僕らはだるまに祈らない - 6/6

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「というわけなんだよ、伽羅ちゃん」
「そうか」
「その相槌に至るまでの思考変遷を訊いてもいいかな」
「色恋沙汰なら乱にでも話せ」
「乱くんにも後で話すよ」
「俺にまで話さなくてもいい」
「伽羅ちゃんだって他人事じゃなくなるかもしれないよ。曲がり角から屋上まで、恋の発生スポットは日常に溢れかえってるからね」
「そうか」
「定型文で一区切りつけたところで、長谷部くんのことなんだけど」
「黙って手を動かせ」

 平成から帰還して早一週間、僕は居間でさやえんどうの筋とひたすら向き合っていた。いかな刀剣男士とて、四六時中闘いに明け暮れているわけではない。馬当番や畑の管理だって本丸の運営に関わる立派な仕事だ。

 ただし、今日の僕は訳あって厨の出入りを禁じられている。道場はワックスを掛けたばかりのため、一時間は様子を見るべきだろう。手合わせもできず、趣味の料理も叶わず、こいびととの甘い時間も過ごせず、僕はもう誰かに惚気をこぼすしか選択肢が残されていなかった。

「つまり光坊は暇なんだな!」
「さやえんどうくんのお色直しで大忙しだよ」
「隙あらば雑談を振ってくる程度には暇してる」
 なんと秒で売られた。本日の大倶利伽羅くんはご機嫌斜めのようである。お年頃かな。
「そうかそうか。退屈を紛らわせるには驚きが一番! というわけで、鶴さんと一緒に宝探しと洒落込もうじゃないか」

 盛大な前置きを挟み、鶴さんが脇から取り出したのは一箱の段ボールだった。開封済みの蓋からは、いかにもがらくた然とした小物が顔を覗かせている。廃棄以外の選択肢があるのか、と思うところだが、人々に親しまれ生まれた付喪神の身としては、捨てるなどと軽々しく口にはできない。

「いったいどこから拾ってきたんだい」
「ま、懇意にしてる店の主人からちょっとな。処分するって聞いたら、どうにも勿体なく感じてね」
「おもちゃ屋か」
「正解! 伽羅坊に三千点」

 鶴さんはすかさず音が鳴る装置を取り出し、有効活用とは何たるかを行動で示していた。捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものである。

「おもちゃかあ。虎くんたちにあげたら喜ぶかもね」
「そうだな。少なくとも鶴丸に渡すより健全だ」
「俺は使用前に注意書きを読み込むタイプだぞ?」
 ルールの抜け穴を突く輩の常套句だった。

 なるほど宝箱という表現もあながち間違ってはいない。立体パズルやボードゲームなどは説明を読んでいるだけでも面白そうだし、木製の人形は色彩豊かに着色され、インテリアにも使えそうだった。意外に興味をそそられ、三振りで好きに箱の中身を漁っていく。特段、僕の目を惹いたのは掌サイズの達磨だった。

「きみ、そのナリで中々に渋いものを選ぶなあ」
「鶴さんが僕をどういう目で見てるのか気になるところだけど、一旦保留にしておくよ。達磨っていったら赤いデザインが多いから、黒地に金が新鮮でね」
「黒い達磨は……金運祈願に商売繁盛だそうだ」
「なに、光坊また俺に黙って貯め込むつもりなのか」
 伽羅ちゃんの読み上げた解説を聞き、万年金欠の刀が目の色を変えた。これからは会計係と相談して、経理の改善と管理を喫緊の課題とするべきかもしれない。

「光忠」
 噂をすれば何とやら、本丸の会計係がやって来た。

「長谷部くんおつか……なんだいそのエプロン」
「なんだと言われてもな。厨に立つなら前掛けの一つや二つ着けるだろ」
 古風な言い回しをしようがエプロンはエプロンだ。柄も猫ちゃんから変わるわけじゃない。もしかして僕は今試されているのだろうか。

「まあいい。お望みのビーフシチューだ。心して食え」
「そうだね……ちょっと、色々覚悟が必要そうだから、部屋で食べることにするよ。長谷部くんもおいで」
「そうだな、お前が吐いたらシェフである俺の責任だ」
 達磨と長谷部くんの腰を抱え、僕はそそくさと居間を後にした。さやえんどうのことは頼んだよ、伽羅ちゃん。

「吐くのは愛の告白で、責任取るのは光坊と見た」
「鶴丸に三千点」
 それにしてもめちゃくちゃ馴れ合うな、この一匹竜王。

 スプーンを口に運び、ソースをゆっくりと舌に絡める。独特の苦みに加え、香辛料由来の刺激が咥内に広がった。ああ、この癖のある味こそ紛れもなく長谷部くん謹製のビーフシチューだ。料理に慣れた家庭人では決して再現できない特色に目頭がじわりと熱くなる。

