好きな相手の体液を口にしないと呪われる長谷部くん - 2/2

 

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 出陣先で折れてより数日、俺は突如賜った休暇を消化していた。
 安静と厳命され、このところ内番はおろか事務作業すら回ってこない。主のお気遣いは嬉しいが、このままでは身体が鈍ってしまう。
 人の身を謳歌してる連中と違い、俺はこれといった趣味が無い。有意義な余暇の過ごし方など全く浮かばず、結局本丸を歩き回っては仕事を探す始末だった。

 抜いた草から土を払う。落ちかけた汗を手首で拭うと、ちょうど遠征部隊の帰還を告げる鐘が鳴った。正門付近が俄に騒がしくなる。
 おそらく戻ってきたのは第二部隊、確か隊長は陸奥守だったと記憶している。他は蛍丸、厚、薬研に蜂須賀。それに、
「ただいま、長谷部くん」
 地面に落ちていた影がその輪を広げる。面を上げれば、太陽と見紛うような金色に迎えられた。

「ああ、遠征ご苦労だったな」
「休暇中なのに働きっぱなしの長谷部くんには負けるよ」
 立ち上がるふりをして燭台切から目を逸らす。不意打ちで火照った頬を見られてはかなわない。

「良い暇の潰し方がわからなくてな。鍛錬は止められてるし、だからといって無為に過ごしたくはない。それで見ての通りの苦肉の策だ」
「息抜き下手を極めてるね」
「抜くのは刀とコルク栓だけで十分だろう」
「肩の力を抜くのも大切です。仕方ない、午後は長谷部くんのために一肌脱ごうかな」
「騒ぐ口実に俺を使うつもりか」
「あはは。ばれた?」
 と、おどけてみせるが、どうせ言うほど燭台切も娯楽に餓えてはいまい。敢えて恩着せがましく振る舞い、相手に遠慮を忘れさせる算段だろう。この太刀はそういう細やかな配慮を怠らない男だった。俺には到底できない芸当だと、つくづく思う。

「着替えたら君の部屋に行くよ。ふふ、盛り上がりすぎて今夜は寝かしてあげられないかもね?」
 去り際にとんでもない捨て台詞を吐かれる。足音が遠のき、小さくなる背中を密かに睨めつけた。

 最近の燭台切は妙に距離が近い。誰に対しても社交的な刀だから、当然勘違いだと何度も己に言い聞かせた。それでも、と期待してしまうのが恋心とやらの悪癖である。
 確かに以前より話しかけられる機会は増えた。今だって庭にいる俺にわざわざ声を掛けてくれた。いくら燭台切でも、何とも思っていない相手を遊びに誘うような真似はしないだろう。

 主が端末の操作を誤り、事実上の特攻を命ぜられたとき、部隊の誰もが破壊を覚悟した。己にとっての心残りは二つだけだった。俺が折れた後も主命を全うする者がいるかどうか。そして内に燻る激情を伝えることなく、燭台切が折れてしまわないかどうか。
 負傷してはいるが足はまだ動く。ここで果てろと主がお望みなら、俺は最良の結果を心掛けるのみだ。上手く敵の目を惹ければ俺以外の隊員は助かるかもしれない。
 燭台切なら俺の代わりに主を支えてくれる。あいつはこんなところで折れて良い刀じゃない。
 無我夢中で戦場を駆け、刀を振るった。流しすぎた血が意識を奪い、敵へ致命的な隙を晒す。
 死とは、存外あっけないものだった。

「ひとりで格好つけるなんてずるいじゃないか」

 仮初めの器にヒビが入り、審神者との縁が薄れていくのがわかる。この太刀に看取られる最期とは我ながら上出来だ。
 回らない舌で言の葉を紡ぐ。すきだ、と衒いも何もあったものじゃない告白は、音にならずに単なる呼気として吐き出された。
 そして、御守りから光が漏れるのも知らず、俺は眠りに就いた。

「そういえば、あのとき何て言ってたんだい」
 と、尋ねる男から悪気は一切感じられない。致し方ないだろう。声にならなかったことは自分でも判っているし、何よりこの片恋は長らくひた隠しにしてきた。仮に正しく伝わったとして、信じてもらえる可能性は限りなく低い。
「……すまないが、覚えていない」
 最期だから許された文句だ。今後も仲間として接する必要があるのに、真実など明かせるはずもない。
 こんな嘘一つでアレに嫌われずに済むなら儲けものだ。

「おっと2。じゃあアイデア成功したので貴方は一時的狂気に陥ります。お楽しみの発狂だよ、やったね長谷部くん!」
「無駄クリティカルすぎる。ところで慈悲は」
「ないよ?」
 顎先にルールブックを翳した進行役がにまりと笑う。普段なら胸を騒がしくさせているところだが、プレイヤーの目線だと腹立たしいことこの上ない。恋心を封印して友人らしく振る舞おうとしているのに、肝心の友情が破壊されそうな勢いだった。
「気絶あるいは金切り声の発作……俺しかプレイヤーがいない状況でこれは致命的じゃないか?」
「大丈夫、こういうときのためのNPCさ。精神分析……は初期値だ。仕方ない、こぶしでいこう」
「おい何本当にこぶしで振ってるんだ。成功させるな。ダメージ最大値出すな。俺の耐久値残り4だぞ、おい」
「イヤーシッカリシテ長谷川サン!」
「長谷川よりお前の方が狂ってるからな? あと裏声やめろ。お前の声帯もろとも俺の腹筋が死ぬ」
 俺の分身こと長谷川国繁は既に虫の息である。実害を被っている分、神話生物より目の前のゴリラの方が恐怖の対象になっていそうだ。

