仲間はずれの蝙蝠とひとりぼっちの聖職者 - 3/7

 

 ――君は私にとって善き友だが、世間にとってはおそらく悪人だ。アレには苦労をさせたくないのでね、真に残念だが誰か他の者を頼らなくてはならない。心当たりが有れば是非紹介してくれないか。

 お世辞にも高いとは言えない評価である。もっとも、言われた当人は特に気にした様子も見せず、手元の試験管をぷらぷらと振っていた。反論するまでもない。彼とて己の素行は重々承知の上である。だからこそ友人の判断は妥当と思ったし、頼み事についても協力は惜しまないつもりだった。

 ――性根が悪いのはお互い様じゃねえの。オレ以外に信用置ける友人がいないって、人としてどうかと思うぜ。

 こう返す男も、友人の老父以外に親しい間柄はいない。故に適当な人物を紹介してほしいと言われても困りものだった。普通ならば申し訳なさそうに力不足を告白するだろう。

 しかし、良識を母の胎内に置き忘れてきたと豪語する男だけに、尋常でない手段を考えるのは早かった。

 心当たりが無ければ作ればいいのである。友人が望む、心優しく立派な人格を持った麗しのバケモノを、親馬鹿の生贄に捧げてやろう。かくして、友達想いのヒトデナシはろくでなしに相応しい計画を打ち立てたのである。

「紅茶でもどうかな」

 黄昏を駆る蝙蝠に話しかけた男は、邪性を厭うはずの神父だった。紅茶を勧めているあたり、空を行く影が吸血鬼であることを見抜いているのだろう。燭台切は訝しみながらも、初めて招かれた教会という地がどうにも気になった。

 神父を待つ間に、燭台切は長谷部という少年に出会った。未だ十にも見たぬ子供だが、アッシュグレーの透けるような髪に、きめの細かい肌と美しい藤色の瞳は将来を約束された容貌をしている。

 鏡に映らずとも、蝙蝠の視界で日々格好を整えている燭台切にとって、美しいことはそれだけで価値が有った。少年もヒトの姿を取った燭台切に悪い印象は抱いていないはずである。これまで自身の美貌を散々利用してきた吸血鬼は、向けられる好意に対して敏感だった。距離を置きつつも、隙あらば燭台切を覗き見る少年の頬は紅潮としている。その仕草がいかにもいじらしくて、燭台切はますます長谷部のことが気に入ってしまった。
 幸いにも燭台切には神学の教養が有る。聖書を抱えた少年の興味を惹くのは容易かった。

「まさかとは思うが、稚児趣味をお持ちだったりするかね」
「いや誤解だよ。長谷部くんは可愛いけど、僕の性嗜好はいたってノーマルだから」
「ならいいんだが。吸血鬼は変わった趣味を持つ者が多いと聞くので、少し警戒してしまったよ」

 神父と燭台切との会話で中心になるのは、やはり長谷部の話題である。

 教会の前で生き倒れていたという少年には肉親がいない。彼がたった一人の家族である神父を慕うのは当然の成り行きだが、神父もまた長谷部を大事に想っていた。
 戦乱が続き、独身のまま還暦を迎えた神父は天涯孤独の身である。そのような境遇の彼だから、長谷部を息子のように可愛がるのも無理はなかった。

「それで? どうして君はわざわざ僕を指名したのかな。長谷部くんの遊び相手というなら、もう少し若い子を選ぶべきだったんじゃないかい?」
「そうだねえ……君がとびきり美形だったからかな?」
「君と会ったときの僕、蝙蝠姿だったんだけど」
「真の美丈夫は多少ナリが変わっても男ぶりが滲み出るものさ。多分」

 適当だなあ、と燭台切は呆れながら神父の入れてくれた紅茶を飲む。薫り高いローズティーは味にうるさい吸血鬼にお眼鏡に適ったらしい。カップを早々に空にし、燭台切は満足げに礼を言った。上々な反応に神父もつられて相好を崩す。

 紅茶には猛毒が入っていた。飲み干した燭台切に異変は見られない。友人の腕を信じるなら神父は賭けに勝ったことになる。宿主の負の感情を喰らって成長するバケモノは、このまま餌にありつくことなく滅びるのだろう。神父の目は確かだった。彼が見出した吸血鬼は、少なくとも自分たちより邪悪な性質ではない。

