「好きなやつが土人形に夢中なので俺も二振り目顕現して囲ってやる」 - 1/7

 

 

 本丸を一望できるほどの高地にその小屋は在った。
 四隅には蜘蛛の巣が張られ、工具を収めた棚からは黴臭い臭いが漂っている。人の手より離れて幾年月が経っているのか、床板や天井に空いた穴は十指では到底足りそうにない。
 ほとんど廃墟同然の場所である。これに価値を見出すのは、せいぜい雨風を防げれば十分と考える浮浪者くらいであろう。
 そんな打ち棄てられた山小屋を、一人の青年が訪ねた。

 煤色の髪が月明かりに照らされ、抜き身の刃のような輝きを走らせている。その懐では紫の下げ緒を垂らした刀が揺れていた。
 迷わず足を踏み入れた彼の周囲に埃が立つ。すぐと噎せ返りそうな惨状にも気を留めず、青年は囲炉裏端に腰を下ろした。
 そして抱えていた太刀を目の高さにまで掲げ、静かに抜刀する。夜光よりも目映い刀身に男から恍惚とした息が漏れ出た。ここに来るまでにも張り詰めていた緊張は今や最高潮に達してる。興奮冷めやらぬままに青年は瞼を閉じ、意識を自身の深い領域にまで落としこんだ。

 刹那、男の持つ刀から光が生じ、膨れ上がる。瞬く間に室内は日中と見紛うほどの明るさに包まれた。光が薄れるにつれ、その中心に出現した何者かの輪郭も徐々に明らかになっていく。どこからか桜吹雪が舞った。薄い桃色が降りしきる中に、夜闇に溶けそうな黒装束と金色が浮かぶ。一つきりの瞳をゆるりと動かした美丈夫は、自分を呼び出した青年に微笑を投げかけた。

「僕は、燭台切光忠。青銅の燭台だってき」
「違うお前じゃない」

 開口一番の拒絶に燭台切と名乗った青年が面食らう。何が不満だったのか、男は自分を認めるなり背を折ってわんわん泣き崩れてしまった。訳も判らず燭台切は目の前の男を必死に慰めた。彼が男から事情を聞くことができたのは、それから十五分も後のことだった。

「つまり一振り目の僕に懸想してるけど確実に嫌われたから、開き直って二振り目の燭台切光忠と懇ろになろうとしたものの、やっぱり一振り目じゃないと駄目だって気付いて、顔を合わせるなりチェンジを要求してきたって認識で良いのかな長谷部くん」
 今ひとつ要領を得なかった男の説明を何とか噛み砕く。思考を整理するうちに燭台切の口から自ずと重苦しい息が漏れ出た。その原因である彼の同輩、へし切長谷部は今もなお鼻を啜って端整と言って差し支えない顔をぐずぐずに崩している。

「燭台切光忠という刀はどいつもこいつも臓腑の内に皮肉と嫌味ばかり詰め込んでるのか」
「前口上述べる隙も与えず一方的に振ってきた君がそういうこと言うんだ? そのせいで長谷部くんへの第一印象は底の底を突きそうになったし、別に振られたこと自体は悔しくないけど腹立ちはするよ」
「うう、それは悪かった、謝る、あやまるからあいつと同じ顔で、酷いこと言わないでくれ」

 涙目で懇願する長谷部の様子は幼子のそれとほぼ変わらない。燭台切は頭を抱えた。

 個体差こそあれど、どの燭台切光忠もへし切長谷部という刀に一定の関心を持って顕現する。そして導き出される結論は必ず、気はともかく話は合いそうにない、だった。主の一番を所望し男士を競争相手と見なす長谷部と、主相手にも苦言を呈し人の和を重んずる燭台切とでは素より水と油である。
 それでも燭台切は、怠慢を憎み職務に忠実な長谷部の性根を好ましく思っていた。少なくとも戦場や実務においては頼りがい有る同僚だと認識している。おそらくは己を顕現させた長谷部も例のごとく冷酷無比の主命狂いに違いない。
 ――という燭台切の予想は見事に裏切られた。

「もう、もう燭台切にきらわれるのはたくさんだ、俺だってやさしくされたい……だからっ二振り目に、いっぱい可愛がってもらおうって、おもったのに……いやだ、すきじゃなくていいから、きらわないでくれっ……」
「あー! もう解った! 解ったから泣き止んでよ、嫌わない嫌わないから、ね? 落ち着いて息して? はい、すーはーすーはー」

