同僚にオナホを作らされる鶴丸 vs 燭へし - 1/2

 

 おう、どうした貞坊。遊びに来たのか? それとも相談事か?
 ははあ百物語。春が来たばかりだっていうのに随分と気の早い連中だなあ。それで一振り最低五話分くらいは話せるネタを持って来いって? なるほど、まあ主催が青江なら多少フォローしてくれるかもしれんが、ここは皆をあっと……じゃなくて、ぞっとさせる話を披露してやりたいものだなあ!

 俺? そうだな、俺がここ最近一番肝を冷やした話というとあれだな……
 そう、それは忘れもしない一週間前のことだ。

 

+++


 その日、鶴丸国永は非番であった。

 弥生を迎えた本丸は冬の景趣とも別れを告げ、柔らかな日差しを庭先に投げかけている。桜にツツジ、白木蓮、植わった樹木はどの枝も蕾に恵まれていた。あと一月もすれば文字通り花香るような季節を演出してくれることだろう。
 今はまだ梅のみが景観に彩りを添えている。そのような中で日向ぼっこを楽しむ男士は希少であった。その例外が非番の鶴丸を茶に誘ったのは五分ほど前のこと、白い太刀がちょうど厨に足を向けた際の出来事である。

「茶なら厨に行かずとも平野の用意してくれたこれが有るぞ」
 縁側の主はそう言って湯呑みを掲げて見せた。立ち上る湯気と茶葉の香ばしい匂いとが鶴丸の食欲を大いに駆り立てる。何より自分を誘った相手は畑当番を命じられていた。あまりにも堂々としたサボリっぷりに、さしもの鶴丸も舌を巻く勢いである。
「こいつは良いな! じゃあ俺も茶請けを持ってこよう、出店で買って来たものだが中々の評判らしいぞ!」
 鶴丸は笑顔で自室に取って返した。既に思考は鶯丸のお茶と土産の焼売でいっぱいである。足取り軽く、障子も勢いよく開けた太刀は午後もまた最高の休日になると疑っていなかった。

 食べるのが二振りなら持っていく前に楊枝の数を確認しよう。そうした気遣いが己の首を絞めるとも知らず、鶴丸は未開封の箱に手を伸ばした。

「あああああああああああああああ!!!!」

 本丸中に響き渡るような絶叫である。異常に敏い男士はすぐさま鶴丸の部屋へと駆け込んだ。その一番槍を務めた大倶利伽羅は、床を転げ回る旧知の刀を前に何となく事態が深刻ではないことを察した。同じく様子を見に来た仲間に、持ち場に戻るよう無言で促したのは彼なりの優しさである。
 痙攣する古馴染みを見下ろし、大倶利伽羅は重苦しい溜息を吐いた。何のために畑当番を擲ってまで駆けつけたのか解ったものではない。背中を踏みつけたい衝動をこらえ、褐色の刀は一人重荷を背負い込む覚悟を決めた。

「とりあえず何が有ったのか説明しろ」
 馴れ合うつもりはないが、身内の恥を晒すつもりも毛頭無い。哀愁漂う背中を見せながら大倶利伽羅は白い太刀に問い掛けた。
「俺の、俺が楽しみにしていた焼売が……跡形もなく消え去った……」
 こんな驚きは期待してなかったじぇ、と息も絶え絶えに鶴丸は語る。大倶利伽羅は早くも貧乏くじを引いたことを後悔していた。こんなくだらない告白を聞かされるくらいなら、あのだだっ広い畑を一振りで耕していた方がよほどマシである。

「それは災難だったな」
 とりあえず愚痴を聞いた時点で義理は果たしただろう。そう判断し、大倶利伽羅は二度とこの地に足を踏み入れぬつもりで踵を返した――足首を何者かが捉える。慣性の法則に従い、竜の刀はずべしと鈍い音を立てて畳に顔から倒れ込んだ。

「こうしちゃいられないぞ伽羅坊! 焼売の仇を取らずして伊達の刀を名乗れようか、なあ!?」
 俺を巻き込むな、と言いたいし実際に大倶利伽羅は同行を拒んだ。その意見が聞き入れられるはずもなく、今日もまた一匹竜王は馴れ合いを強いられるのである。廊下を行く鶴丸にずるずる引き摺られながら、大倶利伽羅は光忠と貞宗の不在を心から恨んだ。

