「好きなやつが中々手を出してこないので彼ジャーで誘惑してみた」 - 9/9

 

 

 新緑の季節も過ぎ、暦が水無月を迎える。梅雨入りが噂される中、その日は珍しく青天が広がっていた。

 午前のうちに執務を終え、燭台切は珍しくひとり商店街へと足を向けている。愛しい刀は修行から戻った宗三と出陣中、従者とその伴侶は遠征に出ていた。これから会う刀とは皆顔見知りであるが、指名を受けたのは近侍の燭台切だけである。あの本丸の顛末が気になったこともあり、燭台切は快く申し出に応じた。
 例によって審神者は留守がちであり、決済の多くは近侍の判断に委ねられている。政府から催し物の報せ、万屋の新商品入荷案内。代わり映えしない題名と送信者の羅列に、その文はひっそりと紛れ込んでいた。

「今日はわざわざ時間を割いてくれてありがとう」
「気にしないでくれ。僕も君たちのその後を知りたかったからね」

 案内された個室には、先日付けで解体となった本丸の燭台切がいた。
 共に注文を済ませ、軽く近況を報告し合う。主に聞き手に回ったのは古参の燭台切――一振り目の方だった。

 政府の介入から審神者の送検に始まり、各業界の有力者たちが一斉摘発された大事件である。政府預かりとなった本丸の刀たちも、証言や検査等で心安まる時間はほとんど取れない。ようやく外出許可が下りたのがつい数日前のこと、燭台切は自由を得るなり迷わず一振り目に連絡を入れた。

「思ったより政府が融通してくれてるようで安心したよ。他の刀たちはどうしてるんだい」
「今は待機中だけど、配属先はバラけそうかな。仲間といっても顔を合わせる機会は無かったし、二百もの刀剣を一度に受け入れられる本丸は少ないからね。ある程度希望は汲んでもらえるみたいだけど」
「へえ、なら君の長谷部くんと離される心配も無いわけだ」

 長谷部の名を聞いた途端に燭台切の箸が止まった。その反応で一振り目は自分が呼ばれた理由を何となく察する。個人的なお礼をしたいというのは口実で、彼の本命は寧ろこちらだろう。蓮根の天ぷらを挟みつつ、一振り目は先を促した。

「怒濤の救出劇まで演じた仲だろう? 上手く行ってないのかい?」
 本丸の古株であり、近侍を長らく務めた男は相談にも慣れている。個室にふたりしか居ない今、周囲の目を気にする必要も無かった。ここは大胆に踏み込むべきと判断し、一振り目は迷わず核心に触れていく。

「上手く、というか……そもそもスタートラインにすら立てていないというか」
「あれ。彼も満更でもなさそうだったけど、まさか君の片想い?」
「長谷部くんは一度記憶を消されてるんだよ。何となく身体が覚えていることも有るけれども、彼にとっては僕も昨日今日会ったばかりの仲に過ぎないんだ」
「それは難儀だねえ。でも全く脈が無いわけじゃないんだろう? なら押していけば大丈夫だよ。作戦名はガンガンいこうぜ、だ」
「そうだね……いい加減ベッドの上でだけ語り合う仲は卒業したい」
「んッ?」
 薄く切られたお造りが醤油皿に沈む。素材の味も職人の拘りも台無しになった刺身は、濃茶の海から救い出された後もぼたぼたと調味料の雫を滴らせていた。

「もしかして君たち、やることはやってるのかい」
「……その、場所が場所だったもので。僕と長谷部くんを指名していた客は常連だったから割と頻度も高くてね……審神者の霊力も身体に蓄積された経験だけは消せなかったと申しますか」
「互いにすっかり調教された身体を持て余していると」
「お恥ずかしながら」
「いやもう秒読みじゃん。スタートラインとかそういう問題じゃないよね? 助言する必要性皆無だよね? ゴールすら越えて勝利チームが場内一周する段階だよそれは」
「僕は身体だけじゃなくて彼の心も欲しいんだよ。色々と段階をすっ飛ばしてしまったから、健全にお付き合いを始めた先輩の意見が聞きたいんだ」
 燭台切は身を乗り出す勢いで一振り目に熱い視線を送った。塩分の塊を真顔で咀嚼し、古参の刀は我が身を振り返る。

 意中の刀が来ないまま二年が経過し、庭に生えている菫を長谷部くんと呼んで愛でた日々。主から拝領したねんへしを従者にしながら、いつか来るだろう長谷部に思いを馳せた過去。いざ顕現した長谷部が慣れぬ寒さに身を震わせ、好奇心から雪を頬に押しつけた出会いの記憶。嗜虐心が募るのに任せ、長谷部に意識してもらうためと挑発を繰り返し、近侍の座を狙うよう唆した策謀の数々。その遠回しなアプローチが祟って、自分と同じ顔をした男を密かに囲われた忌々しい事件。最終的に両想いと判ったからいいものの、同意を得ずに相手の身体を暴いた初夜。

 健全なお付き合いってなんだ。第一歩から盛大に道を踏み外した刀は、虚空を見つめ哲学的な思索に走った。

「…………交換日記から始めればいいんじゃないかな」

 醤油の味しかしない刺身を嚥下し、一振り目が投げやりに言い放つ。

 肉体を得て一月もせずに童貞を卒業した二振り目。初陣より先に夜の営みで海千山千となった後輩。いずれも刀で敵を屠った数より、光忠が一振りで好きな相手を貫いた数の方が多かった。ああ最近の若者は爛れている!

 怒りの箸が新たに届いた白焼きを捉える。感情に囚われた男に繊細な味わいを楽しむ余裕は無い。

 戦働きから事務仕事まで万能に活躍する筆頭近侍、燭台切光忠。彼が初恋の呪縛から逃れる日はまだ遠そうである。

 

 

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