短文まとめ / 二 - 1/4

 

暗夜道中

 

 灰色の爪先が廊下を踏む。草木も眠る丑三つ時、多くの男士は眠りに就いており、夜戦部隊も出払っていた。この場は酔漢たちが賑わう広間からも遠い。明かりも無く、ただ真っ直ぐ伸びるだけの板張りの間を、長谷部は当て所もなく進んでいた。道や人生に迷っているわけではない。彼が深夜の本丸を徘徊するには、一応の理由が有った。

「はい、俺勝ち抜けー!」
「やったな後藤! そして最下位おめでとうございます長谷部さん!」
 ピエロの図柄を睨めつけ、長谷部は静かに肩を震わせた。

 これは一体どういうことだろうか。囃し立てる鯰尾の言葉も右から左に抜けていく。なまじ序盤は優勢だっただけに、長谷部は余計敗北という現実を認められない。たとえ強引に参加させられたカードゲームであろうと、掴むべきは勝利の二字である。決して最下位などという不名誉極まりない称号ではない。

「ま、待てもう一戦だ。今度こそは負けん」
 汚名返上を図る長谷部だったが、その意見は無情にも却下された。後藤、鯰尾、他粟田口の面々はこれから出陣が控えている。雪辱戦に付き合っていては男士の本分が疎かになってしまい、それは怠慢を嫌う長谷部も望むところではなかった。

「はいはい。リベンジはまた後日ってことで、長谷部さんはちゃんと罰ゲーム受けてもらいますよ」
「罰ゲーム!? そんなの聞いてないぞ!」
「あれ、言ってませんでしたっけ」
 視線で尋ねられ、骨喰が首を横に振る。同席していた男士たちも答えは変わらなかった。

「ふ、説明されていないなら罰ゲームも当然不成立だな……!」
「えーそれじゃあ罰ゲームありきで勝負してた俺たちにはつまらないっていうか」
「説明責任を怠った結果だ、諦めろ」
「でも長谷部さんが負けなかったら、そもそも罰ゲーム受ける必要無かったよね?」
 乱の鋭すぎる指摘に長谷部は思わず口を噤んだ。さらに短刀の追撃は続く。
「もし長谷部さんが勝ってたなら、罰ゲームの話を後で聞いても文句はつけなかったよね? それって何かおかしくないかな?」
 可愛らしい風貌に似合わず、乱の論調には容赦というものが一切感じられない。敗将を何のお咎めも無しに解放するほど、吉光の刀は甘くなかった。終には勢いに圧され長谷部も条件を呑んでしまう。そうして言い渡された罰ゲームこそ、本丸七不思議の解明であった。

 七不思議その一。真夜中の厨に現れる二口おばけ。
「おっ、やったプリンみっけ!」
 検証の結果、鵺を連れた獅子王による犯行と判明。つまみ食いへの厳重注意で十五分を消費する。

 七不思議その二。夜になると増える階段の謎。
「んん~焼酎……おかわりぃ……」
 検証の結果、酔った次郎太刀が踊り場で横になっていた。飲み過ぎを窘め、ついでに部屋まで運び、二十分を消費する。

 七不思議その三。井戸の底で何かを数える声がする。
「いちまーい、にまーい……くく、小判がこんなに貯まったばい……」
 検証の結果、博多藤四郎が井戸の底でへそくりを数えていた。もっと真っ当な場所、かつ夜中に数えるのを控えるよう説いて十五分を消費する。

 同様の肩すかしが続くため、四から六までは割愛させて頂く。幽霊の正体見たり枯れ尾花、と呼ぶに相応しい実態が明らかになるにつれ長谷部の体力と時間は削られていった。しかし、泣いても笑っても次が最後の怪談である。

 静寂が横たわる廊下を、長谷部は淡々と歩き続けた。空き部屋や物置が中心となる棟は、さすがにこれまでとは趣が違って見える。
 新月の夜の二時二十二分二十二秒、この時間に資料棟を歩いていた者は異界に引きずり込まれる。短刀たちの目論見通りと言うべきか、折しも今宵は朔日だった。

 自身も付喪神でありながら、長谷部はあまり怪異を信じてはいない。現に七不思議のうち六つまでもが同輩らの奇行に由来するものだった。七つ目もまた取るに足らない笑い話に終わるのだろう。心身共に疲弊した長谷部は、半ば自棄になりつつ長い廊下に足を踏み入れた。
 長い。照明も落ちているせいか、突き当たりさえも長谷部は視認することができなかった。前後左右、ひたすらに闇夜が広がっている。

 おかしいと考えてはいけない。ヒトならざる者は、そういった心の隙に付け込んでくる。ほぼ同じ大きさの別棟を何度なく歩いて、その奥行きがどれほどのものか知っているとしても違和感などない。長谷部は努めて無心に廊下の先を目指した。
 時間の感覚が少しずつ狂っていく。自分はどれほど歩き続けたのだろう。背筋に脂汗が浮かび、振り向くなと警告する理性と帰りたいと願う本能とが衝突する。激しくなる動悸を抑えられなくなり、長谷部はとうとう足を止めた。

「わっ」
「ひぃッ!」

 張り詰めていた緊張が降って湧いた声によって弛緩する。長谷部は腰を抜かしたまま、見覚えのある黒い影を見上げた。

「ごめんね、そんなに驚くとは思わなかった」
「どこぞの鶴みたいな真似をするな、心臓に悪い」
「あはは。おどおどしてる長谷部くんが珍しくて、ついね」
「ついで奇襲を仕掛けられてたまるか」
 差し伸べられた手を長谷部は素直に取った。己にとっての安心が具現化したような男が傍に居る。認めたくはないが、九死に一生を得たような気分で長谷部は密かに胸を撫で下ろした。

「帰るぞ。いい加減に眠い」
「そうだね、帰ろうカッ……!」
 燭台切光忠の形をしたモノの背中から白銀が生えている。長谷部は口角を吊り上げ、自らの得物をさらに深々と突き刺した。血の代わりに刃先を黒々とした澱みが伝う。その雫が床に落ちるより先に、異界の誘い手はその身を両断されていた。

 恐怖とは未知の存在に対して生じる感情である。紛い物とはいえ、長谷部にとって既知を象った時点で怪異に勝ち目は無かった。

「生憎、俺の知ってるそいつはもっと色気が凄まじいんだ」
 言いながら長谷部は刀を一閃する。闇を払った廊下の先では、本物の燭台切がこいびとを迎えに来ていた。

「お疲れ様、七不思議巡回コースはどうだった?」
「そうだなあ」
 首を傾け、長谷部は己より高い位置にあるかんばせを仰ぎ見た。麗しく、整った顔立ちはこの世のものとは思えない。

「ひょっほ、なひひへるんはひ」
「いやあ? 改めて、お前は顔が良いなと」
 からからと笑いながら長谷部は恋仲の頬を引っ張った。いつも余裕に溢れ、柔らかな眼差しを湛える男が珍しく眉間に皺を刻んでいる。この太刀が不機嫌を露わにする瞬間が、長谷部にはこの上なく愛おしい。

「こら」
 力強い両手が長谷部の戯れを容赦なく断ち切る。拘束から逃れてなお、燭台切の目つきは鋭いままだった。
「全く、いけない子だね」
 緩く持ち上げられた口角を目にし、長谷部は善からぬ痺れに身を灼いた。

 ――ああ思った通り、偽物より本物の方がよほど、おそろしい。