「好きなやつが中々手を出してこないので彼ジャーで誘惑してみた」 - 1/9

 

 

 へし切長谷部は緊張している。
 初陣だろうと本能のままに刀を振るい、酒席で宴会芸を披露した際も動揺した様子は見られなかった。魔王の刀らしく胆力に優れた一面を見せ、期待の新刃だと持て囃されたものである。

 その長谷部が今、肩を小刻みに振るわせ手に汗を握っていた。理由は彼の目の前にある衣服である。
 紺色をベースに白のラインが数本入ったジャージ。シンプルながらも華やかな印象を受ける衣装は、持ち主の信条をよく反映したデザインと言えるだろう。

 生憎と長谷部はファッションには疎い。とある伊達男が数十分掛けて頭部のセットをしようと、長谷部はその前後で違いを見分けることができなかった。彼が愛用している内番着にしても、機能性は高そうだなという感想くらいしか抱いていない。
 長谷部が価値を見出しているのはジャージそのものではなく、ジャージを着ていた男の方である。
 顕現してより数ヶ月、長谷部は「彼ジャージ」なるものに憧れていた。

 紆余曲折を経て、長谷部は先日とある刀と恋仲になった。本丸の筆頭近侍にして古株である男の名は燭台切光忠という。
 この本丸には長らくへし切長谷部が顕現しなかった。その間に燭台切は長谷部への執着を拗らせ、いざ待望の刀が来るや歪んだ愛情を注ぎ込んだ。長谷部にとっては良い迷惑だが、結局は惚れてしまったのだからお互い様だろう。

 しかし、二振りのからかい、からかわれる関係性は後々多大な遺恨を残した。恋仲になったというのに、長谷部は未だ燭台切に甘えられずにいたのである。
 花一つ飾るだけで激しく追及してくるぐらいだ、面と向かってお前のジャージを貸してくれなんて言おうものならどんな目に遭うか判ったものではない。
 己の矜恃と貞操のためにも、燭台切には内密に野望を叶えようと長谷部は決意した。そして今、なんとも唐突に好機が巡ってきたのである!

「ん……」

 部屋の主は珍しく壁にもたれ、うたた寝している。最高練度に達しているだけあって、燭台切の勘は並外れて鋭い。起きている彼の太刀を相手に、油断を突いて服を拝借しようなどとは考えてはいけない。そうなると意識の無い今こそが狙い目である。
 長谷部の瞳孔が猛禽類のごとく光った。機動の限りを尽くし、座椅子の背に垂れる布に手を伸ばす。

「……完全勝利ッ!」

 長谷部は小さく拳を握った。自らが羽織っていた上着を脱ぎ、手に入れたばかりの衣服に腕を通す。
 燭台切は長谷部よりもだいぶ体格が良い。服のサイズになるとこの差が大分顕著になって、袖を伸ばすと手首の先を覆ってしまうくらい大きかった。

「ふ、まさか俺が萌え袖を実践することになるとは……」

 同性としては妬ましいが、好いた男の立派な骨格を想起すると満更でもなくなる。
 長谷部は念願の彼ジャージを前に著しく知能が低下していた。自分で自分の身体を抱きしめて思うことには、うわあ燭台切の匂いがする最高このままお持ち帰りして毎晩頬ずりして寝たい、という具合で相当にネジが緩みきっている。
 そのまま深呼吸を繰り返し、肺を燭台切の残り香で満たしているときだった。

「なあに可愛いことしてるんだい、長谷部くん」

 背後から伸びた腕が長谷部の身体に絡みつく。天国から地獄へ。一瞬で心情のジェットコースターを味わった長谷部は声も色も失った。

「イツカラオキテタ」
「ん? いつからって言えば一番驚いてくれる?」
「今起きたばかりという答えが最も俺の心の安寧を約束してくれる」
「ふふ、そっかあ。最初から、だよ」

 足場が崩れていく心地とはこのようなものだろうか。長谷部は顕現してからの出来事を急ピッチで脳裏に描いていた。走馬燈に見える回想から判るのは、燭台切相手に油断した自分が悪かったという今更に過ぎる反省である。長谷部はほんのり時間遡行軍の気持ちを理解した。やり直せるならば数分前に戻りたい、切実に。

