短文まとめ / 一 - 1/3

青年諦念を覚え、母の偉大さを知る

 

 前略お袋様。貴方の息子、国重はただいま人生最大の危機を迎えています。

「長谷部くん。どうしたんだい、これ」

 友人が指さしているのは、男子高校生の部屋には到底そぐわないテディベアの巨大ぬいぐるみである。黒い肌に黄色のリボンが映えて大変可愛らしい。部内でも気難しい堅物と評判の俺が抱えたならば、罰ゲームを疑われること必至だろう。

「置き場所に困った母さんが置いていった」
 前略お袋様。貴方の息子、国重は育ての親を自らの保身に使いました。文句を言うなら一人息子に少女趣味を植え付けた己の所業を省みて下さい。不肖の息子より。

「長谷部くんってお母さんと仲良いよね」
「まあ悪くはないな。部屋を物置扱いされるのは困るが」
「あはは、確かにこの大きさは堪えるだろうねえ」
 と、笑いながら客人がビッグサイズのぬいぐるみを抱き上げる。叫び出さなかった己を褒めてやりたい。イケメンは何を持っても似合うんだな畜生!

 黒い熊と見つめ合っている男の名は長船光忠。俺のクラスメイトであり、数少ない友人であり、片恋の相手でもある。容姿端麗で人当たりも良く、何事もそつなくこなす光忠は男女問わず人望が有った。勉強と部活以外に興味を持てず、最低限の人間関係しか築こうとしない俺とは完全に別世界の住人である。おそらくクラスと部活が同じでなければ、交流を深めることは無かっただろう。

 剣道部での一戦以来、俺と光忠は互いに切磋琢磨する良きライバルだった。趣味も考え方もまるで合わないのだが、不思議と馬だけは合う友人の隣は心地良い。その心地よさが恋情故の焦燥感に取って代わったのは、先月のことだった。
 昼休みの中庭で、光忠が見知らぬ女生徒と話しているのを見た。どうやら彼女は告白の真っ最中だったらしい。流石に気まずくなって、見咎められるより先に去ろうと足早に歩を進めた。

「ごめんね。他に好きな人がいるんだ」
 お決まりと言えば、あまりにお決まりの文句だったろう。しかし友人の声音は切実な響きを伴っていて、安易によくある口実だと断ずることはできなかった。
 胸が苦しい。目頭が熱い。呼吸もままならず、ただ声を殺して噎び泣いた。
 不意の流れ弾に当たって、この手の機微に鈍い俺はようやく気付いた。己の恋はこの瞬間に始まり、虚しく散ったのだ、と。

 親友への慕情を自覚してしまった以上、もう今まで通りの関係ではいられない。断腸の思いで俺は光忠から距離を取ることを決心した。その一大決心は、光忠ファンの母親によって粉々に打ち砕かれた。我が親友の魅力は人妻さえ虜にするというのだから恐ろしい。

 要するに、母親の「最近光忠くん遊びに来てくれなくて寂しい」攻撃に抗えず、俺は渋々光忠を家に招く羽目になったのである。もう自分の部屋で対戦ゲームをして遊ぶこともなかろうと、ぬいぐるみで失恋の痛手を癒やそうとしていた矢先のことだった。

「大きくて黒くて可愛いなんて、ほとんど光忠みたいなものじゃないか!」

 などとはしゃいでいた過去の自分を殴りたい。隠れぬいぐるみ愛好家であることがバレたら友人の座すら危うくなる。一度は捨てようとしていた肩書きだが、本心ではやはり好きな相手との縁を切ってしまいたくはなかった。

「長谷部くんも持ってみなよ、きっと似合うよ」
「こんなの抱えて許されるのは女子供か絶世のイケメンくらいだろ」
「大丈夫。長谷部くん可愛いし」
「すまん、俺日本語以外は話せないし聞き取れないんだ」
「可愛い長谷部くんには可愛いぬいぐるみがよく似合うよね」
 頼むから人の話を聞いてくれ。こらぬいぐるみを押しつけるな、顔が潰れる。

「う」
 先程まで抱かれていたせいか、ぬいぐるみからは光忠の匂いがした。男子高校生のくせに汗臭さは全く感じられず、寧ろ漂う柑橘系の芳香に陶然となる。
「ああ、思った通りすごく可愛い」
 ふとシトラスの香りが強まった。背後に寄り添う温もりに、うっかりぬいぐるみを手放しかける。

「ねえ、これからの季節、抱いて寝るならミツくんより僕の方がオススメだよ」

 前略お袋様。ぬいぐるみに付けた名前を息子の友人に漏らすのは止めて下さい。お陰で息子の友人が彼氏になってしまいました。本当にありがとうございます。