国重おじさんはいつも傘を差している。
雨の日はもちろん、晴れの日も、茹だるような夏の暑い日も、指先がかじかむような冬の日も、ずっと黒い傘を手放さない。
どうして? と以前尋ねてみたら「お気に入りなんだ」と、たったそれだけ。詳しいことは他に何も話してくれなかった。
いくらお気に入りだからって、裏地まで真っ黒な傘じゃあ今の季節は辛いだろう。猛暑だ熱中症だとニュースは連日騒ぎ立てている。
私はおじさんの体調を気遣って、そう、親切心のつもりで「日傘には向いてないと思うよ」と言ったことがある。おじさんは「案外そうでもないぞ」と微笑むばかりだった。
この叔父は身内ながら大変美しい。私の忠告をやんわりと拒んだとき、眉宇に僅かな陰が差したのが、ことに艶めいて見えた。
ちょうど思春期の最中だった私は、叔父の美貌に眩んで淡い思慕を抱いていた。三親等は結婚できないとか、そうした常識は恋に恋するお年頃には届かない。自分の助言を軽く流され、あれほどむきになったのも今思えば若さなんだろう。
私は半ば負け惜しみのような気持ちで、
「そんなに良い傘なの? ちょっと貸してくれない?」
と、黒い布地に手を伸ばした。指は虚空をなぞった。おじさんが手早く、傘を持つ腕を引いていたのだ。
「こら、触ったら危ないぞ」
叔父はそう言って窘めたが、意固地になっていた私は納得がいかない。
傘を触るぐらいがいったい何だと言うんだ。怪我をするわけでもあるまいし。
「こいつは案外、嫉妬深いんだ」
叔父は労るように、あるいは機嫌を取るように傘の柄を撫でている。
怖気が走った。慈愛をたたえた藤色の眸に、今までになく優しい顔をした叔父に、私は心底、恐怖した。
おじさんは畳んでいた傘を広げ、庭の奥へと歩を進めていく。置いていかれた私は、彼がさっきまで立っていた場所を呆然と眺めていた。
小石が割れている。断面は磨かれたように綺麗だ。
さっき傘の先端が石にこつんと当たっていた。
まさか、という疑問を、叔父が先刻発した言葉が確信に塗り替えた。
――触ったら危ないぞ。
それは、きっと言葉通りの意味だったに違いない。
この話には蛇足というか、後日談がある。
二十歳になった私は、久々に法事で親戚の集まりに参加した。
大人になったねえ、と囃したてる周囲は頬や額に年輪を刻んでいる。例外なのは叔父くらいのものだった。国重おじさんは三十を過ぎても変わらず綺麗だった。
叔父とは傘の一件から気まずく、正月に集まってもろくに顔を合わせていない。
しかし、成人すれば多少なりとも気持ちの整理がつくものだ。私は昔の不躾を謝るついでに、叔父と改めて話をしたいと思った。
国重おじさんは少し驚いたようだったが、笑って私の謝罪を受け入れてくれた。
数年ぶりの再会だったせいか、互いにいつもより舌が軽くなっていたかもしれない。
「実はあのとき、傘が石を切ったように見えて~」
と、打ち明けたのも深い意味はない。笑い話になれば一興、と思ったまでのことだ。
「ああ、それは」
叔父がビールの入ったグラスを揺らす。琥珀色の液体が波打ち、傾いた器の内側を滑り落ちていった。
「よく切れる刀だったんだ、俺の恋人は」
国重おじさんはいつも傘を差している。
五年、十年経っても汚れ一つつかない黒い傘は、かつて彼が愛した男の骨から出来ていた。