「こ、こらどこ触って」
「そりゃあ、恋仲の目を盗んで彼ジャージなんて可愛いことされてたらねえ?」
「ンッばか、むね、ぐりぐりするなッ」
「胸は嫌? じゃあ違うところ触ろうか」
「違うそうじゃない、ア、ゃぁあ……!」

 胸を弄っていた腕が下がり、固く閉ざされた双脚の合間に滑る。服の上から遠慮無しに揉み込まれ、長谷部から漏れる息に艶が混じりだした。次第に掌を押し上げる膨らみが増す。始めは抵抗していた身体も力が抜け、すっかり燭台切に体重を預けてしまっていた。

「服汚れちゃうね。ほら脚上げて……」
「ん……はぁ、な、燭台切……すこし、まって……ン、たのむ」
「待ってもいいけどやめないよ」
「そ、それはいいから……その、ふとん」
「布団?」
「……起きて最初からするの、はじめてだろ……だから、布団」

 長谷部の手が自らを責める男の腕に触れる。逞しい筋をなぞるように動く五指は、先の行為を拒んでいるようには見えなかった。

 燭台切光忠は有能な刀である。
 こと戦場においては百戦錬磨。敵の布陣の隙を突き、自軍の被害を最小限に抑えて最大限の成果を挙げる手管において、この本丸では燭台切の右に出る者はいない。今でこそ修行を終えた短刀たちに武勲を譲り、隠居と洒落込んではいるが、時折見せる刀捌きは長船派の祖いまだ健在たるを証明している。
 世故に長け、弁も立つ男は戦以外でも信頼が厚い。予算の相談、非番の調整から喧嘩の仲裁まで、燭台切は見事に取り仕切ってみせた。彼が筆頭近侍であることを疑う者はいない。彼の太刀は何よりも実績でその名誉を得たのである。

 果たして燭台切に不得手なことなど有るのか? 新人たちの多くが同様の疑問を持った。親しい伊達の刀たちは揃って言葉を濁す。下手なことを言って男の怒りを買いたくはないからである。

 身内にすら畏怖を抱かせる水戸家伝来の名刀は、
(173、179、181……)
 寝床を設えながら素数を数えていた。

 繰り返すが燭台切光忠は優秀な刀である。しかし、いかに完璧に見える伊達男にも弱点は有った。
 前述したように、長谷部がこの本丸に顕現した時期は非常に遅かった。その結果として、燭台切の長谷部に対する期待が妄執と化したことも既に触れた通りである。
 いざ長谷部が本丸に来るや、わざわざ煽って近侍の座を狙わせるわ、嫉妬心を利用して近侍補佐に据えるわ、男はまさにやりたい放題振る舞った。その姿は世間一般で想像される「長谷部くんに甘く優しい彼氏像」とは程遠い。
 長谷部と縁深い黒田と織田の刀が揃っていたのも災いしただろう。燭台切と長谷部とでは、刀派も刀種も主家も異なる。スタート地点から出遅れていた男は、もはや正攻法での攻略を放棄していた。全く意識してもらえないくらいなら、敵意を持たれた方がまだましである。そんな小学生男子じみた理由で、燭台切のひたすら長谷部をからかう日々が始まった。

 要するにこの男、初恋を相当に拗らせているのである! 正面きって長谷部から好意を打ち明けられようものなら思考能力がアメフラシ以下になるのである! 初夜から二戦目の今日に至るまで七日と間が空いたのも、つい片想い時代と同じく長谷部を弄ってそれらしい雰囲気に持ち込めなかったためである!
 そもそも前回はなし崩しのようなものだったので、実質恋仲になって初めての同衾である!