「御用改めである!」
「ひぇええっ!?」
 白い太刀の奇襲を受け、ただえさえ押しに弱い部屋の主が身を強ばらせる。狼狽する五虎退を捉えた金色の双眸が怪しく光った。

「その方の飼い慣らし四つ足が獣に窃盗の疑い有り! 投降せよ! 今なら罪も軽いし田舎のお袋さんを泣かせずに済むぞ!」
「み、身に覚えは全く有りませんけどごめんなさあい!」
「お前はもっと身の潔白に自信を持て」
 泣き出した五虎退にすかさず大倶利伽羅がフォローを入れる。鶴丸は同行者の手によって床とお友達になっていた。決まり手はジャーマンスープレックスである。

「すまんすまん五虎退、こういう事件の犯人は意外な人物だと決まってるんでノリで討ち入ってしまった。お詫びに飴ちゃんをやろう」
 鶴丸は海老ぞりの状態で五虎退を宥めに掛かった。控えめに言っても不気味である。夜の路地裏でエンカウントしたら確実に失禁ものの様相だった。

「話を聞くにしても、もっとやり方を考えろ。あと容疑者もちゃんと絞れ」
「解った」
 大倶利伽羅の注文に鶴丸は力強く首肯してみせる。その程度で白い刀への不信が拭えるわけではないが、とりあえず五虎退の二の舞にはならないだろう。縋るような思いで、大倶利伽羅は旧友の一抹の良心に期待した。

「殿中でござる! 消失せし焼売の行方について貴公に重大な嫌疑が掛かり候! まずは御白州の場にて子細を伺いたく申し上げる!」
「あんたは一体何を解ったつもりでいたんだ」
 期待を音速で裏切られた大倶利伽羅は再び友を床に沈めた。決まり手は腕ひしぎ十字固めである。

「これはこれは鶴丸殿に大倶利伽羅殿。一風変わった訪問の挨拶ですが、それは伊達なりの最敬礼と理解して宜しいか?」
「挨拶ならこいつを落とした後に改めてするから、その認識だけは勘弁してくれ」
「既に泡噴いてますぞ」
 海老から蟹へと種を変えた太刀が崩れ落ちる。部屋の主は敷居を跨ぐなりプロレスに興じた訪問者を訝りもせず、座椅子から腰を浮かそうともしない。伊達の醜態を見届けた一期一振の反応は淡々としたものであった。

「さて、先ほど焼売がどうこう言っておられましたが、大倶利伽羅殿の想像通り私は何も存じ上げません。今の気分だと、どちらかと言えば豆大福が食べたいですな」
「だそうだ、満足したか」
 突っ伏す鶴丸に撤退を促すも、大倶利伽羅が望むような返事は無い。何やら小声で呟くのに耳を寄せれば、意外な人物こそ犯人説を俺は捨てない、と戯言が聞こえるだけであった。

「キャラメルクラッチに忙しいところ申し訳ないですが、説明をお願いしても宜しいですかな大倶利伽羅殿」
「こいつの部屋に有った焼売が消えた。それを口実に探偵ごっこに勤しんでいる」
「臆面の無さが青天井ですな」
 なお、このやり取りの最中も鶴丸は関節もろとも悲鳴を上げている。

「しかし本丸の皆が盗み食いなどという真似をするとは思えません。鶴丸殿、焼売は本当に無くなっていたのですか」
「なにい、俺の目と証言を疑うと言うのか一期」
 聞き捨てならぬとばかりに鶴丸が反論を申し立てた。ちなみに大倶利伽羅による顎責めはまだ続いている。そろそろ背骨と腰とが臨界点を突破しそうになっていた。
「人の部屋で関節極められてる刀に信頼を抱けと言われても難しいですが、あれです、灯台もと暗しと言うでしょう。ひょっとすると盗まれたという前提からして間違っているかもしれませんぞ」
「俺はちゃんと蓋を開けて確認したいたたたたギブ伽羅坊ギブこれ以上は無理」

「先に中身だけ移し替えたのを忘れてるだけじゃないのか」
 と、旧知の記憶力を全く当てにしていない大倶利伽羅。

「或いは焼売らしく蓋の裏にくっついていたとか」
 と、同僚の注意力を微塵も信用していない一期一振。

「ぬおおおおきみたち他人事だと思って好き勝手言ってくれるなあ!? そんなベッタベタで驚きもクソも無いオチ断じて認めんぞ俺はあ!」
 と、焼売の行方よりも己のアイデンティティ保持に情熱を燃やす鶴丸国永。
 三者三様の推理と思惑とが絡み合う中、事件は探偵が現場に戻ったことで急激な収束を見せる。

