自体が既に嫌がらせだ。全部聴いていたなら、言わなくても解るだろ」
「ああ、残念なことに目覚めのキスはノーカンだったね。一日でも早く長谷部くんから求めてもらえるよう引き続き努力するよ」

 のらりくらりと躱され、とうとう長谷部は限界を迎えた。過ぎた緊張は怒りに変わり、保身の思考を隅へと追いやる。長谷部は隣に座る男の襟を捕らえ、勢い近づいた唇を喰らった。

「ノーカンでなくて、いい」
 吐息のかかる距離で撤回が告げられる。唖然とする燭台切の頬が赤らんでいくのを目にし、長谷部はようやく溜飲を下げた。ずっと伊達男の鼻を明かしてやりたかった、そんな欲を自覚した薄紫の双眸が眇められる。

 なるほど恋心とはまこと度し難い。相手に優しくしたい気持ちと、弄びたい気持ちが同居する心中を認め、長谷部は恍惚とした。
 抱かれていた向日葵が畳に散る。折り重なった二振りの傍らで、黄色い花冠が障子越しの陽を浴びた。

「ん、ッあ」
 嬌声ごと口を吸われ、長谷部は久々に味わう熱に溺れた。指を絡め取られるのも、男の体重を全身に感じるのも、湿った皮膚を押しつけ合うのも、全てが心地良い。

「はせべくん」
 濡れた声が長谷部を呼ぶ。眉根を寄せ、得意の薄笑いも捨てた燭台切に普段の余裕はない。垂れる黒髪の合間から金眼が覗いた。燭台の灯を閉じ込めた左目には情欲のいろが浮かんでいる。

「君からしてくれた、ってことはいいんだよね?」
 散々に自分を嬲った赤い舌を見て、長谷部の下腹が疼く。肯定代わりの両腕が燭台切の背に回った。窓も障子も開け放ったまま、ふたりは抱き合い、淫蕩に耽った。

 庭先で走り回る粟田口の兄弟も、木刀を振るい研鑽に励む求道者も今はいない。けたたましい蝉の合唱すら耳に入らず、二振りにとっての音は互いの声だけがあった。
 長谷部に口づけたまま、燭台切は器用に服を寛げていく。白と紫の特徴的なジャージはこの暑さでも上まで締まっていた。ファスナーを下ろせば、微かに汗を吸ったシャツがまろび出る。服越しに脾腹を撫でられ、長谷部はむず痒さに身を捩った。

「くすぐったい?」
「正直」
「腋とか責めたらどうなるかな」
「やめろやめろフリじゃない、ひッあは、やめあははは!」
「期待に添えたようで何よりだよ」
 暴れる四肢を押さえ、燭台切の手が腋から胸へと滑る。ほどよく筋肉の載った肌が揉まれ、シャツに皺が寄った。てのひらに潰された尖りが服に擦れる。笑い疲れた長谷部の意識が一気に引き戻された。

「ぁ、は……」
 指の腹がぐりぐりと胸のしこりを押す。柔く主張も控えめだった乳頭が次第に硬く、存在感を増していく。付け根を摘ままれ、先端を引っ張られると、鈍い痺れが長谷部を苛んだ。

「どうしたらいいのかわからない、って顔してるね」
「実際わからん。男の平らな胸をさわって楽しいか?」
「男の、じゃなくて長谷部くんの胸は触ってて楽しいよ。大丈夫かな、気持ち悪くない?」
「わるくは、ない」

 そもそも長谷部は人の身を得てからも性には淡泊だった。戦帰りの昂揚を鎮めるために自涜はしても、女体に興奮した試しはない。閨事も子作りの手段としか捉えておらず、長谷部はとことん官能の追究から縁遠かった。胸を揉まれている今も、浮き足立つ感覚が快楽に繋がるとはまるで考えていない。
 燭台切は歓喜に震えた。この無垢な身体を自分色に染め上げていけるかと思うと、それだけで腰が重くなる。歪んだ口元が弧を描いた。指で愛でていた箇所を口に含み、舌で転がす。途端に跳ねた足を無視し、燭台切は服の上から執拗に突起を舐った。

