君しか目に入らない

 

 

「一つ聞きたいんだけど」
 そう言って光忠はベッドに視線をやる。飾りけのない室内で目を惹くとしたら、確かにそいつ以外はないだろう。緩く弧を描くフォルムに、天を仰ぐ青いせびれ、黒くて大きな瞳。偏屈者の主人と違って、イルカのぬいぐるみはどこをとっても愛嬌に満ちていた。

「この子と毎日一緒に寝てるのかい」
「他に置くところがないからな」
 嘘は吐いていない。母さんの目を欺くべくクローゼットの中に隠していた時期もあったが、折角の贈り物だ。外に出して思う存分愛でてやるのが筋というものだろう。
 それにタオル生地で抱き心地も悪くない。母さんに見つかってからは枕として存分に活躍してもらっていた。

「僕とは一回も一緒に寝てないのに? ぬいぐるみに先を越されるとかおかしくない?」
「相手は無機物だぞ」
「たとえ無機物になろうと僕の長谷部くんへの愛は変わらないよ」
 光忠はたまにおかしい。俺より年長で何事もそつなくこなす男なのだが、時折こうして言動が怪しくなる。おハーブでもキメてらっしゃるんだろうか。

「まあ冗談はさておき、僕のあげたイルカくんを大事にしてくれているみたいで嬉しいよ」
「彼氏が正気に戻って俺も嬉しいよ」
「ところでこの子の名前は何ていうんだい?」
「名前?」
「つけると一層愛着が湧くだろう? 無いならつけてみたら?」

 目から鱗だった。そもそも女子じゃあるまいし、ぬいぐるみを可愛いとは思っても欲しいと感じたことはない。ペットを飼った経験もなく、俺は生物・非生物問わず名付けの機会に恵まれなかった。当然、その必要性についても、いまいちピンと来ていない。

「みつただ」
「その名前は既に他のユーザーに使われています」
「みっちゃん」
「重複を避けるという発想はないのかい?」
「仕方ないだろう。こいつを見るたびお前を思い出す。仕事で忙しい光忠と会えない寂しさを紛らわせてくれるのは、この手触り抜群のイルカだけだ」

 ベッドから青い塊を拾い上げる。弾力に富んだ素材は、少し力を込めるだけで容易く形を変えた。

「もうすぐ繁忙期が終わって時間もできるから、光忠は僕一人にしておいてくれないかな」
 俺を閉じ込めた腕は硬く、逞しい。柔らかさこそぬいぐるみの圧勝だが、俺を安心させる手管は比べものにならなかった。

「長船ならいいのか」
「まあ長船は将来増えるからね、もう一人」
「誰のことだ」
「誰のことだと思う、国重くん」
 見上げた先の琥珀色が悪戯っぽく細められる。
 顔のつくりが綺麗なせいで皆騙されるが、好青年のふりして実はこいつも中々人が悪い。

「なら俺とお前の名前から一文字ずつ拝借しよう」
「おっ。いいね、悪くない」
「光忠のみつと、国重のくにで、みつくに」
「オーケー、絶対漢字では表記しないことにしよう」
「この紋所が」
「やめなさい」

 俺の渾身の決め台詞は恋人の唇に塞がれた。理不尽である。

 

 

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