 やるせなさに任せて杯を呷る。自ずと上向いた視線が壁際の時計を捉えた。日付はとうの昔に変わっている。
 今夜は寝かさない、とはよく言ったものだ。没入型のゲームは止め時が判らず、俺は初心者で効率的なプレイングができない。燭台切も何かと懇切丁寧に説明してくれるので余計に時間が掛かった。いい加減に感覚は掴めてきたが、この調子だとクリアする頃には夜が明けているかもしれない。

「ん、酒が切れた」
「じゃあ補充ついでに少し休憩しようか。いやあ、思ったより長谷部くんが楽しんでくれて僕も嬉しいよ」
「まあ、お前が勧めてくるものに外れはないからな」
「説明聞いた後の第一声が「ごっこ遊びか」だったことは忘れないよ」
「意外に粘着質なやつだな……ごっこ遊びでも面白ければ良いだろう」
「そうだよ、楽しんだもの勝ちだ。わかってるねえ、長谷部くん」
「そうだ、長谷部くんは結構物わかりが良いんだ。覚えておけよ伊達男」
 緊張を解すためとはいえ、序盤に少し飛ばしすぎたか。思考はふわふわとしてまとまらず、全身が仄かに熱を帯びている。今は畳の冷たさすら心地良い。火照った身体を持て余し、いつしか俺は床に横たわっていた。

「酔ってるねえ」
「何を言う、俺はまだ全然酔ってないぞ」
「そうだねえ。はい長谷部くんお酒だよー」
「んー」
 厨から戻ってきた燭台切に上体を起こされる。口元に添えられたグラスを取り、男らしく一気に中身を飲み干した。それにしても薄い。もう水と変わらんな、これなら何杯でも飲める自信があるぞ。

「どうだ燭台切ぃ、俺の飲みっぷり」
「格好良かったよ」
「そうかそうか、お前のお墨付きなら間違いない」
 空のグラスを持ったまま椅子にもたれかかる。はて、こんな良い匂いがする椅子なんて持っていただろうか。まあ座り心地も悪くないし、今後は贔屓してやろう。椅子冥利に尽きるだろう感謝しろ。

「まだお酒が足りてないみたいだね」
「足りてるかはしらんが、まだ飲めるぞ」
「はいはい。仰せのままに」
 どこからか伸びた手にグラスを取られる。同時に背もたれがひとりでに遠のいた。もしやこいつ不良品か。いやしかし、一度大事にすると決めた以上は撤回するわけにはいかない。

「安心しろ、ちょっとダメなところも含めて愛してやるからな」
「何の話だい?」
「椅子の話だ」
 グラスを今度は床に置き、代わりに肘掛けを撫でさする。彫り物でもしてあるのか、表面に細かな隆起が認められた。おまけに何だか温かい。

「む。冬には重宝しそうだが、これからの季節は厳しいな……いや、でもこの大きさ、弾力、匂いは捨てがたいし……」
「お客様。お悩みのところ申し訳ありませんが、そちらの椅子は非売品ですよ」
「なに。まさかこの椅子、燭台切のか」
「まあ僕のっちゃあ僕のだけど。まだ気付いてないとか、相当酔ってるね君」
 男の語尾は溜息に掻き消された。それにしても俺と会話しているはずの燭台切はどこにいるのだろう。先程から声はすれども姿は見えじ。もしや椅子に隠れているのか、と首をめぐらす。

「…………椅子」
「どうも非売品です」
 やたらと顔の良い椅子が微笑みかけてくる。瞬く間に血の気が失せ、酔いも吹き飛んだ。
 慌てて離れようとしたが、腰を浮かせた途端に胃が不快感を訴える。息を深く吸い、勢い迫り上がったものを喉奥に押し止めた。
「長谷部くん大丈夫かい、お水飲めそう?」
 無言で頷き、グラスを受け取る。少しずつ嚥下した液体は、先刻酒と称して渡されたものと同じ味をしていた。

「酔っていたとはいえ、すまなかった」
 畳に額をつけ、深々と非礼を詫びる。格好に拘る伊達男からすれば、俺の失態は目も当てられぬ有様だっただろう。どの口が怠慢は許さんなどと言ったのやら。居たたまれなくてとても顔が上げられない。

「あはは、気にしないで。それよりもう身体は平気? 気持ち悪くないかい?」
「大事ない。それよりさっきのあれは忘れてくれ、後生だ」
「結構な高評価貰えたのに」
「椅子として評価されて嬉しいか?」
「酷評されるよりはね。それに、あまりにも熱烈に口説かれるものだから、長谷部くんの椅子になるのも悪くないかなって少し思ってしまってね」
「は」
「君ならきっと大事にしてくれそうだし」
 場の勢いだと冷静な自分が告げている。これは日常会話の延長で、燭台切に他意はない。茶化した方が俺の罪悪感を減らせるから、とまんざらでもない風に振る舞っているだけだろう。
 本気にしてはいけない。それは、燭台切の厚意を裏切ることになる。