「ぅ、ぁ……! しょくだいきり、まて、すうな、ひンッ!」
 じっとり濡れた布が敏感になった皮膚に纏わりつく。シャツは透け、その下の乳首が浮き彫りになった。先端の僅かな窪みを分厚い舌がつつく。長谷部は自らを責め立てる男の頭を抱えた。抗議のつもりが、反って相手に胸を押しつける形になっていることに当人は気付いていない。燭台切は喜々として咥えた赤紅色を甘噛みした。

「うぅ、はぁっ……なんだこれぇ、ぁッ!」
 ジャージを腕に通したまま、長谷部のシャツが捲られる。露出した肌は汗ばんで、真夏の温い外気ですら涼しく感じた。燭台切が自らの指先を噛み、革手袋を抜き取る。素肌を晒した手はそれぞれ上下に別れ、長谷部の肌を妖しく撫でた。
「ふぇっ」
「長谷部くんえらいね、ちゃんとおっぱいで気持ちよくなれたね」
 ズボンの中、下着ごと膨らみを揉まれ、長谷部が小さく叫ぶ。触れてもいないのに布地を押し上げていた雄は、燭台切の手で着実に体積を増していった。
「~~~~ッ! ちが、おれ、そんなんじゃ」
「だって僕が触る前から硬くなってたよ。乳首可愛がってもらえて嬉しかったんだね。覚えたかな? さっきのは気持ちいいこと。長谷部くんは男の子だけど、ちゃんとおっぱいで感じられるんだよ」

 未知の感覚を言語化し、少しずつ長谷部の空白に欲を溶かし込む。眼下であがる声が甘くなるたび、燭台切は育てる悦びに浸った。覚えが早いのか、素質の問題か、長谷部の身体は急速に愛されるための器に作り替えられていく。

「ふ、ぅう……ッ!」
 ぐちゅぐちゅと脚の付け根から響く音に粘性が混じりだす。燭台切の手で高められた逸物は、今にも弾けそうなほどに腫れていた。

「あ、やだ、でるッでるから放して、ッ!」
「いいよ、このまま僕の手に出してくれて」
 穏やかな声音を耳に注ぎながら、長谷部に吐精を促す手つきは容赦ない。先走りが男のてのひらと布地に擦り込まれる。やがて長谷部が背を反らし、抑えきれないとばかりに低く呻いた。

「ふーッ、はぁ、あぁぁ……」
 弛緩した手足が畳に投げ出される。長谷部は大息した。機械的に処理していたときとは訳が違う。他人の手で一切加減もされず、射精へと導かれるのは暴力的なほどの快感だった。

「長谷部くん、そういう顔でイクんだ。可愛いなあ」
「もしかして俺はいま煽られてるのか……?」
「そんなことないから拳を握らない。あ、力入らなくて猫の手になってるのは良いね。それはキープしとこうか」
「爪で思いきり引っ掻かれるのがお好みだったか」
「そうだね。背中に君の跡が残るのは結構そそられるかな」

 言うなり燭台切は自らの服に手を掛けた。ジャージの上着、黒いシャツが剥がれ、逞しい上裸が曝け出される。力強い打撃に相応しい鋼のごとき肉体を前に、長谷部は息を呑んだ。これが今から自分を抱く男のかたちなのだと、被食者としての意識が脳を焼く。それとは別に、同じ肌を同じ体勢で眺めていた記憶が呼び起こされた。

「前に押し倒してきたときには、もう身体を貸す話がついてたんだよな」
「うん」
「もし俺が成り代わったあいつに惚れたらどうするつもりだったんだ。敵にむざむざ塩を送った形になるんだぞ」
「あれほど偽物だって息巻いてた君がそれを言う?」
「なに笑ってるんだ。実際あいつは優しくて仲間想いで健気で、良いやつだったじゃないか」
「そうだね、確かに彼は魅力的だ。でも長谷部くんなら絶対に僕じゃないって気付くと思ってさ」
「偽物でもいい、って言い出すかもしれないだろ」
「それはないよ。だって君、あの約束したときには僕のこと好きになってただろう」
「はっ?」