「蓋に全部貼り付いてた」
 大倶利伽羅最後の決め手はウエスタン・ラリアット、かつて浮沈艦と呼ばれた男が愛用していた打撃技の雄である。

「というわけで詫び焼売だ、遠慮なく食ってくれ」
「首曲がってますよ」
 ものの数分で首に角度をつけてきた同僚の再訪問にも動じず、一期一振は差し出された焼売を口に運んだ。
 些か距離を置いた対応にも見えるが、これも彼なりの理由が有る。一期と鶴丸はそう話す機会が多いわけではない。しかし、互いの身内を肴に談笑した数は一度や二度では利かなかった。

「連れ回したい気持ちも解りますが、からかいすぎは禁物ですぞ。親しき仲にも礼儀あり、相手は善意で協力してくれたのだから尚更です」
「蓋の裏に気付かなかったのは本当さ。だが光坊も貞坊もいない上に、内番で組んだ相手が鶯丸と来たら俺が出張るしかないだろう。適当に突撃かましたのは、まあ俺の趣味だけどな!」
「そんなに心配せずとも大倶利伽羅殿は上手くやっていけますよ、うちの五虎退とも仲良くして下さってますし」
「いやあ、こちらこそ五虎退にはいつも世話に――」
 ズダン。

 鶴丸の指先数センチ手前に突如として柱が聳え立つ。黒檀の机に叩きつけられた棒の先を追えば、笑顔で客人を牽制する一期一振の姿が有った。割り箸を握り拳の形で掴む今の彼に、本丸の良心や紳士的といった表現は当てはまらない。百歩譲ったところでインテリヤクザが関の山である。

「ええ、ええ。うちの弟が焼売だけでなく飴まで頂いたそうで、鶴丸殿には感謝してもしきれませんなあ、はっはっはっ」
 耳聡い長兄の手元からみしりみしり、と不吉な音が立つ。割り箸は犠牲になったのだ。(鶴丸の茶番による)犠牲(に憤った一期一振)の犠牲になったのだ。

「山吹色のお菓子で買収されちゃあくれませんかお代官様」
「それがしが所望いたすは誠意にて金銭に非ず。もののふが矜恃を見くびってくれるな越後屋」
「お代官様ノリノリ」

 居住まいを正した鶴丸の前にタブレットが置かれる。無機質な電子画面には、料理と思しき工程を写した画像がいくつも並べられていた。
 弟を脅した詫びに菓子でも作って振る舞えということだろうか。予想よりも穏やかな処分に越後屋も肩の力を抜いた。やはり行き過ぎのきらいが有るとはいえ、一期一振も弟想いの優しい兄貴分に違いはないのだ。

「片栗粉Xという珍宝をご存じですかな」
「一家に一台も有ってほしくないチンの宝が何だって!?」

 爽やか好青年フェイスからはおよそ想像もつかない衝撃の一言に、卓上の茶から飛沫が舞った。渡された機器を操作すれば、確かに記事のタイトルに「片栗粉Xの作り方」と堂々銘打たれている。これには驚きの妖精、鶴丸国永も絶句であった。

「これを是非鶴丸殿に作って頂きたいのです」
「皆まで言うなよ! 何で他人のオナホを俺が作らなきゃならんのだ!? 自分の片栗粉くらい自分でXしろ!」
「五虎退にした仕打ちをお忘れですか!」
「いやこの取引で得するのはきみだけだろうが! なに弟ダシにして一人気持ち良くなろうとしてんだ文字通りの意味で!」
「弟の苦しみは私の苦しみ、つまり私の悦びは弟の喜びでもありますからして」
「おい自重しろよ空色ジャイ●ン、前の主の影響で誤魔化すにも限度が有るからな」
「何を仰います。確かに前の主は好色でしたが、私は無闇矢鱈に女人を口説くような真似はいたしません。その辺りは弁えているつもりです。従って、この男だらけの筋肉番付タンパク質オンリーの空間にあって発狂しないためには、片栗粉Xに全てを托す他なかったのです!」
「きっと和睦の道は別に有ったと思うぞ」

 熱弁する一期一振の瞳に邪なものはない。澄み切った山梔子の色は正面から鶴丸を見据え、その思いの丈を包み隠さず打ち明けていた。一期一振は本気である。この上なく真摯に、直向きに、己の性欲と向き合っていた。その態度が友人にとって誠実なものであったかは定かでない。