「そんなの、大事にするに決まってるだろう」
「本当? 嬉しいな」
「お前は本当によくできた刀だ。切れ味は勿論、内番や厨仕事もよくこなすし、協調性もある。真面目で、優しくて、頭も回れば弁も立つ。およそ燭台切ほど頼りがいのある男を、俺は知らない」
「あ、ありがとう。そこまで褒められると何だか恥ずかしいな」
「世辞じゃないぞ」
「……うん、そうだね。長谷部くんはこんな嘘はつかない」
「ああ、全部本心だ。椅子になんかならずとも、俺は一等お前を大事に思っている」
 面を上げる。仲間から前触れもなく恋慕を打ち明けられ、相手はさぞ困惑していることだろう。
 目を瞠った。燭台切の顔に失望や嫌悪といった色は見られない。いや、穏やかな弧を描く柳眉はむしろ親しみが込められている。

「そんな風に思っていてくれたんだ」
 男の頬が薄らと赤らんでいる。面映ゆそうにする燭台切を、俺は初めて見た。
 期待してしまう。不思議と近くなった距離、甘やかすような態度、何よりもあのとき、死地に向かった俺を追いかけてくれたこと。頑なに否定してきたが、心の底では燭台切も同じ気持ちなのでは、と幾度となく胸を膨らませた。

「本丸の仲間はみんな大切だけど、僕も長谷部くんのことは特別に思っている」
 焦がれ続けた金色が眇められる。ああ、あの一つ目に俺だけが映る日をどれほど夢見たことか。

「君が折れたとき、僕はあれほど己の無力さを悔やんだことはなかった。どうしてひとりで行ってしまったのか、どうして僕を頼ってくれなかったのか、って。本陣を落とすための戦力を削ぎたくなかっただろう君の心境も解らなくはない。長谷部くんの選択に文句があるわけじゃないよ。僕は、君の信頼を得ることのできなかった自分の力不足が許せないんだ」
「……あれは単なる俺の自己満足だ。燭台切が悔やむようなことは、何一つとしてない」
「こっちだって僕が勝手に悩んでいるだけだよ。あの一件で気付いたんだ。僕は長谷部くんの――」
 裾を握る。荒くなりそうな息を潜め、答え合わせのときを待った。

「一番の戦友になりたいんだ、って」
「……せん、ゆう?」
 聞き間違いを疑い、鸚鵡返しする。一縷の望みは首肯する燭台切によって空しく断ち切られた。

「ああ。僕になら背中を預けられる、ふたりならどんな窮地も乗り越えられる。互いに頼り、頼られる間柄でありたい。どんなときも一生懸命で、不器用だけど優しくて、誰よりも頑張り屋さんな君を友として支えていきたいんだ」

 伊達男にしては直球で、飾り気のない文言だった。彼からすれば取り繕う必要などない。友愛に満ちた告白は、疑いようもなく燭台切光忠の本心から出たものだ。そこに肉欲や情念などは一切含まれていない。
 俺と燭台切の指す「特別」は違う。

「……俺もえらく買われたものだな」
「過大評価だとは思わないよ」
「ダメ押しで圧を掛けるな。全く、お前を相棒にした日には胃薬と宜しくする羽目になりそうだ」
「ええ、ひどいなあ」
 燭台切が肩をすくめる。どことなく緊張していた空気も緩み、俺は今度こそグラスにアルコールを注いだ。

 酒でも飲んで忘れてしまおう。欲を掻いて燭台切の特別になろうとしたこと。愚かにも相手の誠意をはき違えたこと。胸が痛くて苦しくて、今にも膝を折って泣き崩れてしまいたい衝動も、全部酔っ払いの見た夢だったことにしてしまえばいい。

 へし切長谷部は、これからも燭台切光忠の良き友である。それ以上にも、それ以下にもなれない。
 身を弁えろ。なおも燻る恋心に対し、俺は夜もすがら呪詛を吐き続けた。

 

■90/100■

 

 外で鶏が鳴いている。明かりがなくとも物の輪郭が掴めるようになってきた。隣で眠る彼の睫毛が伏せられていることも視認できる。
 真相を語って満足したのか、長谷部くんはあの後大人しく布団に収まった。もっとも僕が油断した隙に小瓶を狙う可能性もゼロじゃない。睡眠不足の理由を知った以上、長谷部くんを起こすわけにもいかず、結局は交代せずに見張りを続けた。ひとまず杞憂に終わったのは幸いだろう。

「今日のところはお前の情けない面に免じて退散してやる。でも知っての通り、呪いはまだ解けていない。今後どう俺に接するつもりか、せいぜい楽しませてくれよ戦友殿」
 彼は婀娜っぽく笑い、僕の唇をそっと押し潰した。あの指先の感触を今も覚えている。
「ん……」
 傍らの膨らみが形を変える。中で何度か身動いだせいで掛け布団が剥がれた。
 実は寝相が悪いのか、露わになった上半身は胸元が大きく開いている。垣間見えた白い肌には斑点がいくつも散っていた。それら全て、僕が昨日長谷部くんにつけたものだ。