「……布団、敷いたよ」
 準備を整え、横で座り込む長谷部を一瞥する。俯いているために前髪が垂れ、燭台切の好む藤色は見えなかった。
「ん……」
 這うように移動し、長谷部は敷布の上で燭台切と相対した。赤く染まった耳を眼前に晒され、燭台切の全身が俄に強ばる。アメフラシ以下の理性が、はせべくんかわいいなめたいすきいちゃいちゃしたい、と人類をやめた感じの欲望を垂れ流した。

「……しないのか?」
「します」
 敬語である。ぎこちない手つきで長谷部の肩に触れれば、先を見越していた身体はすんなりと褥に横たわった。倒れた拍子に伏せられていた双眼が露わになる。熱を孕んだ眸子は明らかに男を誘っていた。内なる燭台切が、国宝をハメるとはかくも男冥利に尽きたるか、と僅かに戻った知性で程度の低いことを叫んでいた。
 衝動のままに額や頬に口付け、濡れた唇を啄む。前もって考えていた閨の手順など忘れ、燭台切はひたすら長谷部を貪ることに集中した。
「ン、は、もっと……」

 「モット(Mott)は、英語圏の姓。
ジョン・モット – アメリカのキリスト教青年会指導者。
ネヴィル・モット – イギリスの物理学者」
 ――以上、Wikipediaより引用。

 燭台切は日本語能力を一瞬喪失した。もっととは何だろう。催促を意味する言葉だと思い直したのは数秒後のことで、その間呆然としていた燭台切を長谷部が訝しんでいた。
「……燭台切?」
「大丈夫。わかってるよ、もっとだよね。もっと……もっと!?」
「れ、連呼するな! 本ッ当に意地が悪いな、こんなときくらい優しくしろ!」
 今の燭台切に戯れるほどの余裕は無い。従って長谷部の主張は的外れもいいところなのだが、常に一枚上手の男がまさか房事に戸惑っているとは露にも思わなかった。

(やさしく……やさしく……)
 繰り返し胸中で自制の呪文を唱える。初めて触れるわけでもないのに、燭台切はおそるおそる長谷部の身体の線をなぞっていった。
 上まで閉め切ってなお緩い首回りから白い肌が垣間見える。普段は露出されていない喉仏が呼吸のたびに上下した。今だって長谷部は見せようとして見せているわけではない。ただ着込んだジャージが大きすぎる。燭台切が覆い被されば、長谷部の全身は男の影に隠れて見えなくなってしまう。それだけ二振りの体つきには差異が見られた。日常ではさほど意識しない違いであるが、こと艶事においては重要な意味を持つ。

(前に掴んだときも思ったけど、長谷部くん腰細いな……)
 燭台切の中で再び征服欲が燻りだした。力を入れれば己の手だけで長谷部の腰を一周してしまうかもしれない。この細い身体が後に男の欲望を受け入れ、突き上げられるたびにしなると思うと、口角が知らぬ間につり上がった。作戦やさしくしようぜの抱負は早くも風前の灯火である。

「ぁ、やぁッ! つまむの、ン、だめだ、じんじんする……!」
「じんじん、じゃなくて気持ちいいの間違いだろう? ああもう本当に可愛いなあ……ねえ、僕のジャージ着てそれからどうするつもりだったの?」
 暗色の生地が手の形に押し上げられる。燭台切が指先を動かすたび、奇妙な凹凸も怪しく蠢いた。服の下で何が行われているのか互いに視覚では把握できない。長谷部は己の胸を嬲る不埒な手つきを想像して、足をもどかしげにすり合わせた。

「どう、って……べつに、ン~~~~ッ!」
「嘘はだめだよ。たとえばさ、部屋に持ち帰って、布団を敷いて、その上に横たわって、僕にこういうことされる想像して自分で慰めようとか考えなかった?」
 左手で硬くなった突起を押し潰し、右手で首をもたげだした長谷部の中心に触れる。先刻も中途半端に煽られた熱は刺激に飢えていた。窮屈になった肌着はそのままに、指がさらに奥へと滑る。

「それとも、部屋へ持って帰る前に僕の部屋で着替えたってことは、内心僕に見つかるのを期待してたのかな? 人様の服を勝手に着ちゃう悪い子にはお仕置きしないといけないからね」
 未だ開いていない窄まりに指が突き立てられた。布を隔ててることもあって深くは沈まないが、長谷部が後ろに咥えたものの逞しさを思い出すには十分である。
 ぐじゅ、と皺の伸びた生地に染みが広がった。圧迫された長谷部の性器は再び男に嬲られるのを心待ちにしている。胸も前も後ろも可愛がってほしい。長谷部の理性はもう限界だった。