「いいですか鶴丸殿、私は他人から色情狂、一期腰振、童貞マスカーク等々どのような蔑称を授かろうと全くこれっぽっちも構いません。そもそも子孫を残そうとする意志はありとあらゆる生物に共通する本能、雄が魅力的な雌に興奮するのは至極当然のことです。それを劣情だの不埒だの言って遠ざけるのは道理に反していると」
「長い」
「私の性癖がばれて弟たちが「やーいお前の兄ちゃんエロイヤルー!」と揶揄されるのだけは耐えられません!」

 粟田口の長兄は机に突っ伏し、おんおんと泣き出した。男泣きである。流石に鶴丸も同情を覚えずにはいられなかった。それほど目の前の男は惨めであった。鶴丸は刀が人の姿を取ることがいかに残酷で、いかに不合理な所業であるかをまざまざと見せつけられている気分になった。

 近頃は野鳥の声をよく耳にする。本格的な春の訪れも近いのだろう、格子の間から伸びる光帯は温かく、水仕事も以前ほど苦にはならない。
 三月の穏やかな昼下がり、誰も居ない厨で鶴丸国永は友人のオナホ作りに精を出していた。今の彼には材料を泡立てる音すら地獄の交響曲である。

(白濁液になるまでかき混ぜる、と……いや表現生々しすぎだろ、せめて乳白色とかそういう温泉みたいな感じに書いてくれ。今作っているのがオナホだという現実を忘れさせてくれ)

 意志とは裏腹に手はひたすら白濁色を攪拌する。せめてもの抵抗に、鶴丸は長い刃生の中で目にした数多の勝景を思い描いた。黒く雄々しい山々、一面に白詰草を戴いた丘陵、それらを鏡のように映し出す湖面、そして茄子紺色のジャージ……

「ジャージ?」
「なんだ、鶴丸じゃないか」

 几帳面に上まで閉めきったジャージが厨に顔を出す。白と紫のツートンカラーに金色のアクセント、その配色で例の着こなしができる上級者は本丸においてただの一振り、へし切長谷部のみに限られていた。

「お前が菓子作りとは珍しいな」
 長谷部はいかにも興味深そうに鶴丸のボウルを覗き込んだ。
 勝ち気なつり眉にぴんと張られた背筋からは信じがたいが、あれで長谷部は結構な甘党である。鶴丸にとっては耳にたこができるほど聞かされた豆知識だった。

 件の情報提供者は伊達の旧知ともども遠征に出ている。その事実に鶴丸は窃かに胸を撫で下ろした。
 長谷部と彼の刀剣、燭台切光忠は今現在、たいへん微妙な関係にある。決して仲が悪いわけではない。寧ろ二振りは主家や刀派といった繋がりが無いにも関わらず、刎頸や断金と称されるほどその親交は厚かった。

 その二振りが最近は妙に距離を置いた付き合いをしている。というより、あからさまに長谷部が燭台切を避けている。それと知った燭台切の落ち込みようは異常であった。
 長谷部に友情以外の好意を抱いている彼としては、己以外の男士に微笑みかける親友の姿など嫉妬の対象でしかない。しかも燭台切の領土とも言える厨で長谷部と二人きりと来れば、確実にお覚悟案件である。嫌だ俺はまだ死にたくない。鶴丸の心境は針の筵も同然だった。

「あ、ああ。ちょっと気になるレシピを見つけたもんでな。光坊もいないし、仕方ないんで自分で作ってみることにしたんだ」
「ほう、どういう料理なんだ」

 片栗粉で作ったオナホだよ!!!!!!

 などと言えるはずもない。鶴丸は自分の名誉のため、ひいては粟田口の短刀、脇差たちのために強いて愛想笑いを浮かべた。なお一期一振を擁護する気持ちはさらさら無い。

「お好み焼きと同じで味付けは個人の好きにしていいんだが、基本的に片栗粉で作るわらび餅みたいなもんさ。俺はオーソドックスに砂糖を入れるつもりでいる」

 上の口で味わうものじゃないけどな!!!!!!

「わらび餅か、何だか難しそうだな」
「いや作り方はシンプルだから初心者でも問題ない。何せ男の料理って言われるくらいだ」

 男が自分の欲望を料理するために作るわらび餅(わらび抜き)だからな!!!!!!

