「好きなやつが中々手を出してこないので彼ジャーで誘惑してみた」 - 7/9

 

 

 空中に複数のスクリーンが浮かんでいる。それぞれ視点は異なるが、どの映像も被写体となっているのは二振りの刀だった。

 鋼と鋼とがぶつかり、甲高い音を立てる。初太刀を受け脾腹を負傷した燭台切に対し、攻勢を続ける長谷部は未だ無傷だった。一方的な展開に見える打ち合いだが、実際はどちらも追い詰められている側である。
 このような同士討ちなど互いの望むところではない。沈痛な面持ちで刃を交える二振りは、刺激に餓えた資産家たちにとって格好の玩具だった。審神者が乱高下する数字の羅列を追って、ほくそ笑む。

 剣闘士しかり、権力者は往々にして残虐な見世物を好むものである。卓越した美貌を持つ男士がヒトならざる技量を以て殺し合う。芸術性も残虐性も兼ね備えながら、死闘を演ずる彼らは真のヒトではない。微かな良心を咎められることもなく、殿上人たちは血生臭い賭け事に大枚を叩いた。

 参加者はリアルタイムでコメントや要望を寄せられる。例えば、燭台切が防戦に徹するのには少なからぬ不満の声が上がっていた。長谷部と違い、今の燭台切は審神者の影響を受けない。長谷部のために忌み地へ舞い戻ってきた男である。その彼が愛しい刀の肌を傷つけようとするはずがない。自らを危険に晒す行為であろうと、燭台切の意志は揺らがなかった。

 さりとて出資者の期待に応えるのも胴元の仕事である。審神者は長谷部に対する呪縛の方向性を変えた。執拗に燭台切を狙っていた刀が突如その矛先を翻す。長谷部は自らの得物を以て、文字通り己の喉元に刃物を突きつけた。

「本気で戦わねば長谷部に自らの喉を貫かせます。敏い貴方なら何が最善の選択か解って下さいますね?」

 スピーカー越しに魔女の冷笑が投げかけられる。元主の提案は交渉ですらない。脅迫の材料とされた長谷部の手元は小刻みに震えている。いたずらに凶器が皮膚を掠め、白い肌に赤い珠が浮かんだ。あと少しでも刃を押し込めば、長谷部の首は胴から離れ物言わぬ屍と化すだろう。

 燭台切は怯える長谷部の瞳を見た。抗うこともできず自死を迫られ、一度は心を通わせた男と敵対させられ、いかな忠義者といえども己の境遇を嘆かずにはいられない。

 燭台切は長谷部の透き通るような藤色に惚れていた。会話すら許されぬ間柄だったからこそ、奈落にあっても清浄さを失わない瞳が殊に美しく思えた。その二つ目が今では絶望で滲み、淀みきっている。燭台切はこれまで応戦にしか用いなかった得物を、ゆるりと持ち上げた。

「ああ、お望み通り僕にとって最善の選択をしよう。舐めてくれるなよ小娘、神の怒りは金子で賄えるほど甘くない」

 光忠が一振りが腹を穿ち背を破って天を仰ぐ。何度か咳き込んで男が吐き出したものの大半は血に塗れていた。長谷部の全身が虚脱する。取り落とした武器が床を転がり、斑に散った紅の染料を広げていった。
 燭台切が一突きにしたのは長谷部ではなく己の腸だった。長谷部の自害と審神者の企てとを同時に阻むにはどうすれば良いか。この問いに対し、燭台切は迷わず自身の犠牲を選び取った。

「燭台切!」

 途端に軽くなった身体を意識する間もなく、長谷部は燭台切に駆け寄った。刀を引き抜けば、栓を失った肉袋からは止めどなく血が流れる。長谷部が肩の長帯を使って患部を塞ぐも、男の体温は徐々に失われつつあった。

 斃れた燭台切を長谷部が掻き抱く。頑是なく泣きわめく付喪神に対し、視聴者は心ない声を散々に浴びせた。外野の意見は出演者には届かない。もし聞こえていたとしても、長谷部は意にも介さなかっただろう。彼はとうとう審神者の呪縛から逃れた。燭台切の自刃は長谷部に主を捨てさせるほど強烈だったのだ。

 審神者のモニターには続々と苦情が寄せられる。ふざけるな、こんな茶番を見たかったわけではない、こんな勝負は無効だ。愛憎渦巻く攻防を求めていた層が好き勝手囀る。審神者は爪を食みながら裏切り者共をじとりと睨め付けた。

 刀のくせに。ヒトに使われるために生まれてきた道具ごときが主人に逆らうなど厚かましい。一丁前にヒトの真似事をして、愛だの恋だのに現を抜かそうとは言語道断である。
 沸々と込み上げる怒りに任せ、審神者は自らが保有する全兵力を長谷部にけしかけた。資金に飽かして蓄えた刀の数は二百を下らない。客への補償を名目にした公開処刑が始まった。
 慌ただしい靴音が渦中の現場へと差し迫る。駆けつけた粛清部隊は、あと少しで目的の階に到達するという段階で一斉に踏み止まった。

