仲間はずれの蝙蝠とひとりぼっちの聖職者 - 7/7

 

「初めまして、僕は燭台切光忠と申します。弟さんにはいつもお世話になっております」

 完璧な笑顔で挨拶を済ませた美丈夫に、宗三はこれでもかと怪訝な視線を送った。燭台切一人であれば大人の対応もできただろうが、問題は彼の隣にいる古馴染みである。

 日暮れには帰ると言っておきながら外泊し、一日置いて訪ねて来たと思ったら、今度は彼氏の紹介を始めたというのだから本当にふざけている。当人たちは付き合っているなどと言っていないが、雰囲気からして丸わかりだった。燭台切の手が長谷部の腰に回っている点からして決定的である。とりあえず菓子折に罪は無いので、宗三はありがたく伊達男の気配りを頂戴することにした。

「そこの礼儀知らずと違って、彼氏の方はできる男みたいですね」
「む、無断外泊したのは悪かったが、あれには事情が有ってだな」
「あまり長谷部くんを責めないであげて下さい。本当は様子を見るだけだったらしいのに、怪我をしていた僕を一晩中介抱してくれていたんですよ」

 燭台切の弁を聞いて長谷部があからさまに頬を赤らめる。宗三は察した。介抱って具体的には何をしたんですかね、と尋ねるのは墓穴だろう。友人が雌にされた過程なんぞ誰も知りたくはない。

「本日はわざわざ挨拶回りに?」
「ええ、一度お会いしたいというのも有りましたが、それとは別に――僕もここの依頼を受けられるようお願いしたくて」
 宗三はまたしても燭台切を奇異の目で見た。

 このやんごとなき吸血鬼様は今何と仰ったのか。化け物退治の斡旋に人外の王が名乗り出るとかおかしいだろう。いっそ領地で監視の目を光らせておいてくれた方がよほど安心できる。という宗三の声なき叫びなど露知らず、燭台切はさらなる戯言を捲し立てた。

「夜にばかり活動していても、長谷部くんの仕事を手伝えないからね。僕としてはなるべく彼と一緒にいたいし、陽の光にも慣れて日中でも大切な人を守れるようになりたいんだ」
「燭台切……」
 余所でやれや。堪えきれず口に出して訴えたが、目の前のバカップルは互いのことしか見えていないらしく、宗三の嘆願などお構いなしである。

 宗三に小言を投げられつつも登録を終え、二人は燭台切の城に戻った。昼過ぎに街を出たため、到着した時分でも小夜や桑名は外で作業をしている。その輪の中に一人見慣れない顔があった。疑問に思った燭台切が誰何するより先に、長谷部があ、と口を開く。

「豊前じゃないか」
「お、長谷部! いやあ、昨日はあんがとなあ! お陰で良い土産ができたぜ」
 快活に笑う青年は鍬を捨てて二人の方へやって来た。燭台切とはまた違った美しさを持つ男だが、その身なりは土で上から下まで汚れている。少なくとも今日のうちは仕事を手伝って久しいことが窺えた。

「長谷部くんの知り合い?」
「ああ。一昨日会ったばかりだがな、現場でたまたまかち合った」
「じゃあ同業者なんだ」
「いや、昨日目的を達成しちまったから今は絶賛無職中だ」
「暇させておくぐらいなら畑仕事手伝ってもらおうと思ってねえ、人手はいくら有っても足りないし」

 奥で土作りをしていた桑名が会話に加わる。長谷部に苦手意識を持たせがちな男だが、数日ぶりに会った彼はどこか親しみやすさが増している。豊前と桑名との間に繋がりが有るというなら、件の吸血鬼が討たれたことによって、桑名のしがらみもいくらか解消されたのかもしれない。想像でしかないが、長谷部はそうあってほしいと願った。

「どうする燭台切。こいつも城で雇うのか?」
「構わないけど、今後は夜も留守にするかもしれないからね……いっそ桑名くんに諸々の管理を任せて、好きに作業を割り振ってほしいくらいだよ」
「燭台切が構わないなら僕としても助かるよ。豊前に小夜の送迎を頼めば、研究に使える時間も増えるし」
「じゃあお願いしようかな。豊前くんも悪い人じゃなさそうだし」
「やったぜボス! 早速だがさっき廊下に飾ってあった高そうなツボを割っちまったぜボス!」
「給料から天引きしておきます」

 豊前の歓迎会を兼ねた夕食も終わり、自室に戻った燭台切は一直線にベッドに倒れ込んだ。早朝に起床し、炎天下に晒され、帰城した後は料理作りに励んでいたというのだから疲弊するのも当然だろう。それでも今の今まで顔色に一つも出さなかったあたりは流石に伊達男である。