 嘘を重ねれば重ねるほど、鶴丸は自分という刀が卑しくなっていくような気がしてならなかった。何故自分は昼間からオナホを作り、あまつさえオナホをわらび餅と偽って同僚に紹介しているのだろう。鶴丸の疑問は尽きない。

「何でソーセージを中に差し込むんだ? それも具なのか?」
「シフォンケーキやバームクーヘンも中央に穴が空いてるだろ? それと一緒だ」
「なるほど、俺はどちらの菓子も好きだから期待が高まるな」

 シフォンケーキに有る穴は熱を均一に通すため、バームクーヘンは芯棒に生地を巻き付けて焼くので穴は空いていて当然のものである。間違っても完成後に棒状のナニかを出し入れするために存在するのではない。

 そうこうしてるうちに、残りの工程は冷蔵庫で冷やすのみとなった。下手に追究されるより先に、何より燭台切が帰還する前に全ての決着をつけてしまいたい。鶴丸は何かと詳細を尋ねたがる長谷部を舌先三寸で躱し、史上最悪の任務を九割方終わらせるに至った。
 あとは冷えて固まるのを待つだけである。鶴丸はようやく肩の荷が下りたような心地で厨を後にした。

「……よし」
 周囲に誰も居なくなったのを確認した長谷部が一人呟く。その足は調理器具を収納してある棚に真っ直ぐ向かって行った。

 日が傾き、時刻は黄昏時を迎える。中庭では遠征から帰還した部隊が細長い影法師を地面に落としていた。本丸の時間軸を基準にしても終日に渡る任務である。どの男士もめいめい疲弊の色を隠せずにいた。

「あーつっかれたぁ。こういうときこそみっちゃんの美味い飯を腹一杯食べてえなあ」
「そうだねえ。夕飯には少し早いけど、僕たちの部隊の分だけでも先に作っちゃおうか」
 相棒の提案に太鼓鐘貞宗は一も二もなく飛び跳ねた。同じ部隊に配属されていた和泉守以下四振りも喜びに歓呼している。その様子に燭台切は自身の疲労も忘れてしまった。やはり料理をできる人の身体は良いものである。主への報告を岩融らに任せ、軽装になった燭台切と太鼓鐘は鼻歌交じりに厨に向かった。

「貞、光忠」

 聞き慣れた低音に伊達の二振りが揃って振り返る。廊下で彼らを呼び止めたのは、他でもない旧知の大倶利伽羅だった。

「おう、どうした伽羅。何か美味そうなもん持ってるじゃねえか」
「本当だ、わらび餅かな。良いねえ、花見の季節にぴったりだ」
 黒蜜ときなこを塗した和菓子は遠征帰りの二振りに好評である。元々そのために持って来たのだろう、大倶利伽羅は迷うことなく朋友の手に皿を委ねた。いただきます、の掛け声と同時に餅が太鼓鐘の口に吸い込まれていく。みるみる喜色に染まる少年の表情を前に、一匹竜王の口角も僅かに吊り上げられた。

「うめえ! とろとろの黒蜜とさらさらのきなこが何かこう、良い感じに混ざってハーモニー的なそれを奏でとるでえ!」
「貞ちゃん無理して審査員っぽい台詞言わなくてもいいんだよ、じゃあ僕も一つ」
 そう言って伸ばした指先は褐色の腕に遮られた。貞ちゃんは良くて僕は駄目なの、と訴えるより先に大倶利伽羅が親指である方向を指し示す。そこは燭台切にとって戦場の次に馴染み深い場所だった。
「光忠の分は、厨に有る」

 橙色に染まった床に足を一歩踏み入れる。待ち人の姿を目に留め、作業していた長谷部は椅子から飛び上がった。
「しょ、燭台切。そのっ遠征! ご苦労様! だった!」
「あ、ああ! うん、ありがとう長谷部くん!」
 明らかに己を意識した声音に、つられて燭台切の身にも力が入る。ほぼ一週間ぶりの会話のためか、互いにどこか手探りのまま相手の出方を窺っていた。

「こ、これから夕飯の準備だよな。ああいや邪魔する気は無い。ただ少し話す時間をもらえたらというか、ほんの五分くらいで良いというか、お前も疲れてるだろうし小休憩を取った方がいいんじゃないかって思うんだがどうだ!?」
「落ち着いて長谷部くん、僕は逃げないから慌てず深呼吸してはい、ヒッヒッフー」
 背を撫でられ、長谷部は言われた通りにラマーズ法を実践する。特に何を生み出すわけでもないが、緊張が多少和らいだ長谷部は改めて親友に向き直った。