 前方に男がひとり立っている。ヒトの姿を借りてはいるが、その正体は自分たちと同じくヒトを殺すための器であった。しかし男が纏う雰囲気はこの本丸の刀と一線を画している。好事家の玩具にされて久しい自分たちとは異なり、あの太刀は戦場の匂いを色濃く漂わせていた。

「ようこそ死地へ。悪いけど、この階段より先には何人たりとも進ませないよ」

 佩いていた太刀を引き抜き、黒ずくめの男が片目を眇める。
 三桁に上る攻撃側の層の厚さに対し、防衛側に回っているのはただの一振りである。どちらが有利なのかは火を見るより明らかだろう。
 いくら人の身での戦闘経験が皆無といえど同じ付喪神、さらには審神者から強力な支援も得ている。相手が歴戦の猛者だろうと一兵卒ごときに負ける謂われは無い。路傍の石を蹴り飛ばすつもりで先鋒が打って出る。足の速い短刀の何振りかが同時に燭台切へと仕掛けた。

 一の太刀が愛染の初撃を防ぐ。鍔迫り合うには及ばない。燭台切に打ち返された際に短刀の矮躯は宙を飛んでいた。
 次いで二の太刀が乱の武器を跳ね上げる。攻め手を失った少年の首筋に痛打が叩き込まれた。瞬く間にやられた仲間の影を縫うように小夜が距離を詰める。復讐を糧とする左文字の刀は容赦を知らない。殺意の乗った一撃が敵の大腿部目掛けて放たれた。小夜の刀が虚空を切る。
 既に標的の双脚は地上に無い。床を蹴って跳躍した燭台切は、自らの峰で青髪の少年を打ち付けた。
 優雅に着地した修羅が軽く腕を振る。血を吸っていない、斬って応ずるまでもない敵をいなした刀身が鈍く輝いた。光忠が一振りの最たる瞬間とは、先端から赤黒い雫を垂らして血化粧を施したときに他ならない。

「はっ、こんなものじゃないだろう。君たちも刀なら強敵と鎬を削り、装甲ごと相手の骨肉を裂く悦びを知れ。戦場での誉れを夢見ぬ武具など有りはしない。折れるものならこの器折ってみせろ。裏切り者の粛清なんかより余程やり甲斐を感じる仕事だろう?」

 その実力を知らぬ者にとっては傲慢にしか聞こえぬ挑発である。しかし、今まで愛玩人形としての価値しか認められなかった男士らに対しては、これ以上ないほど熱く、情に満ちた激励であった。
 鬨の声が上がる。己の切れ味を、逸話を、誇りを賭けて刀たちが燭台切へと群がる。発破を掛けた男は口角をにいと歪め、全力を以て百対一の戦いに身を投じた。

 高楼の主は言葉を忘れた。憤怒と驚愕の波が代わる代わる押し寄せる。
 審神者としての力量で彼女を凌ぐ者は片手の数で足りた。訓練や経験など積ませずとも、霊力で補えば付喪神たちは逸話に相応しい切れ味を証明してみせる。けしかけた猛獣はものの数秒で膾にされた。それほどの傑物を一個中隊ほど集めれば、十分に軍と呼べる戦力になる。

 若き天才は奢っていた。彼女は男士の底力を引き出すことに興味は無い。娼家を営んでいることが表沙汰にならぬよう演練も避けていた。井の中の蛙とはまさにこのことである。審神者自慢の私兵は、上限に達した太刀一振りに圧倒されていた。
 数の力は確かに無視できない。ただ同じ頭数を揃えようと、精兵と烏合の衆とでは全く趣が異なる。蟻が何千集まろうと象には決して勝てない。戦場での機微や連携の仕方を知らぬ素人は、数多の死線を潜り抜けた燭台切からすれば赤子同然であった。

 彼女の懊悩を余所に、観客たちの反応は上々である。一騎当千の兵を取り沙汰した博打は盛り上がり、主催者を差し置いて巨額の賭け金がトーク画面に行き交った。
 いかに娘が優秀な霊能力者であろうとも、私兵兼商品を全て失っては破産する。信じがたいことに、一対多の戦いは前者に流れが傾きつつあった。

 崩落寸前の城と心中するほど彼女は潔い人物ではない。形勢不利と見るや、躊躇いなく単身での脱出に方針を固めた。その際に顧客のデータを抽出することも忘れない。匿名性を売り文句にしていたものの、娘ほどの実力者であれば念写もお手の物である。権力者の不祥事を記憶した電子媒体は、必ずや起死回生の一打となるだろう。
 緊急時に備え、現在地である操作室には地下直通のエレベーターが設けられている。侵入者が彼の肉壁を突破するのも時間の問題だ。パネルをタップし、娘は無機質な箱船が到着するのを今か今かと待ち構えた。
 重厚な音を立て扉が開く。左右にスライドしたのは、期待していた昇降機ではなく入り口の方だった。