(勢いとはいえ、よくこんな真似できたな)
 皮肉をぶつけられるのもさもありなん。自己嫌悪を募らせつつ、服の乱れを直そうと長谷部くんの身体を跨いだ。
 ぱちり、と閉ざされていた目が開く。ちょうど僕が襟に手を掛けたタイミングだった。

「おはよう長谷部くん」
 動揺したら負けとばかりに先手を打つ。手早く仕事を終え、僕は何食わぬ顔で布団から退いた。
「驚かせてごめんね、服が乱れてたから気になって」
「あ、あー……そう、うん、すまない。手間を、かけさせた」
 襟を手繰り寄せた長谷部くんは右に左にと、忙しなく視線を動かしている。確かに格好つかない姿ではあるし、誰かに見られたら恥じらうのは当然だろう。たとえ相手が僕でなくても、だ。

「もう夜明けじゃないか。……どうして起こしてくれなかった」
「気持ちよさそうに眠ってるからつい、ね。大丈夫。何も壊れてないし、誰も入ってこなかったよ」
「そうか……ご苦労だったな。今日は非番にしてもらうよう主に掛け合うから、後は遠慮なく休んでくれ」
 一度の徹夜くらい何てことはないが、心配させるのは本意じゃない。お言葉に甘えて少し休ませてもらうことにした。

 借りた予備の布団に横たわる。一晩中張り詰めていたせいか、睡魔が訪れるのは存外早かった。
 どれくらい時間が経っただろう。僕はなおも微睡みの中にいる。手足を投げ出し、光のない世界でただ音と匂いだけを感じ取っていた。甘い香りがする。お気に入りのアロマとは違う、もっと繊細で落ち着く匂いだ。

 夢から少しだけ現へと近づく。失せていた他の感覚も戻り、自分に寄り添う温もりがあることをやっと知ることができた。
 誰かの手が僕の髪を弄る。多少くすぐったくはあるが、嫌な感じはしない。

「お前は、本当にひどいおとこだ」
 鈴の音のような声が降ってくる。この凛とした響きを忘れられるはずがない。

「こんなに沢山跡を残して、お陰で迂闊に外で着替えもできやしない」
 責めるような口調の割に手つきは穏やかなままだ。彼が怒ってないことは明白で、それどころか声を聴く限りでは喜びすら滲んでいる。

「これじゃあ、忘れたくても忘れられないだろうが」
 目を開けて確かめるまでもない。僕の頭を撫でる彼は、きっと砂糖菓子よりも甘く蕩けている。
 現実から目を逸らすのはもうやめよう。長谷部くんは、本当に僕のことが好きらしい。

「訊きたいことがある」
 夜が更ける。呼びかけに応じ、一対の薄紫がこちらを見据えた。自身の下緒で手遊びに興じている刀は、僕の友であって友ではない。

「どうして三度目のとき、他の男でも構わないととれるような指示を出したんだ」
「お、嫉妬か?」
「茶化さないでくれ。あんな書き方をしたら、自分がどういう行動に出るか判ってたんだろう」
「ああ、俺が自棄になればお前が立候補するだろうことも計算済みでな」
「……僕が呪いに気付かなかったらどうするつもりだったんだ」
「それはもう、どこの馬の骨とも知れん輩に足を開いて啜り泣いていただろうなァ」
 赤い紐を指に巻き付け、長谷部くんは唇を歪めた。筋違いと解っていても、捨て鉢な態度につい苛立ってしまう。どうして君はそう簡単に身を投げ出すんだ。大事な仲間に対してこんな薄暗い感情、抱かせないでほしい。

「自分を安売りするような真似はよしてくれ。君が傷つけばみんな悲しむ」
「減点。そこは僕が、と名乗りを上げるべきだぞ伊達男」
「……君は本当に明け透けにものを言うね」
「なんだ、慎み深い方がお好みか?」
「好みがどうこうって話じゃないよ。それに、ここで誘いに乗ったとして、長谷部くんは起きたら何も覚えてないんだろう。根本的な解決にはならない」
「覚えてないなら再現してやればいいのさ。少なくとも俺は大歓迎だ」
「君にそんな雑な扱いできるわけないよね。ああもう、頭痛くなってきた」
「疲れてるなら休んだ方がいいぞ。ほら、布団と抱き枕がお前を待っている」
 喋る抱き枕がぽんぽん、と敷布を叩く。彼の魂胆はともかく、確かに長谷部くんを押さえておけば呪いは無力化できるだろう。わざわざ睡眠時間を削って、相手の一挙一動に目を光らせる必要はない。

 腕ごと彼を抱き込み、互いの足を絡める。これで長谷部くんは容易に起き上がることもできないはずだ。今の季節だと多少暑苦しいが、四の五の言ってられる状況ではない。
「……変なことはしないでくれよ」
「お前は変なことしてくれよ」
「しません。ほら明日は君出陣だろう、さっさと寝る寝る」
 肩口から覗く煤色を撫でてはあやす。長谷部くんはされるがままで、抵抗する意志が全く見られない。不自由な手を僕の背に回すや、後はすんなり寝息を立て始めた。

(これからどうしよう)
 毎晩のように共寝するのは難しい。出陣や遠征の都合によっては朝方に帰還することもある。長谷部くんだって一時しのぎに過ぎないと勘付いているだろう。