 神父は年々衰える自分の身体が疎ましかった。長谷部とは親子というより、祖父と孫と言った方が適切なくらい歳が離れている。この差は単純に彼を後見できる時間が短いことを指していた。神秘を尊び、実学を卑しんだ時代である。七十生きれば大往生と言われている中、神父はもう六十の後半に差し掛かろうとしていた。猶予は無い。彼はもはや正義や倫理などにかまけていられなかったのである。

「これ、やる」
 唐突に差し出された赤い花と、それを持つ少年とを交互に見遣る。燭台切は右手で薔薇を受け取り、左手で長谷部の髪を撫でた。目くじらを立てるのは始めだけで、ややすると紫の大きな瞳は好意と熱情が滲みふやけてきってしまう。その純真さが燭台切には愛しくて堪らなかった。

 少年は花言葉など意識してないだろうが、こうまで熱烈に口説かれると情の一つや二つ湧いてくる。燭台切は長谷部をすっかり可愛い弟分として扱っていた。

「燭台切、膝」
 長椅子に座った長谷部が自らの膝を叩く。少年の求めに応じ、燭台切は人型から蝙蝠へとその身を変じた。ちょうど懐に収まる大きさになった燭台切を呼び、長谷部は改めて風変わりな友人を腕に閉じ込める。

「もふもふ……ぬくい……」
「寒いなら逆に僕が君を抱っこしたのに」
「いやだ……もふもふが良い……人型は毛深くなってからいえ……」
「ごめん、体質で無駄毛は生えないから蝙蝠で満足して」

 中庭でとりとめの無い会話をしながら二人で過ごす。燭台切が長谷部と出会ってから季節は一巡した。春に花を愛で、夏の暑さに辟易し、秋の味覚を謳歌し、また冬が来て互いの温もりを分け合う。ヒトのように振る舞わずとも、ヒトと共にいられた一年は燭台切にとっても新鮮だった。

「やはり冬はマフラーだな」
「ちょっと首に巻くには長さが」
「天然の毛皮じゃなくて糸で編んだマフラーのことだ。本格的に寒くなる前に、主に一本作って差し上げたいと思ってな」
「長谷部くん編み物できるの?」
「今から頑張って覚える」
「そっか。じゃあ一緒に頑張ろうね」
「お前も、するのか」
「誰か一緒の方が心強いだろう? 僕も君にマフラー編んであげたいしね」

 人型に戻り、燭台切は長谷部の首筋をなぞった。冷えた革の感触は長谷部を驚かせるに十分だったらしく、間の抜けた声が上がる。犯人を不満げに睨み付ける長谷部だが、迫力が足らず膨れているようにしか見えない。
 燭台切は腹を抱えた。これだから長谷部と遊ぶのは止められない。未だ誰の牙も立てられていない肌は美しく、そそる匂いがしたが、燭台切は種としての本能よりも新しく得た悦びを大切にしたかった。

「吸血鬼もマフラーを編むんだね」
「僕も初めての経験だよ。どうだい、長谷部くんに似合いそうな色だろう?」
 言いながら燭台切は薄紫の糸を見せつけた。男の器用な手で紡がれたマフラーは完成したらさぞ暖かいだろう。同意を求められた神父はふむと頷く。友人の作品が息子の首を飾る日が今から楽しみだった。

「私の分は無いのかね」
「野暮なことを訊くね。僕が作るより素敵なマフラーをプレゼントしてくれる職人がいるだろう?」
「どうせ作っているのは君の分だろう。全く寂しいものだな、息子が父親より彼氏を優先するようになってしまった」
「稚児趣味疑惑まだ続いてたのかい」
 妨害にもくじけず燭台切は編み物を続ける。仕事が終わって暇なのか、神父はそのまま燭台切の対面に座って見学に回った。時折茶々を入れるのも忘れない。

「君がここに遊びに来るようになってもう一年か。時が過ぎるのは早いものだね」
「それを百年くらい繰り返すと、瞬きの間に季節が変わるようになるよ」
「ほう。参考になる意見だな」
「ニンゲンを辞める予定でも有るのかい? 生憎と僕は若者専門だから、君の血は頼まれたってお断りだよ」
「国重や君とずっと過ごせるなら、ヒトでなくなってもいいかもしれないと思い始めたところだな」
 手を組み、剽げた顔で神父が告白する。燭台切は笑い飛ばせなかった。口調こそ軽いが、そこには友人の危うい真意が見え隠れしている。