「今更逃げられるとでも思ったのかい」

 それまで映像越しに聞こえていた低音は、肉声になると一層冷ややかな印象を受けた。後ずさって硬質の壁にぶつかる。射抜くような視線から逃れようと画面に目を向ければ、彼の太刀はいまだに交戦中であった。

 どういう絡繰りか考えてみるまでもない。現状最大の障壁である燭台切と、娘の前に現れた刀とでは格が違いすぎる。戦場を知らぬ商品と同じ、いや霊力で強化されていない分その実力は愛玩人形にも劣るだろう。審神者は多少緊張を解いた。顕現したての男士ならば隙を突く方法はいくらでも有る。

「逃げ果せてみせましょう。誰からも愛されぬ醜女や、色狂いの金持ち、ヒトの都合で呼び出されては溶かされる刀たちが私を待っているのですから」
「ヒトの慰み者となるのが刀の幸せだって? 随分と都合の良い理論を掲げてきたものだね」
「あら、では既存の刀剣を鍛えるために単なる鋼と化す男士は幸せなのですか? 政府からの施しを受けるため、罪無き刀を日々溶かして、それを当たり前だと思っている審神者は悪ではないとおっしゃると?」

 娘の勝手極まる抗弁が光忠の琴線に触れる。環境によって多少なりとも個体差は生じるかもしれないが、同じ燭台切光忠であれば号が示すとおりの切れ味を見せる。一振り目は疑いようもなく本丸の支柱であるが、選ばれる燭台切が彼でなければいけない理由は無かった。
 物に付喪神が宿るのはヒトに長く望まれた証である。例外なくヒトに愛されながら、男士として顕現できるのは一握りに過ぎない。この矛盾にやるせなさを覚えなかった、とは光忠自身口が裂けても言えなかった。錬結や刀解される男士たちにも感傷は有る。

「見たところ貴方もほぼ鍛えられていないようですし、本丸でも置物扱いなのでしょう? 居ても居なくても変わらぬのなら、ヒトに求められる在り方を選ぶ方が宜しいのではないですか?」

 審神者の細い指先が二振り目に迫る。別の本丸の刀であろうと関係無い。触れれば神気を穢し、四肢を痺れさせる呪いが発動する。あの規格外に強い太刀ならばともかく、練度の足りぬ男士ならば抵抗すら叶わぬだろう。

 毒牙が光忠を冒す寸前である。喉元を打ち据えられ、娘は海老ぞりになって床へと倒れ伏した。何とか頭部への衝撃は抑えたものの、圧迫された呼吸器官はろくに役目を果たさない。苦しげに喘ぐ娘は自分を見下ろす影が増えていることに気付いた。

「気安く触れてもらっては困る、これは俺の男だ」

 金と黒との対比が美しい鞘から紅色の下げ緒が伸びている。増長したヒトを叩きのめしたのは、へし切長谷部を納めたままの刀室だった。

「思っていたより早めの登場だね。僕が口説かれるかもって焦った?」
「はっ、俺以外にお前の鞘が務まるとは思わん」
「ご理解頂けているようで何より。君もね、ご高説痛み入るけれどお生憎様。自分の幸せを他者にそっくり預けるほど卑屈になったつもりはないよ。僕は自分の意志で手足を動かせるこの身体に感謝している。鋼に戻るか慰み者になるかの二択だって? 敵を切れないならいずれを選ぼうが変わらないさ。僕は刀だ。刀が刀である悦びも知らぬ外道が、付喪神の幸せを語るなんてお笑い種だねえ!」

 指と指との間に太刀の切っ先が割り込む。気色ばんだ娘がひゅっと息を呑んだ。挫折を知らなかった天才は、このとき初めて死の恐怖を身近に感じた。うっかり手放した記憶媒体を取ろうとすれば、切断を免れた五指は今度こそ根元から失われてしまうだろう。乱れた黒髪の海から証拠物件を掬い上げ、長谷部は傍らに立つ男を一瞥した。

「恐い男だ」
「君にだけは言われたくないなあ」

 軽口を叩き合いつつ、長谷部は自らの杞憂を密かに嗤った。光忠は嘗ての境遇を嘆き、悪意に呑まれるような刀ではない。信じてはいたが、実際に彼の太刀からその心中を聞かされると想像以上に胸が熱くなった。
 やはりこの刀以外に背を預け、共に歩みたいと思う男はいない。土から成り、男士としては半端な存在だった長谷部である。光忠が持つ刀としての矜恃に深く感じ入るのは当然だった。

「お前に惚れて良かった」
「どうしたんだい、いきなり」
「万屋デートを楽しみにしてるぞ、という圧だ」
「ははは。それはまた、期待には応えないとね」