 情事の最中にしては頓狂な声があがる。長谷部が燭台切への恋情を自覚したのはつい先頃で、時間にして二十分そこらしか経っていない。同意を促されても頷けるはずがなかった。

「考えてもごらんよ。いくら仲間とはいえ、好きでもない男に唇を許すほど君は緩い刀だったかな?」
「そんな尻の軽い真似を誰がするか」
「うんうん、つまりそういうことだよ」

 燭台切が再び長谷部に覆い被さり、口を吸う。前のときはどうだったか、などと比べるゆとりはない。長谷部は目を細め、与えられる多幸感に酔った。滑らかな男の肌に手を這わせ、唇を啄まれる悦びを甘受する。濡れた下着ごと衣服を引き抜かれても、長谷部は素直に従った。

 向日葵の傍に服の山がまた増える。長谷部の下半身を覆うものは靴下以外にない。しどけなく開いた脚の中心には、一度欲を吐き出して萎えた性器が見えた。燭台切の視線があらぬ場所に注がれる。長谷部は足を閉じたがったが、間に入った男のせいで叶わない。芯を失っていた陰茎が僅かに持ち上がる。触れられてもいないのに、ただ痴態を見られただけで興奮する我が身を長谷部は呪った。

「ここ触ってほしそうだね」
「ぁンッ」
 先端を突かれただけで長谷部は大げさに身悶えた。事実、刺激を待ち望んでいた肉茎は涎を垂らし、自身を包み込んだ掌中を徐々に圧迫しつつある。
「でも僕も結構きついし、こっちもそろそろ慣らしていくね」
 急に手淫を止められ、長谷部は不安げに息を詰めた。放りだされた雄が焦燥感を訴えるが、それも後孔に伸びた手によって困惑に塗り替えられる。節くれだった指が縁に触れるたび、ぬち、ぬちと滑りが広がっていった。

「あ、う……!」
「平気? 痛くない?」
「いたく、ない。ただ変なかんじがする……」
「そう。痛くないならこのまま続けるね」
 宣言通りに燭台切の指が腹の中に沈む。まだ先端だけとはいえ、異物感が長谷部の神経を冒した。口吸いを交え、燭台切は少しずつ隘路を探っていく。二本を受け入れるまでに拡げても、肉筒が指に吸いつき甘えるには至っていない。

「んンッ!?」
 唇のあわいから乱れた呼気が漏れた。試みに同じ場所を擦れば、痙攣した襞が指をきゅうきゅうと締めつけてくる。指腹に微かな膨らみを認めて、燭台切は破顔した。

「さすが長谷部くん、呑み込みが早いね」
「うぅ、あッ……! なんで、またむねまでぇ……」
「どっちも育てたいし、せっかくだから一緒に可愛がろうと思って」
「ぁ、やめっ、せなか、ンっ……ぞわぞわ、するからぁ……」
 胸を弄られ、腹を掻き回され、長谷部はずっともどかしさに苦しんでいた。薄皮一枚で覆われたような感覚がいつまでも続く。未知の経験に怯える心情とは裏腹に、触れられていない中心は今も硬度を保っている。精神はさておき、長谷部の身体は十分に蕩けている。指を三本を含んだ肉壺が水音を立てた。

「ぅ、しょくだいきり……」
「光忠」
 被せられた名に長谷部が目を瞠る。福島、実休と、この戦いに参加している光忠の刀は他にもいた。長谷部が知るだけでも燭台切の兄弟は数多い。それもあってか、彼を光忠と呼ぶのは伊達の刀を始め、ごく限られた者たちだけだった。

「光忠と呼ばれたい。僕を、君にとっての光忠にしてほしい」
 呼び名に拘るのは長谷部も同じである。唯一無二の号ではなく、敢えて光忠と呼ぶよう請われた。理由は問わずとも解る。長谷部は求めに応じ、おずおずとその名を舌に載せた。