「ヒトは、ヒトであるべきだ」

 燭台切は始めから夜の世界に生きている。日の下に出られぬ悔しさも、ヒトの理から外れる悲しみも知ることは無い。ヒトであったものがバケモノになるのとは訳が違う。長谷部たちと親しくなるたび、燭台切は貧弱な生き物と思っていたヒトの面白さに気付かされた。たとえ彼らにはヒトの限界がもどかしくとも、一時の感情で棄てて欲しくはない。

「……そうだね。私は本当に善き友人を持った」
 君で二人目だ、と続くはずだった言葉を神父は呑み込む。冬の夜は長い。まだ友人と語り合える時間は、たっぷりと残されていた。

 真っ先に口を押さえる。紅く染まる思考を理性でねじ伏せようとするも、侵蝕する速度は燭台切の予想の遙か上だ。とうとう立つこともままならなくなって、男は派手に崩れ落ちる。ぐらぐらと揺れる視界は酔漢のそれに等しかった。

 アルコールなど口にしていないし、ここは海中でもない。しかし息苦しさは一向に直らず、手足もいつもよりずっと重たい。楽になれる方法は有る、と本能が耳打ちするが、とても頷けるようなものではなかった。あまりにも突然である。燭台切は何故、自分がこんなにも血に飢えているのか全く理解ができなかった。

「一人目の親友の話をしよう」
 場違いに優しい声が燭台切の心をさらに千々と乱す。自分を善き友人と称えてくれた男が、ヒトと歩む幸せを教えてくれた友が、床に這い蹲る燭台切を見下ろしていた。

「吸血鬼は変わった趣味の者が多いと前に言ったろう? 実は私の親友がその代表格でね、薬物に強いモンスターにも通用する毒を研究するのが生き甲斐らしいんだ」
 神父が持つ香炉からは、ひっきりなしに甘い匂いが漏れ出ている。良いアロマを手に入れた、と紹介する神父は好々爺然としていた。それがまさか友人を陥れるための罠だと誰が疑おうか。

「毒、ねえ……! 僕に通用するぐらいだ、君も、危ないんじゃないのかい……!」
「流石、察しが良いね。君のような副作用は出ないが、このままだと私も天の国、いや地獄へと旅立つことになるだろう」
「何を、ぬけぬけと……」
 死が迫っているにも関わらず、神父は泰然自若として慌てる様子が無い。俯せになった燭台切の近くに座り、薬よりもなお甘い誘惑を口にした。

「死にたくないとは思わないかね」
「何だって」
「君も解っているんだろう。助かる方法が一つだけ有ると。私と君、共にここで斃れることだけは許されないと」

 朦朧とする意識の中で、燭台切が脳裏に浮かべたのは長谷部の姿だった。もし神父だけでなく自分まで死んでしまったら、あの子はどうなるのだろう。誰も居ない教会で一人祈りを捧げ、誰も付けることのなかったマフラーを前に泣き崩れるのだろうか。そんな悲惨な未来が許されていいものか。

 燭台切は鉛のようになった身体を起こし、翁の首を片手で一掴みにした。服の上から遠慮無しに噛みつき、その血を啜る。生存本能に突き動かされた吸血鬼は、老いぼれた肉体だろうと構わず体液を搾り取っていった。

 霞がかった意識が徐々に鮮明になっていく。痺れていた四肢は感覚を取り戻し、身体を苛む衝動や痛みも消えた。物言わなくなった屍体を横たえ、燭台切は立ち上がる。
 やるべきことは山積みだった。まずは毒に満ちた部屋を換気し、神父を埋葬し、それから――長谷部に事情を説明しなくてはならない。

 しかし何と言えばいい? 正当防衛とはいえ、燭台切が神父を殺した事実は揺らぎようがない。だからといって、彼の尊敬する神父が燭台切を騙したなどと言えるだろうか。それに、養父の凶行が最愛の息子と生きるためと知れば、幼い長谷部の心はきっと壊れてしまう。

 燭台切はとにかく知恵を絞った。たとえ神父の死を知っても、長谷部がなるべく苦しまずに済む方法をあれこれ画策した。熟慮の末に男が導き出した結論は、自分が全ての罪を背負い、長谷部の憎悪を一身に引き受ける、だった。

 幸か不幸か、神父は吸血鬼として復活する素質は無かったらしい。リビングデッドと化して屋敷を徘徊しだすのを見て、燭台切は咄嗟の計画を実行に移した。
 長谷部に自分を仇と信じ込ませるには、神父を彼の前で再び殺す他ない。唯一呪われた身体を傷つける武器を携え、燭台切は何も知らないであろう長谷部の元へ赴いた。