「この一週間、避けるような真似をして、すまなかった」
 半ば項垂れるようにして長谷部が頭を下げる。ところどころ無造作に跳ねる煤色が西日に照らされて鈍く光った。皆焼の刃紋を思わせる輝きに自ずと燭台切の脈拍が早まる。長谷部の態度が妙にしおらしいのもあって、燭台切は目の前の友人を掻き抱きたくなる衝動を抑えるのに必死だった。

「べ、別に燭台切のことが嫌いになったわけじゃない。寧ろお前と話せないのは、どうしようもなく寂しかった」
「長谷部くん……」

 あーもう僕の長谷部くんがこんなにも可愛い!!!! 抱きしめるのは駄目でも頭撫でるくらいなら問題無いよね!? 短刀の子たちにはやってるし、つまり友情の範疇ってことで認められるよね! 気にしてないよアピールで十分通用するよね!? まあ目が合うたび全力疾走されるのは結構な痛手だったけど謝る長谷部くんが可愛いから結果オーライだよ!

 という、万感の想いを込めた呼びかけを経て、燭台切は友人の髪に手を伸ばした。長谷部が肩を竦めたのは一瞬のことで、それからは与えられる温もりにすぐさま馴染んでいった。目を細め愛撫されるがままの長谷部に、燭台切もすっかり気をよくしている。

「僕も長谷部くんと話せなくて寂しかったよ。何か怒らせるようなことしちゃったかな、もしそうなら謝りたいなってずっと考えてた」
「そんなわけないだろう。太鼓鐘が来たとき、お前は大層喜んでいたからな……伊達の刀同士、積もる話も有るだろうと敢えて距離を置いてたんだ」
「もう、そんな気を遣わなくていいのに」
「はは、それも始めのうちだけだ。俺はお前と違って、自分本位で、身勝手で、嫉妬深い。俺の知らない、伊達時代の思い出を太鼓鐘らと語り合う燭台切を見て、俺は無性に悲しくなった。胸が痛かった。どうして俺じゃないんだ、と女々しい口を利きそうになった」
「長谷部くん……」

 それって貞ちゃん相手に妬いてたってことだよね!? どうして(燭台切の隣にいるのが)俺じゃないんだ、ってことだよね!? 嫉妬深いと認めてるってことは僕を独り占めしたかったってことだよね! あっこれ抱きしめても良いやつだ、遠慮する必要なんて無かった。よし抱こう、夕飯の準備なんて知らないよ今僕の頭は長谷部くんを美味しく料理することでいっぱいだよ。

 騒がしい本音を何とか呑み込み、燭台切は再び長谷部の背に腕を伸ばした。腰を引き寄せ、耳元で甘く囁き、薄い唇を吸うところまで燭台切が夢想したところで長谷部が急に身を翻す。寸でのところで虎口を脱した長谷部は、呆然とする友人を尻目に冷蔵庫の扉を開けた。

「お前の友人として俺は相応しくないのかもしれない。だが、もし燭台切が許してくれると言うのなら、また以前のように変わらぬ付き合いをお願いしたい。そのつもりで、これを作ってみたんだ」

 満面に朱を注いだ長谷部が取り出したるは片栗粉X、男の料理にして右手のお友達代表格だった。

「ど、どうだろう燭台切。俺の気持ち、受け取ってくれないか」

 頬を染め己を見上げる長谷部に反応する余裕も今の燭台切には無かった。天下の伊達男も今度ばかりは真顔である。片恋の相手から気持ちとしてオナホを渡された彼の心境を推し量れる者はいない。お友達でいましょうね、の同義語にしてはあまりにもパンクである。

 しかも長谷部特製の片栗粉Xだが、よく見ると穴も鶴丸が作ったものと比べてかなり小さい。ほどよい大きさの芯棒を鶴丸が使ってしまったことも有るが、長谷部からすれば片栗粉Xもわらび餅の亜種に過ぎなかった。いくら必要な処置といえど可食部分が減ってしまうのは勿体ない。そのような思考の下、根っからの甘党である長谷部が空けた穴の大きさは、男の沽券に関わるほど慎ましやかなサイズだった。テメーはこれで満足しとけや粗チン!!!! という残酷極まりない幻聴が燭台切の脳裏を駆け巡る。

