冒険者×死霊術士

 死人に口無し、亡者は蘇ること能わず。復活の奇跡が許されるのは唯一、祝福を受けた神の子のみである。故に主の許しなく彼岸の友を攫ってはならぬ。寿命は天が万物に与えし権利にして義務なり。不死を求むるは神に逆らうも同然である。
 神を敬え。師に学べ。生を歓び、死を尊べ。隣人を愛し、不徳を滅せよ。
 年端もいかない童子でさえ口ずさめる一句である。かくして信仰は大陸を席巻し、数多の英雄と悲劇とを生み出した。聖十字軍や魔女狩りの逸話は、二百年経った今でも負の遺産として語り継がれている。
 いったい炎に焼かれた女のうち、魔に親しい者がどれほどいただろう。真贋を見極める目を地上の者は持たず、無辜の娘が幾人も犠牲になった。
 一方、粛清を免れ、秘術を伝えた本物も少なくなかった。魔女の脅威は未だ途絶えていない。

「前世ぶりだな光忠、結婚しよう!」

 冒険者は男らしい眉を盛大にひそめた。
 六フィートを優に超える彼の名は、確かに光忠という。しかし正面に立つ男に自己紹介した覚えはない。そもそも挨拶を交わす必要性すらない。光忠が欲しているのは相手の首だけである。決して甘酸っぱい青春浪漫譚などではない。

「ごめん、お花畑トークは管轄外なんだ」
「はは、お前が覚えてないことくらい織り込み済だ。安心しろ、後で一人になったらたっぷり泣いてやるからな。とりあえず結婚を前提に一晩どうだ?」

 新手の呪詛か? 真面目な光忠は訝しんだ。
 男の熱視線から目を反らし、冒険者は思考する。

 先日ここの領主から頼まれた依頼は、森に住まう魔女の討伐だったはずだ。
 性凶暴にして悪辣、人肉を好み、若者の生気で不老を保つ稀代の化物。容貌こそ人と違わぬが、その本性は鬼に通ずるという触れ込みだった。
 対話による説得は無謀と判断し、光忠は死地に赴くつもりで愛刀を携えていった。そして出会い頭に求婚された次第である。几帳面に整理された書棚を眺めて、光忠は深い溜息を吐いた。

「ワンナイトラブは結構です。はあ、正直拍子抜けだよ。というか君、男の子だよね」
「なんだ、触って確かめるか?」
「やっぱり切っておこうかな」
「正真正銘、男だ。だが愛に性別も国境も関係ないだろう?」
「愛にはともかく、僕の依頼には関係あるよ。男の子なら魔女ですらないじゃないか」
「ああ、若い奴は知らないんだな。魔女狩りに遭った連中には男もいたぞ。悪魔と契約したまじない師なら性別くらい変えられるだろう、ってな」

 冒険者の目に光が灯る。秋波を避けていた視線が、古を語る青年のものと交わった。
 淡い紫の双眸に欺瞞の色は滲んでいない。せいぜい二十半ばといった風貌も、不老の法を会得しているなら或いは。
「仮に君の言葉が真実だとして、それを証明する方法はあるのかい」
「今のところはない。が、お前の信頼を得れば話は別だろう」
「初っ端に前世からの縁を主張されたお陰で、現時点での信頼はマイナスに振り切ってるよ」
「問題ない。お人好しの光忠くんを誑かすくらい朝飯前だ」

 光忠は眉根を寄せたが、反論の声は騒音に掻き消された。しゃんしゃん、と卓上の鈴が鳴り響く。ひとりでに震える飾りに驚いているのは客人まろうどのみ。意味を知る主人は不敵な笑みを頬に貼りつけた。

 宣教の旅路が無に帰そうと、教会の権威は衰えなかった。否、失墜を恐れた者たちが苦肉の策を採ったがために、最悪の事態だけは免れた。内憂を却けるには、身分問わず共通の敵を作ってしまうのが手っ取り早い。国外に勢力を拡大できなかった教会は、魔女という仮想敵を構想し、聖十字軍の失敗から目を逸らさせた。
 魔道を以て対抗する魔女もそれなりにいた。彼らの力は強大で、多くの兵士が志半ばにして斃れた。数に劣る術士たちは、屍を操り自らの手足とすることで災禍に抗った。禁忌を厭わぬ魔女の覚悟は、信仰厚い民たちに恐れられた。

 果たして争いの天秤は教会側に傾いた。とはいえ、死霊使いは一人でも十分脅威になり得る。そこで教会は密告や異端排斥を奨励し、少なからぬ褒賞を約束した。二百年もの時間を経てなお、魔女狩りが続いている理由である。

 一度の密告につき銀一枚、魔女を一人討伐すれば金百枚。無辜の民が陥れられぬよう、魔女裁判の開廷が保証されたが、司法すら拝金主義に染まっていたことは言うまでもない。
 光忠に依頼した地方領主も同類であった。異民族との交戦や、隣国との競争を生き抜くためには教会の助力が必須である。何とか司祭への覚えをめでたくしたい。
 蓄えた脂肪を揺らし、彼が至った結論はやはり短絡的なものだった。