「お疲れ様だな」
「はは、格好悪いところ見せちゃってるねえ……早く慣れるといいんだけど」
「初日からこれだけ動ければ十分だろ」
「甘やかされてるなあ」
「本心だ。頑張ってるお前に惚れ直した」
「今ので息の根が止まりそうになりました」
「寧ろそっちに慣れろよ。ほら本当に死にそうになる前にさっさと吸っておけ」
「吸うのが血だけじゃなくなる可能性もございますが」
「大歓迎だとも」

 仰向けになった燭台切が両腕を伸ばす。その間に躊躇いなく長谷部は飛び込み、寝台を二人分の体重で軋ませた。もつれ合い、じゃれるように互いの服を乱していく。

 燭台切の肩越しに長谷部は天蓋の裏側を見上げた。三日前の再現ではあるが、ここに至るまでの経緯がまるで違う。あのとき仮に燭台切に求められたとしても、長谷部は素直に受け入れることなどできなかっただろう。二度と会わないつもりで城を出たのに、人生はどう転ぶか判らないものである。

「そういえば父さんの手紙」
「ん?」
「どうしてあの本に挟んであったんだ」
「ああ……あれなら君は絶対読まないだろうって思って」
「当てが外れたな。昔は何度も読んでいたから反って興味をそそられたぞ」
「君のお父さんが死んでからは奥にしまい込んで埃被ってただろう。あんなに好きだったのに勿体ないって思って、つい持って来ちゃったんだ」
「なに、じゃああれは俺の本なのか」
「実はそうです。今更だけど持って帰るかい?」
「……いや、ここに置いておこう。読み返したくなったら書庫に行くさ」
 長谷部の部屋でも燭台切の書庫でも変わりはない。どうせこれからは同じくらいの頻度で行き来するのだから、手広な場所に置いてある方が都合が良いだろう。

 しかし、いざ話題に上げると手に取りたくなるのが常である。十五年も触れないと記憶も不確かになるもので、どんな結末だったかも長谷部は曖昧だった。

「こら、してる最中に考え事しない」
「ンッ……ああ、わかったわかった。今は、こっちに集中する」

 燭台切の首に腕を絡め、長谷部は一旦本のことを忘れた。詳細は明日にでも確かめれば良い。それに幼い自分が何度も読み返したということは、おそらく後味の良い結末を迎えているはずだ。一度蝙蝠と別れた少年も、きっと最後には再会を果たしたに違いない。

 

 

 誰しもが一度は死後の世界というものを想像するだろう。生前の行いで天国か地獄行きが決まるというのがありがちな話で、男が生きていた世界の宗教もその考えを採るものが多かった。

 では、このひたすらに闇が広がる、何も無い場所は一体何を意味するのだろうか。ステレオタイプの死生観に則り、おどろおどろしい地獄を覚悟していた吸血鬼は呆気にとられていた。

「せめて案内人とかいねーもんかね」
「呼んだかい」
「ひぃ!?」
 唐突に背後を取られ、男は縮み上がった。いよいよ贖罪と拷問のフルコースかと思いきや、振り返った先にいたのは厳めしい体つきの悪魔ではなく、懐かしくも因縁深い顔である。

「ようこそ地獄へ、我が親友ともよ」
「え、この何もないところが地獄なのか? 拍子抜けにもほどがあるんじゃね?」
「さあ? 正式な名称は知らないけれど、でも私と君がいる以上は地獄に決まっているだろう?」

 悪びれもせずに元聖職者は断言した。確かに二度も友人に毒を盛り、無防備な背中を狙って凶器を突き刺す輩が善人であるはずがない。

「っていうかロードも人が好すぎるよな。毒盛られた後でも友人扱いしてくれんだもん、あいつ絶対天国に行くぜ」
「そうだねえ。死んだ後も国重と一緒だ、羨ましい」
「あーあーすみませんね、死んだ後もこんなタチ悪い男と一緒でよお」
「何を言う。君が来てくれると判っていたから、私は安心してあの恐ろしい計画を実行したんだ。君がいるなら地獄巡りもさぞ楽しかろう」
「……食えねえ爺」
「享年二百歳には負けるよ」

 言い合いながら共犯者たちは歩き出す。前途は暗く、見渡す限りは虚無の海で、明るい展望など何一つ無い。
 しかし道を行く吸血鬼と神父の表情は、どこまでも晴れやかだった。

 

 

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