「ほん、とは」
「ん?」
「ちょっとだけ、きたいした。おまえのジャージ着てるのみられたら、あの夜みたいにいっぱい、してくれるんじゃないかって……」

 潤む双眸、色づいた肌、濡れた息遣い。言葉と身体を駆使し、長谷部は自らを組み敷く男を誘った。効果は絶大である。燭台切は後頭部を思いきり殴られたような衝撃を味わった。

「ごめん、今日はここまで」
「え……?」
「今度埋め合わせするから。今日は解散。本当にごめん」

 長谷部が呆気にとられている間に燭台切は手際よく乱した服を戻していく。格好を整えるなり燭台切は部屋を後にした。脱兎の勢いである。真意を聞き出す余裕も与えられず、長谷部は主が不在となった部屋にひとり取り残された。

「ま、まさか……気味が悪すぎてひかれた……?」

 女のように犯されたかったなどと、同性に告白して喜ばれる方がおかしい。長谷部は己の発言を省みて顔面を蒼白とさせた。顕現が遅れた長谷部はただえさえ自己評価が低い。止める者のいない今は輪をかけて思考が後ろ向きになった。行き違いから破局まで、あれよあれよと脳内シミュレートが進む。既に長谷部の最重要課題は別れた後の身の振り方に移行していた。

 一方で部屋を飛び出した燭台切の様子であるが。
「い、いかがされたのですか主!?」
 洗面所で大量の鼻血を垂れ流している決定的瞬間を従者に目撃されていた。

 

 

「ええ、ないよ……それはないよ……」
「追い打ちをかけるな光忠。主とて猛省しておられる。これ以上傷口に塩を塗れば二度と勃ち上がれないかもしれない」
「いや君の看護を受け入れた時点で一振り目は覚悟の上だよ。寧ろ触れられない方が辛いだろうね。その証拠に拳が飛んでこない」
「単に疲弊しているだけではないか?」
「たかが鼻血に大げさだよ、特にその膝枕」
 二振り目の燭台切――光忠は恋仲であるねんへしの膝に目線を落とした。蒸しタオルで顔面を覆い、負のオーラを巻き散らかす男は紛れもなく、ねんへしの主にして本丸の近侍である。親しみやすい雰囲気の中に名刀らしく怜悧な印象を持ち合わせている一振り目だが、従者の膝を枕に打ちひしがれている姿は敗北者のそれだった。もっとも、負けたのは自分との戦いであるため周囲には手の施しようがない。

 光忠にとって一振り目は半ば畏怖の対象である。主に黙って顕現された二振り目は、ねんへしの説得を経てヒトの身体に拘るようになった。彼が男士として生きるべく嘗て対峙したのが他ならぬ一振り目である。
 鬼神のごとき強さは戦場に立ったことのない二振り目を全く寄せ付けなかった。蟷螂の斧とはよくいったものだ。二振り目が車輪に轢かれずに済んだのは運が良かったといわざるを得ない。しかし無事に生還した今でも、あの手合わせを思うと肝が冷える。

 それほどの恐怖を己に与えた男が、まさかこいびとに甘えられただけで前後不覚となり鼻血を抑えられず逃亡を図るとは誰も思うまい。二振り目は憐憫とも失望ともつかない複雑な心境を持て余していた。同じ燭台切光忠としてこんなにも惨めなことはない。男士としていつかはこの高みに、と密かに抱いていた羨望の目も霞む勢いである。

「長谷部くんだったら僕が最中に興奮しすぎて鼻血出したときどんな反応する?」
「愛いやつめ、と思いながら舐め取ってやるが」
「ありがとう。でもティッシュでいいからね?」
 何でこいつらひとの頭の上でイチャついてんだ。普段の一振り目なら真顔で睨むこと請け合いだが、流石にこの状況で文句を言えるほど男も不遜にはなれなかった。従者とその片割れの言わんとしていることとて、理解できなくもないのである。

「今すぐ再戦を、と言いたいところですが、アレのことですから暫くは思い込みに囚われてろくに話も聞かないでしょう。早いうちに解決しないと別れを切り出してきますが」
「それ詰んでない?」
「いいや、まだ荒療治で何とでもなる。そういうわけで主、明日は俺と一緒に万屋へ繰り出しましょう」