「森に腕の優れた薬師がいる」
 間諜からの報告を聞き、領主は喜び勇んだ。薬師が真に魔女であるかどうかは関係ない。いつの世も大衆は醜聞を好んで広げる。贄を呼ぶだけの舞台が整えば、後はそれらしく役者を揃えるだけだった。

 燭台切、の通り名を持つ冒険者が森に入って数刻経つ。ギルドでも評判の若者らしく、魔女相手に単身挑む度胸をも持ち合わせていた。

 燭台切が事を成せば、復命する前に毒矢で仕留める。
 燭台切が敗北したとして、弱っている魔女を領主側が叩けば良し。

 恵体の主に雇われた弓兵たちは、樹上より辛抱強く小屋の様子を窺った。周囲は森閑としており、一向に剣戟の音は聞こえてこない。

 待つこと暫し、不意に静寂が乱される。みすぼらしい木製の戸が軋んだ音を立てて開く。入り口から顔を出したのは、血を浴びた冒険者だった。腰に佩いた得物の他に、左手から垂れ下がるものが見える。狙撃に自信のある狩人には、燭台切の手にしているのが人の生首であると判った。
 急ぎ矢を番える。羆ですら数秒で屠る猛毒だ。頑強な冒険者といえども、掠っただけで悶絶は避けられないだろう。
 風切り音を従え、凶刃が飛ぶ。狙いは過たず、男の眉間に矢が突き刺さった。

 暗殺者たちが地上に降り、斃れた冒険者の元へと近づく。息があるかの確認に加え、魔女の首を回収しなくてはならない。
 用心深く距離を詰めた彼らは、目にした男の変わりように息を詰めた。
 眼窩は窪み、歯は抜け落ち、ところどころ腐り落ちた膚からは蛆が湧いている。吐き気を催す光景に皆が皆、我を失った。いかに毒が強力でも、たった一瞬でここまで腐敗するはずがない。つまり男は始めから死んでいた。死んだまま小屋を出て、その足でここまで歩いてきていたのだ――!

 古ぼけた扉から影が躍り出す。真新しい血糊が屍の上に降りかかった。背を斬られた弓兵がもんどり打つ。一拍遅れて襲撃に気付いた傭兵たちが武器を抜いた。ナイフの群れが標的に迫るも、影が繰り出す閃光に阻まれ届かない。また一人、また一人と、骨肉を断たれ地に伏した。
 数の不利をものともせず、襲撃者の操るくろがねは易々と敵の首を跳ねる。やがて立っているのは黒髪の青年だけになった。

「お見事」
 共犯者の健闘を讃え、魔女が拍手交じりに庭先へと出てきた。彼の首は当然繋がっている。奇襲を避けるためとはいえ、禁術を目の当たりにした光忠の心境は穏やかではない。

「まさか本当に死霊使いとは思わなかったよ」
「俺だって必要がなければ使わないさ。不衛生だしな」
「理由」
「でも結構便利なんだぞ。わざわざ墓を作らなくても自分で掘って埋まってくれるからな」
「死者への冒涜甚だしい……まあ助かったのは事実だし、お礼は言っておくよ。ありがとう」
「恋人のために尽くすのは当然だろう」
「まさか前世の話も本当なのかい」

 さぞ力強く肯定するかと思いきや、魔女は目を眇め口を噤んだ。居丈高で自信の塊のようだった彼は、光忠を眩しそうに見るだけで何も言わない。
 日が傾き、木々の間を縫って斜陽が降り注ぐ。夕暉を浴びた魔女の髪は、光忠が頼みとする刀身の色を彷彿とさせた。その鈍い光に中てられたのか、光忠は自分でも思ってもみなかった文句を口にしていた。

「また会いに来てもいいかな」
 魔女のかんばせに驚愕の色が浮かぶ。齢二百年を生きながら、自分より幼く見える顔立ちが光忠は何だかおかしくなった。

「前世云々は置いておいて。君とは案外、良い友達になれそうな気がするんだよね」
「友達だと」
「不服かな?」
「ああ当然だ、さっさと思い出してベッドをギシギシ言わせろ」
「ベッドをギシギシ言わせるより、もっと大事なことを君に言ってもらわないと無理だよ」
「好みのプレイか」
「名前より先に性癖を知ってどうするんだい」

 ――ああ、全く以て彼とは話が合わない。でも慣れてくると、このすれ違いばかりな会話も悪くないなって思えるんだ。君も同じ気持ちでいてくれたなら嬉しいな。ねえ、長谷部くん。
 己の名を告げた魔女は述懐する。宜しく、と差し出された手はまるで昔と変わってない、と。

 

 死霊術は神の権能を侵す大罪である。
 およそ人の身には許されず、禁忌を破った者には相応の報いが待ち受けているだろう。
「ごめん、ごめんな……」
 限界を超えて形を留めていた骸は、肉片すら残さず塵となった。
 過去を分かち合った記憶は零れ、七日から五日、五日から三日と、青年が人でいられる時間は日に日に短くなっていく。
 いつしか恋人は、腕に抱いた男の名前すら思い出せなくなった。
 神を敬え。師に学べ。生を歓び、死を尊べ。
 神を恨み、師を捨て、生を厭い、死を否定した男を狩る死神は、二百の年月を経た今も訪れていない。

 


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