 ――あのとき俺を抱いてくれたら、きっと呪いなんて無くなってたと思うぞ。

 冗談か本気か判らない囁きが過る。既に一度突っぱねた身で、どの口が試してみようなどと言えるのか。そもそも長谷部くんは、あのとき泣いていたじゃないか。呪いを斥けるためとはいえ、それを理由に彼に触れるのは違う気がする。
 僕はもっと、長谷部くんに優しくしたい。

「いやはや、あっついねえ」
 蛇口をひねった鶴さんがぼやく。陽光は日増しに厳しくなり、地面が乾く頻度も上がった。夏の到来は近い。ただし今日はまだ涼しい方だろう。彼が熱気を疎ましがるのは、仕事を終えてからの一杯が余程恋しいからと見える。

「はいはい。終わったら梅ジュース作ってあげるよ」
「それは嬉しいが、俺が言ったのは天気の話じゃないんだよなあ」
 背後を顧みる。白い太刀の持つホースから水流が迸り、大地を濡らしていた。青々と茂った作物の上には薄らと虹の橋が架かっている。
「昨日今日と長谷部の部屋で寝起きしたんだって? 君たち、いつからそういう仲になったんだ?」
 掌中のトマトが破裂する。手を広げると無残に潰れた果肉が指の股にこびりついていた。

「ちょっと相談に乗ってるだけだよ」
「ド派手に赤い実はじけたしといて平然としらを切る豪胆ぶりは買うがな! 逝ってしまったトマトの無念をな? 晴らしてやらないとな?」
「嘘じゃないさ。ただ公にしづらい内容だから、長谷部くんの名誉のためにも詳しい話ができないだけであって」
「ほう? あの長谷部がそんなご大層な悩みを光坊には打ち明けたって? へえ?」
 平安刀の邪推は止まらない。果汁まみれの手を洗い、僕は再び畑に向き直った。

「他の刀と仲良くしていても何も言わないのに、どうして長谷部くんのときだけやたらと絡むんだい」
「それはきみ、訊くだけ野暮ってやつさ。実際どういう関係かは知らんが、光坊は長谷部を憎からず思ってるんだろう?」
 この単純な問いかけに対し、僕は肯定も否定もできずに閉口した。

 仲間として好ましくは思っている。頼ってほしい、隣に立ちたい、彼にとって最も近しい存在でありたい。ただ、これが度を超した友情なのか、彼と同じく愛欲を伴うものなのか判らない。いつぞやに乱くんが語っていたような甘酸っぱく、心温まるような衝動は未だ知らない。この煮こごりめいた執着心に正しい名前なんてあるのだろうか。

「おいおい、難しく考えすぎるなよ光坊。多分その思考はドツボに嵌まるパターンだ」
「そうは言われたって考えるよ。この問答次第で長谷部くんとの関係が変わってしまうかもしれないのに」
「もっとシンプルに捉えようぜ。今は俺たちも立派な男の身体を持ってるわけだからな。下世話な話をすると、長谷部相手に夜の仲良しができるか?」
 真っ昼間からなんて話題を振ってくるんだ。輪っかを貫く人差し指を一瞥し、僕はこめかみを押さえた。

 しかも今度の二択は考えるまでもない。なにしろ既に実行に移した。途中で止めはしたが、彼の痴態を間近にした僕はあのときしっかりと反応していた。
 息を乱し、蕩けた目で限界を訴える長谷部くんが瞼の裏に浮かぶ。垂らした潤滑油が筋目に沿って流れ、充血した性器や菊座を濡らしていたのを覚えている。
 息を呑む。いつの間にか咥内には唾が溜まっていた。それらを飲み下しても喉の渇きは続いている。じりじりと照りつける太陽が、ひどく煩わしく感じられた。

「第一部隊が帰還したぞ!」

 呆けていた意識が現実に立ち返る。風に乗って、馬の嘶きと喧噪が僕らのいる畑にまで届いた。凱旋した部隊の出迎えと言うには不穏な響きが混じっている。
 まだ顕現して日の浅い男士を中心に構成、牽引役となった刀は二振り。そのうちの一振りと、僕は朝まで褥を共にしていた。

 内番を放り出し、正門までひた走る。早とちりなら構わない。主命を疎かにするな、という小言も嬉々として受け入れよう。
 関係が変わろうが壊れようが知ったことか。ただ僕は今、無性に長谷部くんに会いたい。

 

□99/100□

 

 朝、目が覚めたら惚れた男の腕の中だった。
 おそらくまだ夢を見ているのだろう。この責任感の強い刀が、見張りを放り出して勝手に床に就くとは考え難い。

(夢なら何してもいいんじゃないか)

 逞しい胸板に頬をすり寄せたり、思いきり匂いを嗅いだり、およそ現実では許されない真似も今だけはお咎めなしで済む。
 どのみち俺ひとりの力では燭台切を引き剥がすことはできない。降って湧いたような幸運に感謝し、開き直ってこの状況を堪能することにした。
 男の肩口に頭を預ける。密着した身体からは確かな体温が伝わってきた。胸いっぱいに息を吸えば、例の甘くも爽やかな香りが鼻腔を蕩かす。
(……いや本当に夢か、これ)
 陶然となること数分、与えられる感覚の生々しさにふと我に返った。
 唯一自由になる首をもたげ、枕元の時計を見遣る。液晶に浮かぶ暦は、就寝前より七時間先の時刻を示していた。