 だだっ子か! 同朋の背を撫で、零れる涙を手袋に吸わせた燭台切が内心吼える。
 長谷部の様子を窺う限りでは、一振り目との交流が上手く行かないのもこの藤色の刀に原因が有るようにしか思われない。しかし当人の話を聞いてみると、一振り目も一振り目で問題が無いわけではなかった。

 この本丸にはへし切長谷部が二振り居る。
 うち一振りは二振り目の燭台切を顕現した長谷部、もう一振りは正確には刀剣男士ではなく、長谷部を模した土人形――ねんへしと呼ばれる道具の一種だった。

「ねんくん、ちょっと」
「はい主、醤油で宜しかったでしょうか」
「そう。まだ何取ってほしいかも言ってなかったのに、よく判ったねえ」
「俺は主の刀なのですから、これぐらいできて当然です」

 そう言って胸を張る従者に燭台切は慈愛の目を向ける。掌に収まる程度の大きさしかないねんへしだが、体格のハンデをものともせず主をよく支えていた。特に燭台切の練度が上限に達してからは四六時中、それこそ影のように付き従っている。
 大の男が人形に話しかける構図は些か滑稽ではあったが、慣れた同僚たちからは概ね生温かく見守られている。これを白眼視して殊更に蔑もうとするのは、一握り、というよりほぼ一振りに限られた。

「定食一人前」
「はい、今すぐ用意し」

 注文した側、された側ともに動きが止まる。同じ屋根の下に暮らしながら、互いに遭遇を予期していなかったとばかりに顔が強ばっていた。主の変化に敏い従者に袖を引かれ、そこでやっと燭台切も我に返る。

「はいお待たせ、定食一人前だよ」
「なんか俺のお浸しだけ異様に量多くないか、嫌がらせか」
「穿った見方するなあ。長谷部くんは平気で食事抜いたりするから、摂れるときに栄養摂っておかないとって思っただけだよ」
「そうだぞ。人生の斜陽に差し掛かったみたいな面して、ほうれんそうが苦手という嗜好をこれ見よがしに弄り倒したいわけではない」
「主従揃って圧し斬られたいのか貴様らぁ!」

 カウンターに身を乗り出そうとする長谷部だったが、その暴挙は怒声を聞きつけた男士たちによってあっさり鎮圧された。毎度のことである。長谷部を羽交い締めする日本号も、厨の主へ狼藉を詫びるついでに旧知を詰る宗三の対応も手慣れたものだった。

「お前なあ、2.5頭身相手に張り合って大人気ないとか思わねえのか」
「カンスト太刀相手に突っ込んでも返り討ちされるのがオチなんですから、食事時の大立ち回りは止めて下さい。僕の朝餉にホコリが入ったらどうするつもりなんです」
「うるさいうるさいうるさーい! 自分と同じ顔した人形相手に暴言吐かれるこっちの身にもなってみろ!」

 暴れる長谷部の訴えを聞き入れる男士はいない。この本丸は二振り目の顕現を認めておらず、客観的に見ても長谷部と燭台切、いずれに理が在るかは明白だったからである。
 土人形とはいえ、自分より先に同じ刀剣を模した男士が存在し、既に一定の地位を築いていることに対する反感など、他の者は知りようもなかった。

「いやあ、それは一振り目のが正論だよね。ご飯は三食しっかり食べないと駄目だよ」
「昨日顕現したやつに食事の重要性を説かれる俺」

 隙を見て二振り目を訪ねた長谷部だったが、懸念とは裏腹に男はたった一晩で俗世にひどく馴染んでいた。予め用意しておいたジャージに身を通し、どこから調達したのか握り飯まで頬張っている。荒ら屋とも呼べなかった小屋も随分と補修が進み、仮住まいにも耐えられそうな段階まで持ち直していた。

「食材を分けてもらおうと里に下りていったら、たまたま親切な老夫婦に会ってね。畑仕事手伝ってくれたお礼にって、ご飯から着替えまで色々お世話になっちゃった」
「お前無一文スタートでも一週間で革張りのソファに寝転がってそうだな」
 恐るべし伊達男のコミュ力。順応力の高さに若干の薄気味悪さすら覚えつつ、長谷部は手荷物を広げた。少量の衣服に幾つかの金物。特に燭台切の目を惹いたのは黒の単衣のようで、わざわざ手袋を外し素手で感触を確かめる気に入りようだった。