「みつただ」
 焦がれていた響きを貰い、燭台切の頬にほんのりと朱が差す。屈託のない笑みが愛しい刀に感謝と慕情を告げていた。

 内に埋まっていた指を抜かれ、長谷部が小さく喘ぐ。呼吸を整える肢体に重たげな肉塊が寄せられた。
「背中、爪立てていいから」
 しどけなく解けた窄まりを太く立派な雁首が小突く。長谷部の左脚を担ぎ、燭台切はゆっくりと未通の身体に入っていった。
「ぁ、っぐぅ……!」
 切っ先を受け入れただけでも息苦しい。凶暴な刀身に貫かれ、痛みに慣れている長谷部もさすがに顔を顰めた。燭台切からしても納めようとしている肉鞘はひどく狭い。そのくせ襞の一つ一つが男根を抱擁するように纏わりつき、吐精を促してくる。燭台切は眉間に皺を刻みながらも、迫り上がる衝動に耐えた。時折背に走る痛みに励まされ、少しずつ、じっくり接合を深めていく。やがて先端が突き当たりの壁を叩いた。

「はい、ったよ」
 燭台切の宣言を聞き、強ばっていた長谷部の諸々が弛緩する。のしかかる太刀の背に回っていた腕が、自らの腹を撫でた。皮膚の下に息づく雄を意識し、長谷部は知らず鼻を鳴らす。血管の浮いた太い幹を思い描き、男を覚えたばかりの後膣が疼いた。

「は……みつただぁ」
「なんだい、はせべくん」
 額に唇を落とす燭台切は繋がってから動く様子がない。初物の身体を気遣っていることは解るが、丁寧に拓かれた蜜壺は次の段階を欲している。ただし望んでいる蹂躙を得るには、長谷部自らその意志を告げなければならない。土壇場で艶っぽい台詞など浮かぶわけもなく、羞恥に駆られた刀はほとんど捨て鉢になった。

「腹のなかが、あつい。もう大丈夫だから、むちゃくちゃにしてくれ……」
 率直で、明け透けな誘い文句が伊達男の矜恃を溶かす。優しく、労るように抱くつもりだった。燭台切の悲壮な決意は、潤んだ目つきと接合部をなぞる指先に踏みにじられている。

「……むちゃくちゃにされてるのは僕の方じゃないかな」
「言動じゃなくて俺の尻をむちゃくちゃにしろ、いいな」
「……絶対優しくしてやる……」
 密かな舌打ちを合図に燭台切が腰を引く。緩慢に粘膜を擦られるだけでも長谷部には十分だった。剛直が抜けかけ切なさが極まったところで、再び押し入ってきた肉杭に喪失感を埋められる。前戯の時点では朧気だった雌の悦びが、突かれるごとに先鋭化していく。長谷部はあえかな声を漏らし、自らを犯す熱を歓迎した。

「はぁあッ、すご、しょくらいきりので、ンぁッ、ごりごりされりゅ……!」
「ッ、こら。光忠だろう、長谷部くんッ……!」
「ひぃんッ! あ、ごめんなさ、みつただ、やぁッ!」
 軽く窘めるつもりで尻を叩くと、長谷部は一際高く啼いてみせた。腰遣いはさほど荒くなく、張り手というほど強く撲ってもいない。しかし明らかに臀部を叩かれた瞬間、後口の締め付けは増した。

「……長谷部くん、もしかしてマゾっ気あったりする?」
「……? なんのこと、ひァン!」

 乱暴に揺さぶると、ことさら長谷部の声が甘くなる。燭台切は前髪を掻き毟った。本当にこの刀は墓穴を掘るのが上手いし、心臓に悪い。遠慮するのも馬鹿らしくなって、燭台切は長谷部の腰を持ち上げた。床を離れた両脚が宙を掻くのも構わず、真上から突き入れる。潤滑油が零れるほどに力強い抽送を受け、長谷部は噎び泣いた。