 天国から地獄、あまりの急転直下に燭台切の麗容からはすっかり血の気が引いていた。その様子を見ていた長谷部も気遣わしげに眉をひそめる。体調不良か、あるいは自分の作った料理が原因か。試みに額に手を遣ったが、熱が有るようには思われない。いよいよ自分の料理が癌である可能性が高まり、長谷部のかんばせからも急激に色が失われていった。

「す、すまない燭台切! 厨マスターの目から見て俺の料理は審査以前の問題だったのか!? 大倶利伽羅にも手伝ってもらったし、毒味もさせたからいけると思ったんだ! そんな真っ青になるほど拙い出来なんて」
「違うよ長谷部くん落ち着いて、君の気持ちはうれ、嬉しいから……ちなみに、どうしてこの料理を作ろうって思ったのか訊いてもいいかな?」
「ひ、昼に鶴丸が作ってたのを見て決めたんだ。初心者でも簡単に作れる男の料理だって」
「へえ、そうなんだ」


「その後、隠れていた物置の扉を無理矢理手でこじ開けてきた光坊を見たときの俺の心境を三十文字以内で答えよ」
「こえーーーーーーーーッ! みっちゃんこえーーーーーッ!!」
「なお、この話にはまだ続きが有る」
「こえーーーーーーーーッ! 目から生気が失われてるのに話続けようとする鶴さんこえーーーーーーーーーッ!!」


 その夜、鶴丸国永は己の刃生を振り返っていた。
 平安の世に打たれ、時に土中に埋まり、時に墓より暴かれ、時には神社に在って俗世から離れたことも有る。伊達の秘蔵刀として二百年の歳月を過ごし、そこで大倶利伽羅や太鼓鐘貞宗といった旧知とも顔見知りになった。
 折に触れて彼らの口から上る「燭台切光忠」という刀に、人懐こい鶴丸は一方的ながらも親近感を覚えていった。太鼓鐘が相棒と呼び慕い、大倶利伽羅が悪いやつではないと迂遠に褒める。明るく面倒見の良い好青年を想像するたび、鶴丸は何度会ってみたいものだなあと考えたことだろう。

 数百年の後にその待望は見事果たされた。それが肉の器を得ての対面になるとは互いに考えていなかったが、燭台切光忠は鶴丸が期待していた通りの伊達男で、杯を酌み交わすようになるのもあっと言う間だった。

 今では伊達の中でも年長同士、他では憚られるような相談事もする間柄で、例えば好きな子からオナホを贈られそうになったんだけどこれって遠回しにお前は自分の右手と仲良くしてろって言われてるのかなところで鶴さん片栗粉Xって料理に聞き覚えない、と詰め寄られることだって日常の風景である。

「お部屋に帰らせて下さい!!!!!!」
「吐けば楽になるよ」
「考えてもみてくれ光坊、無垢な表情で何の料理を作ってるんだと訊いてくる同僚に「今絶賛オナホ作ってまーすイエーイ!」と本当のことが言えるか!? しかも他の連中ならいざ知らず、相手はあの長谷部だぞ! 真実を話した途端に俺の首が飛ぶだろ! 正当防衛ッ……! 信じて下さいオサフネハノッソ!」
「昼間からオナホなんて作らなければいい話だろう」
「ぐう正論」

 燭台切の容赦無い詰問に鶴丸は為す術も無い。客観的に見て自分の行為が品性に欠けるものであったことは事実である。一期一振とのやり取りを始めから説明しても良いが、どちらにせよ食べ物を粗末に扱うような真似をした時点で追及は免れ得ない。この世には神も仏も居ないのか。鶴丸は自身が付喪神であることを忘れて己が天命を呪った。

「燭台切、居るか」
「は、長谷部くん!? い、居るよ居ます」
 神降臨。第三勢力の到来に白い太刀はひっそり拳を握った。
 やはり日頃の行いが良いといざってときにも助けが来るんだな、と一人ほくそ笑む鶴丸だったが、日頃の行いのせいで友人に全く弁明を聞き入れて貰えなかったことは既に忘却の彼方である。