「っ! 燭台切、起きろ朝だ!」
 拘束から逃れんと腑抜けになっていた四肢を鞭打つ。背を叩き、白い頬を軽く打って、相手に覚醒を促した。

「んぅ、なあにはせべくん……」
「寝ぼけてる場合じゃない! 身体に何か異常は!? 気持ち悪かったり、どこか痛かったりはしないか!?」
 そうだ、燭台切が怠慢を働くはずがない。自らの意志で任務を放棄したのでなければ、第三者の介入があったと考えるのが妥当だろう。呪いなんて規格外な敵を相手取っているんだ、常識が通用すると思う方が間違っている。

「もし、お前に何かあったら俺は」
「だいじょうぶ」
 ひとつきりの黄金色が細められる。三日月型の眸子が湛える色は、蜂蜜よりよほど甘い。

「ぼくがいっしょだから、しんぱいしなくていいよ。きみの大切なもの、ぜんぶまもってあげる」
 締まりのない口調で、緩んだ唇からとんでもない宣言が放たれた。俺を抱え込んでいた腕がもそりと動き、徐に後頭部を撫でつけられる。
 奮闘空しく、燭台切は再び瞼を閉ざした。混乱する俺を置いて、ひとり安らかに眠りの底へと沈み込んでいる。

「こいつ」
 恨み言が湯水のように湧いては喉の奥に押し止められる。

 一番欲しいものはくれないくせに、どうして俺を喜ばせるような言葉ばかり寄越すんだ。いっそ二度と世迷い言を口にできないよう縫い付けてやろうか。
 実行しようにも両手足は捕らえたままで、さらに今度は首も固定されている。いつか覚えてろよ、と復讐を決意しながら俺も目を閉ざした。

 この不毛な片恋が始まったのはいつ頃だったか。自覚した時期は割と最近だが、好意を抱いたのはそれよりずっと前だろう。日に日に膨れ上がる恋情に辟易し、このままではなまくらになると頻りに怯えたものだ。
 いや、この懸念は今も続いている。そして、言い得も知れぬ不安は形を伴う現実となって自身を襲った。

 きっと浮かれていたのだろう。慣れぬ編成、先達として後続を導く立場、俺の練度に合わせて出現した検非違使。何もかもが自軍に不利に働き、劣勢を覆すほどの底力を俺は見せられなかった。
 幸いにも誰ひとり折れることなく本丸へと帰城できたようだ。失血が酷く、朦朧とする視界の中で迎えの声を聞いた。
 各々親しい者に担がれ、順次手入れ部屋に寝かされる。俺を支えてくれたのは誰だったのだろう。燭台切なら嬉しいが、そうも都合の良い話が続くはずない。
 それに俺はすっかりなまくらになってしまった。こんな不甲斐ない姿を見られては、あいつもいい加減愛想が尽きよう。
 こんなことになるなら、あのとき縋りついてでも抱いてもらうんだった。触れられる悦びを知り、甘い囁きに溺れたこの身は、果たして金平糖を眺めるだけで満足できるのだろうか。

「あ――」

 ひとは本当に驚いたとき声を失う。ぐちゃぐちゃになった感情を余所に、どこか冷静な理性がつまらない雑学を思い起こさせた。

 手入れ部屋から移動させられたのか、俺は自室の布団で目を覚ました。茜色の斜光が和紙を透かして、硝子片と砂糖菓子に降り注いでいる。
 黄昏時の影は色濃く、大きい。床に散らばった小瓶のなれの果ては、俺が横たわる布団にまで黒い手足を伸ばしていた。

「忘れるな 呪いは消えていない」
 粉々になった贈り物に紛れ、小さな紙片が落ちている。

 無機質な明朝体がさらなる犠牲を強いようと、何ら感ずるところはない。矜恃を擲ってでも守りたいと思うものは、もう壊れてしまった。残ったのは、刀にも人にもなりきれない出来損ないだけだ。
 多くを望んだからこうなった。ただ思い出のみを大切にしていれば良かったのに、俺はまた肝心なところで間違えてしまった。
 次に呪いが狙うのは何だ。もはや並大抵のものでは脅しにならないから、とうとう主か燭台切を害するようになるのか。いかに刀として落ちぶれようと、その最悪の未来だけは避けねばなるまい。

「いっそ刺し違えてでも」
 無意識に呟いた言葉は、ある種の天啓だった。

 そうだ、呪いの標的は常に決まっていた。相手の目的が俺を苦しめることにあるなら、つまり俺さえいなくなれば呪いも消える。
 床の間に視線をやる。そこには、手入れを終えた打刀が一振り据えられていた。

 

■100/???■

 

 帰還した長谷部くんは立つのもやっとの様子だった。足をもつれさせた彼を支え、手入れ部屋へと運ぶ。
 負傷者は多い。主は迷うことなく札を用い、部隊全員の治療を手早く済ませた。
 傷は癒えても疲労までは消えない。こればかりは時間が解決するのを待つしかなかった。