「一応訊くけど長谷部くん、これ本丸から持ち出してきたわけじゃないよね」
「全部俺が買い揃えたものだ、要らん心配はしなくていい」
「そっか、疑ってごめんね。その芋ジャーを着こなす君のセンスからこんな僕好みの服が来るとは思わなくて、もしかして一振り目の私物を横流ししたのかと」
「包丁より先にガムテープを持って来た方が良かったか」
 昨晩に醜態を晒したせいか、口上キャンセルが尾を引いているのか、二振り目の言動も長谷部に優しいとは言い難い。多少それを不満に思わなくもなかったが、下手に本心を隠す必要が無いだけ長谷部の心境は一振り目と居るときより気楽だった。何より自分の贈り物を快く受け取ってくれるのが喜ばしい。

「服については一振り目が着ているのと同じだ。サイズの保証まではできんから、合わないようなら言ってくれ」
「一振り目と同じねえ」
「何だその目は」
「こっちの単衣はともかく、今着てるジャージは昨日貰ったものだったんだけど。何で一振り目が使ってるのと同じデザインの服を長谷部くんが持ってたの?」
「細かいことを気にする男はハゲるぞ。しかも頭頂部から円形に広がっていくタイプのハゲだ、覚えておけ二振り目」
「うっわ、一番悲惨なタイプのハゲだ。自重しよう」

 洗濯当番の際にサイズを覚え、同じデザインの服を注文し「彼ジャージ」とやらを実践したみたかったなどとは口が裂けても言えない。長谷部のプライドは高きことアルプス山脈がごとしだが、そのメンタルはせいぜい木綿豆腐が良いところだった。ちなみに彼ジャージは実行に移されず、未開封のまま二振り目に譲渡されている。

「はは、僕てっきり一振り目と同じ服を買って彼シャツごっこに興じてるのかと思ったよ」
「お前なんて嫌いだ」
「どうしてその手のお約束は頑なに裏切らないんだい」

 図星を突かれた長谷部が体操座りでいじけ出す。新しい衣装に気をよくしていた燭台切もこれには辟易とするしかなかった。へそを曲げた長谷部を宥めるのは非常に面倒くさいのである。

「ねえ長谷部くん、そんなに一振り目が好きなら正直に話してみたらどうかな。同じ燭台切光忠として保証するけど、彼は自分に向けられた好意を素気なくあしらうような刀じゃないと思うよ」
「冗談抜かすな。今朝もぎゃあぎゃあ噛みついてきたばかりだぞ。今更どの面下げて実は好きでしたとか告白できるんだ」
「だーかーら、まずこれまでの態度を謝って、それから今後は仲良くしていこうって繋げれば良いんだよ。君だっていきなり伴侶の地位を得ようなんて思ってないだろう?」
「まあ、それは、そうだが」
「よし方針は決まったね、じゃあ立って立って。善は急げだよ、長谷部くん」
「はあ? おい、こら引っ張るな馬鹿力っ!」

 制止の声を無視し、長谷部の腕をひいたまま燭台切は小屋を出る。眼前に鬱蒼とした森林が広がった。樹木の根は複雑に入り乱れ、道と言うべき道も無い。先行く者にとっては、梢の合間より漏れる朱い縞だけが唯一頼れる案内人だった。

「おい、言っておくが本丸には」
「戻らないよ。その前に手土産を調達しておかないとね」

 しゃがみこむ燭台切につられ、長谷部も地面に目を遣る。落葉の隙間から竜胆の花が顔を出していた。

「安直かもしれないけどね、好意を表すのにプレゼント作戦は有効だって思うんだ。どう長谷部くん。君はこの花、好きかな、嫌いかな?」
 青紫色の花弁が黒い指先に弄ばれる。それを黙って見つめるうちに、長谷部の柳眉が少しく歪められた。その面差しが描く表情は曖昧で、憂愁とも喜悦とも取りがたい。

「ああ、俺もこの花の色は嫌いじゃない。存外気が合うな、二振り目」
「これで話も合えば言うこと無しなんだけどね」
「くく、世の中ままならないなあ。何にせよ金言痛み入る。燭台切光忠と好みの似通う部分も有ると知れたのは、収穫だった」
「贈り物に花は君の趣味じゃなかったかい」
「そんなことはない。言っただろう、世の中はままならないものだと」

 ――同じことを考え、出陣した先で摘んだ花を一度渡そうとした。それも昨日、お前を呼ぶ数時間前の話だ。

 男の告白に燭台切も口を閉ざす。
 深い茂みを揺らすほどの風もなく、ただ静寂だけが淡黄色の森を包み込んでいた。