「ンぅ、はあ……! みつただ、みつただのおっきぃ、きもちいい、しゅきぃ……!」
「はぁっ、好きなのは僕のおちんちんだけ?」
「ちが、みつただ、みつただだからすき、うぅンッ! やら、もっと。ぎゅ、ってしてぇ……!!」
「うん。僕も大好きだよ、長谷部くんっ」

 絡んできた手足に催促され、燭台切が背を折る。互いの唾液にまみれた唇を合わせ、ふたりは汗みずくの肌をぴたりと重ねた。抱擁はそのままに、深々と媚肉を貫いた陽物が奥を捏ねくり回す。長谷部は身動ぎも許されず、徐々に大きくなる官能の波をひたすら享受した。

「ああぁぁ……! みつただ、なんかくるッ、きてる、やぁ、こわい……!」
「ふ、はぁッ、だいじょうぶ。そのまま僕に身をゆだねて、上手にイってごらん」
「え……ひッ! はげし、ああぁあああ!」
 腰がぶつかり、蕩けた臓腑はじゅぶじゅぶと責め立てられる。忽ち臨界点まで押し上げられ、それでも射精に至らない矛盾に長谷部は狂いそうになった。時に燭台切の腹筋を掠める中心は完全に勃起している。解放を待つ長谷部の陰茎は、動きに合わせて虚しく左右に揺れるばかりだった。

「っく、僕も、出そうッ……! 長谷部くん、中に出してもいい? 奥にたっぷり種付けしてもいい?」
「ふう、ぁぅ……なか?」
「そう。はぁ、長谷部くんに僕の子種ぜんぶ呑みこんでもらいたい。赤ちゃんできちゃうくらい、いっぱい中に注いであげたい。だめかな?」
「は……ぁあっ、して、俺のおくに、みつただの精子たくさんだして、はらませて」
「……オーケー、じゃあ一緒にイこうね。お母さん」
 燭台切が放置されていた長谷部の性器を手に取る。根本から先端までを撫で上げ、べっとり濡れた亀頭を指が弾いた。

「ッ……! ぁああああッ~~~!」
 とうに限界だった長谷部は白濁を撒き散らし、二度目の絶頂を迎えた。ただ前を弄られていたときより深く、強い快感が神経を灼く。腸壁は咥えた男に食らいつき、万力のごとく締め上げた。その寸前、燭台切は奥まった肉の輪を超えて、昂ぶった砲身を全て長谷部の中に収めきった。極まった雄膣の誘いに抗わず、結腸の先で燭台切の精液がしぶく。

「あ、うぁ……あつ、い……」
 男の神気に満たされ、長谷部は陶然としながら肩で息をした。最奥を押し上げる熱棒はなおも硬く、長大さを維持している。自らの子種を塗りたくるような動きが、冷めやらぬ長谷部の欲を刺激した。

「ふぅ、はあ……長谷部くん……」
 艶を含んだ声が長谷部を呼ぶ。燭台切の左目も未だ獣性を失っていない。汗と藺草と向日葵の匂いが混じる部屋で、ふたりは長い長い交合を再開した。

 審神者が帰還し、目を覚ます男士たちも増えてきた。間借りした器から大地へと戻った向日葵は、今も変わらず本丸の庭を賑やかせている。

「ありがとうございます、主」
 長谷部は深々と頭を下げ、主君の寛容に感謝した。

 世話係とはいえ、向日葵の所有権は城主たる審神者にある。長谷部は留守中の報告を済ませるついでに、部屋に花を飾る許しを得ていた。管理をして久しいにもかかわらず、この手の頼みを一度もしてこなかった長谷部である。俗っぽい審神者はその心境の変化について尋ね、腰を抜かす羽目になった。

「ええ。光忠の守ってくれた花ですから、たとえ枯れても俺は手放しませんよ」

 最愛の刀より贈られた十一本は、絶えず長谷部の部屋にある。
 春も夏も秋も冬も、黒い太刀の執心が続く限り、黄色い花片が散ることはない。

 

 

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