「先は普通の菓子だと思って変なものを食わせようとしてしまった。申し訳ない」
 入室するなり長谷部は深々と頭を垂れた。本日二度目の謝罪に燭台切も慌てて友人の両肩を掴む。
「頭を上げて長谷部くん、君は悪くないよ。それに本来の用途はどうあれ、僕と仲直りしたくてあれを作ってくれたんだろう? その気持ち自体はとても嬉しかったんだ」
「そ、そうなのか。だが勘違いとはいえ、一週間ぶりに話しかけてきたと思ったら、オナホを友情の証に贈ろうとする同僚なんてお前も嫌だろう……?」
「そりゃあ普通の友人にやられたらドン引きだけど、僕にとって長谷部くんは特別だからね。引くよりも別の意味で少し悲しくなったかな」
「別の意味?」
「言っただろう、特別だって。僕の方こそ、君の友人に相応しいとは思えない。君が隣にいない一週間は地獄そのものだった。長谷部くんが僕以外の男士と親しく話してるのを見ると気が狂いそうになった。間に割り込んで、長谷部くんを連れ出して、僕の部屋に閉じ込めて僕以外のことを考えられないようにしてやりたいって何度思ったことか。君は、こんな男を友人として傍に置いていていいの」

 肩に添えられていた革手袋が長谷部の背に回る。黄金色の隻眼に昏い光が宿った。どろどろとした男の執着が触れた部分から伝わってくる。己の腰を力強く抱く手に、長谷部は友人が自分を逃すつもりはないのだと知った。

「燭台切の傍にいるためには友人、でなければいけないのだろうか」
「友人じゃなければ、どういう関係になるのかな」
「だ、伊達男のくせにそういう台詞を相手に言わせるのか」
「ふふ、ごめんね。照れてる長谷部くんが可愛くて、つい意地の悪いこと言っちゃった。大丈夫、僕から言うよ。ねえ長谷部くん、友人でいるだけじゃ物足りないんだ。君と抱き合って、奥の奥まで僕で満たして、君に何もかもを許し、許される権利が欲しい。主に捧げる命以外の全てを、僕にくれないかな」
「ああ。俺を、燭台切専用のオナホにしてくれ」

 そこでそう繋がるのかよ。一部始終を見せつけられた鶴丸は唇をきゅっと結び、叫び出しそうになる衝動を押さえ込んだ。

 醤油顔で事態を見守る外野などお構いなしに、想いを通じ合わせた二振りは弥が上にも盛り上がっていく。噛みつくように唇を合わせ、煩わしげに互いの服を脱がせる様子を見るに、開通式も今晩中には済ませるだろう。

 というか初めてなんだからせめて布団だけでも敷いておやり。夢中なのは解るけどね、だって俺の存在完全に忘れてるしね、いいかい光坊お兄さんはもう部屋に帰るよ。厨に寄って夕飯の調達してから部屋でご飯食べるよ。明日は赤飯炊いてやるからな、はっはっは。

 早くも言葉責めを取り入れた睦み合いを置いて、鶴丸は友人の部屋を一人辞した。天を仰ぐ。墨汁を垂らしたような空に、真円を描く月の形だけがぽっかりと浮かんでいた。ああ、きっとこんな夜は酒が一際美味く感じるに違いない。鶴丸は頬を伝う雫に気付かない振りをして、厨へと歩を進めた。

「おや鶴丸殿」
 暖簾をくぐった先で、鶴丸は全ての元凶と遭遇した。かしゅかしゅ、と金属と金属とが擦れ合う音は昼間の再現に他ならない。ボウルの中では見覚えが有りすぎるほど有る液体が角を立てていた。

「あれこれ心を砕いて頂いたのに申し訳ないのですが、鶴丸殿のXは菓子として振る舞わざるを得ない事態になってしまいました。いえ、件のXは美味しく頂かせてもらいましたよ上の口で。冷やしたXと黒蜜の組み合わせが何とも味わい深く、オナホにするには勿体ないくらいで」
「一期」
「はい、何でしょう」
「結局自分で作るんだったら始めからそうせいやァー!!!!」

 夜半の厨に白濁色が舞う。己の王国が見るも無惨な状態になっているとはつゆ知らず、燭台切は長谷部の肢体を夢中で貪っていた。

「この事件から数日後、一期の枕元に「兄弟みんないち兄に幻滅したりしないけん、あげなもんに頼らんでもよか」というメッセージカード付きでTE●GAが添えられていたそうだ」
「その話がいっちばん怖かったぜ鶴さん」

 後日開催された百物語は盛況のうちに終わったが、そこで鶴丸の大冒険が語られたかどうかは参加者の意向により伝わっていない。ただ一つ確かなのは、あれ以来鶴丸と一期一振が揃って片栗粉を使った料理を避けるようになったということだけである。