「生きてて良かった」
「金曜日に飲むビールみたいな感想だな」
「病みつきになる点では甲乙付けがたいかな」
「まあ、お前が喜んでるなら、何でもいい」
 隣に座る長谷部くんの頬が綻ぶ。照れくさいのか、皿から視線を外し、人差し指で達磨を突く仕草がなんとも可愛らしい。例のエプロンを外していないのも破壊力に貢献していた。生きてて良かった、切実に。

「ところで、どうしたんだこの達磨」
「おもちゃ屋さんの廃棄品。さっき鶴さん経由で貰ったものだけど、なんとなく親近感が湧いてね」
「ふうん。で、何を祈願するんだ」
「ううん……特に思い浮かばないなあ」
「勿体ない。願うだけならタダだぞ、タダ」
「じゃあ代わりに長谷部くんが願掛けしてみるとか」
「光忠の右目が元に戻りますように」
「こらこら」
「冗談だ。怪我なんてしなくても、俺はちゃんと光忠のこと、好きになったからな」
弾かれた達磨がよろめく。何度か左右に揺れた後に、黒い人形はまた元の位置に戻った。
「もし怪我が切っ掛けで好きになってくれたとしても、僕は君を手放す気なんてさらさら無かったけどね」
「それが理由で五年ものらりくらりと躱してたくせに」
「あの頃は僕も若かったんだよ。今なら罪悪感ごと君が欲しいって言い切るだろうしね」
「とんでもないやつだな」
「お互い様ってことにしておこうか」

 僕のために幾度も歴史を書き換え、仲間を裏切り、遂には自らの記憶すら犠牲にした彼も、傍から見れば十分狂っている。

 匙を置き、右目を覆う眼帯に触れた。金の釦は持ち主と共に時間遡行を繰り返し、その全てを記録として保ち続けていた。釦を通して、僕は長谷部くんの孤独な戦いを知り、同時に燭台切光忠としてあるべき姿に立ち返ることができた。

 視野を半分失って、改めて思うことがある。どの世界でも僕は長谷部くんを好きになり、そして右目を損なう道を辿った。
 自分の色彩とよく似た達磨を一瞥する。願いが叶って片目を得る彼と、本懐を遂げて片目を奪われる僕。形は違えど、己の光を願い事に託す点では共通している。

 惚気云々とこぼしていた、とある先輩の言を思い出す。右の眼孔を満たす眸子は、左側の色よりくすんでいて、黄金というより錆びた金属に近い。あまり見栄えの良くない義眼を、僕はこの上なく気に入っていた。確かに、これを公に晒すのは盛大な惚気に相当するだろう。

「願掛けの内容決めたぞ」
「お、なんだい」
「光忠が浮気しませんように」
「本気ならこの時点で達磨の両目描き込むよ」
「破局まで最短一週間コースの光忠くんに対する信頼が厚くてな」
「童貞卒業が長谷部くんのパターンもあったよね」
「俺が介入しないとお前はホイホイ他の女抱くからな」
「少なくとも今の僕の身体は長谷部くんしか知りませんけど?」
「経験値持ち越しの童貞詐欺は認めません」
「……解った。実は願掛けなんてどうでもよくて、僕を怒らせる方が本命だろう」
「はっ、察しが良いな」

 エプロンの首紐を指に引っ掛け、僕のこいびとは艶美に微笑んだ。長谷部国重から誘惑され続けた五年が脳裏を過る。そうだった。僕の好きになった子は、いざ迫られると弱いくせに、自分からする色仕掛けは常に直球な口だった。

「いいよ。今日は君の挑発に乗ってあげる」
 細い腰を引き寄せ、エプロンとジャージの境目に手を差し入れる。胸を揉みしだくたび、猫のプリントされた布地が歪んで、その凹凸が妙な淫猥さを演出していた。

「ン、ぁ。は、そんな綺麗な顔しておいて、お前も結構な趣味してるよなァ」
「鏡いる?」
「そういうプレイなら歓迎する」
 煽り文句ばかり紡ぐ唇を塞ぐ。赤ワインの酸味が残る舌を押しつけ、こいびとを畳に横たえつつ考えた。
 達磨には何も願わないままで良いんじゃないだろうか。たとえ片目だけとはいえ、長谷部くんが乱れる姿を他の男に見られるのは許しがたい。

「君もそう思うだろう、長谷部くん」
「あ、くぅ……なに、が」
「僕には君だけだし、君には僕だけだよって話」
「ふ、とうぜんだ。浮気したら圧し切ってやる」

 付け足された脅し文句にうっかり笑ってしまったのは許してほしい。
 達磨くんには申し訳ないけど、どうやら僕らの願いを叶えられるのは、お互いだけのようだ。

 

 

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