 長谷部くんは昏々と眠り続けている。元より綺麗な刀だとは思っていたが、己の認識を多少改めるだけで、こうも印象が変わるものなのか。
 左右対称の整った顔立ちに、鈍色に光る髪、白く滑らかな肌。今は彼を形作る全ての要素が美しく、愛おしく感じられる。
 ああ早く声が聴きたい。瞼の奥に隠された薄紫に射貫かれたい。指と指とを絡めて、燻る胸の内を打ち明けたい。

 いつ起きるかも判らない彼の目覚めを待つ。暇ができては枕元に佇み、その寝顔に魅入った。
 第一部隊の帰還から二日目の夕刻。単騎遠征を終えた僕は、報告を済ませるなり馴染みとなった部屋を訪ねた。

「長谷部くん、入るよ」
 主から長谷部くんが起きたという話は聞いていない。まだ床に臥しているだろうと見越し、応えも待たずに戸をずらした。

 予想は良い意味でも、悪い意味でも裏切られた。
 床には硝子の破片と無数の金平糖が散らばっている。部屋の主はそれらを片付けもせず、布団の上に座っていた。剥き出しの刀身を西日が照り返している。
 事の次第を問うより先に腕を掴み上げる。僕に気付いていなかった彼は、突然無体を働いた闖入者に眦を割いた。

「放せ、燭台切」
「放さないよ、少なくとも君が何を切ろうとしていたか聞くまではね」
「例のはた迷惑な呪いだ。お前の手を借りずとも解決する妙案を思いついた」
「へえ、それは是非ともご教授願いたいねえ」
「手を放してくれたら考える」

 ぎちぎち、と戒める手首が悲鳴をあげている。力では敵わないと判ってるくせに、長谷部くんは僕を振り払うのを諦めようとしない。
 このとんでもなく頑固で偏屈者な刀のことだ。いつぞやの特攻や花柳街みたいな前例もある。素直に口を割らない時点で、ろくな発想でないことは想像ついた。

「は、力が少し強いくらいで自惚れるなよ木偶の坊!」
 一喝を挟んで長谷部くんが後方へと倒れ込む。自ずと僕も勢いに引っ張られ、一瞬だが踵が床から浮きかけた。踏ん張ろうとした矢先に脛を蹴られる。見事バランスを崩した僕と、空中で強引に蹴りを放った長谷部くんは、揃いも揃って床に叩きつけられた。

 体勢を整えたのは長谷部くんの方が早い。畳に転がる武器を彼が再び握る間、僕は身を起こし、佩いていた太刀を振るった。
 肉の代わりとなった鞘に刃が食い込む。互いに切っ先を払って、仕切り直すように距離を取った。彼の足下で何かが光る。僕が贈った小瓶は、甘味を詰めるという目的も忘れ、粉々に砕け散っていた。

「下手に動いたらガラスが足の裏に刺さるよ」
「どうせ腹を切るつもりだからな、他が多少傷ついたところで変わらん」
「腹なら敵に切られたばかりだろう。それで本当に呪いが消えるとでも?」
「消えるさ。手入れなどせず、今度こそ俺が折れれば呪いは消える」
「そんな乱暴な解決方法、僕が認めるとでも?」
「いくらお前でも四六時中は監視できないだろう。拘束しても無駄だぞ。人の身体だ、舌でも噛み切れば死ねる」

 本当に長谷部くんは何から何まで極端だ。諦めるなと散々こちらが説いたにもかかわらず、安易に自己犠牲に走ろうとする。腹立たしい。長谷部くんはいつもいつも、僕の気持ちを無視してばかりだ。

「君がそんな物騒な真似をしなくても呪いはもうじき消える」
「ほう、まるで呪いの正体でも知ってるような口ぶりじゃないか」
「ああ、知ってるさ。これほど厄介で放っておけない呪いは他にない」
「言ってみろ。鼻で笑い飛ばしてやる」

 白い袖が持ち上がり、へし切長谷部の鋒が数メートルの距離を隔て、僕へと突きつけられた。挑発的な物言いを余所に、あれほど焦がれた藤色の双眸はひどく曇っている。きっと真実を知れば、あの二つ目はより悲嘆に染まるのだろう。そうと判っていても、僕の決意は揺らがない。

「呪いの正体は君だよ。全ては長谷部くんの自作自演だったんだ」
「……え」
「どうしても欲しいものがあった君は、立場からか遠慮からかそれを公にすることができなかった。だから堂々とそれを求められる口実を必要とした。演技をしていた自覚はないだろう。君は本気で自分が呪いに振り回される被害者だと思い込んでいたからね」
「まて、燭台切、俺は」
「信じられないかい。でもね、これは全部君が教えてくれたことだよ、長谷部くん」
「そんな、だって俺は、あんなこと望んでない。お前にもらった金平糖だって、ずっと守りたくて」
 長谷部くんが膝から崩れ落ちる。萎えた手では重たい武器を支えきれず、刀は破片の海を下敷きにして転がった。

「俺は、ただ」
 戦意を喪失した長谷部くんに近づく。疑念に駆られる彼を宥めようと、こちらも膝を屈し、視線の高さを合わせた。

「呪いを利用してお前と懇ろになりたかっただけなんだがなあ!」
 襟に伸びた手をはたき落とす。二撃目は初撃より速く、鋭い掌底が顎を突き上げた。眩む視界の外で長谷部くんが刀を拾う。空を切る音を頼りに、僕は全身の神経を回避へと集中させた。
 衣装の切れ端がひらと舞う。紙一重で避けた僕の前には、本紫の戦装束を纏った刀が立っていた。

「ネタばらしとは非道な真似を。貞淑でしおらしい長谷部くんにはとても耐えられない仕打ちだ」
「貞淑でしおらしい長谷部くんは呪いを理由に同衾を迫ってくるのかい」
「誤解を招く言い方はよせ。誘導はしたが、直接お前に抱けとはねだらなかっただろう」
「あーあーそのぶりっこのお陰で、僕の大事な長谷部くんがどこの馬の骨とも知れない男に抱かれそうになったんだよね。危ない橋渡るくらいなら最初からご指名を頂きたかったなあ!」
「随分とおかんむりだなあ。説教は勘弁だが、性的なお仕置きなら歓迎するぞ」
「抵抗する気満々のくせによく言うよ」
「知ってるぞ、実は従順すぎるより気が強い方が好みだろう貴様」
「解ってるじゃないか。さすがは一番の戦友」
「ふん、俺はそんな肩書きなんてちっとも欲しくなかったがな」

 長谷部くんが外廊下に繋がる障子を開け、庭へと身を躍らせる。僕は傷ついた鞘を払い、彼の背中を追った。
 僕らふたりの語らいにあの六畳間は狭すぎる。

 欄干を蹴り、飛び掛かってきた影を薙ぐ。風に靡くストラは中空を泳ぎ、水面に朽葉色の陰影を落とした。
 飛び石を足場に佇む姿はどんな彫像より惚れ惚れとするのに、彼が鑑賞を良しとすることはない。機動力に優れた相手は一所に留まらず、縦横無尽に攻勢を仕掛けてくる。その動きを目で逐一追っていては気力が保たないだろう。僕は迎撃に専念するだけでいい。端からそれが目的で、売り言葉に買い言葉を繰り返したんだ。

「やたらと大人しいな。いったい何を企んでいる」
「やだなあ、企んでるなんて。僕はただ君のしたいことをさせてあげたいだけさ」
「はは、お前の冗談は皮肉が利いてるなあ。もっと加減を考えろ、料理上手が聞いて呆れる」

 息もつかせぬ猛攻を最小限の動きでいなす。受け止める剣圧は一合ごとに勢いを増した。確かに長谷部くんの刀捌きは鋭い。もっとも、それ以上に自分の四肢が衰えていくのを感じる。
 夏の太陽がいかに気長でも、山の背を落陽で照らす時間は限られている。残り火が稜線を浮き彫りにしている今、太刀の僕が打刀の彼とやり合えるのはもってあと数合だろう。それまでに長谷部くんには満足してもらわなければならない。中々どうして骨の折れる案件だった。

「嘘は吐いてないよ。長谷部くんには思う存分鬱憤を晴らしてもらいたい。それが君の好意を散々踏みにじった僕なりのけじめだ」
「けじめ? そのお綺麗な顔を殴りつけたところで、結局俺の欲しいものは手に入らないんだ、がぁ!?」

 裂帛の気合いが込められた一撃を止める。防いだだけで腕が痺れた。力に自信があるとはいえ、夜の制約はもはや無視できない段階まで来ている。

「欲しいもの、ねえ……! 教えてくれたら協力できるかもしれないんだけど、どうかな」
「白々しい。一つ目と二つ目の呪いを打ち明けた時点で話したも同然だろうが」
「君の口からはっきりしたことは聞いていないからね」
「細かいことなんぞ気にせず、さっさと勃つもの勃たせて突っ込めば良かったんだ。それで何もかも終わりだ」
「へえ。じゃあ君は二度目、三度目は望まないんだ?」
「……せがまれて困るのはお前だ」
「誰が困るなんて言ったんだよ」
「ッ、ただの戦友に床の組み手まで頼まれても不快だろうが!」
「ただの戦友じゃない、一番の戦友だ。それに不快だなんて思わない」
「ははッ! 奥州筆頭の愛刀は友情に篤くていらっしゃる! 貴様が情けをかけようとしている相手がどれほど強欲とも知らずにな! 戦帰りの疲弊した身体に跨がり、止めろと泣き縋る声も無視し、精の限りを絞り尽くすかもしれんぞ!」
 振りかざされた腕が忽然と引く。刃先にばかり警戒していた僕は、不意打ちで放たれた柄による打撃を避けきれなかった。

「ッ、ぐ」
 迫り上がった衝動を文字通り呑み込む。倒れるにはまだ早い。

「降参しろ。反撃もせず打刀相手に夜戦を挑んでも結果は見えている」
「あいにく、君から本音を聞き出すまで、負けられないんでね……!」
「本音? 俺が隠し事をしてるとでも?」
「そうだろう。だって僕は、一度だって君から好いているとは言われてない」
「……は?」
「長谷部くんが望むなら何回、何十回だって抱いてあげるよ、一番の戦友の頼みだからね。君はそんな肩書きは要らないと言ったけれど、じゃあそちらがお望みの間柄は何なんだい?」
「こ、の……! そんなの言わなくたって解るだろう!」
「どうかな、僕の勘違いかもしれないよ」
 鈍色の光が交差する。弱った僕ですら容易く捉えられるほどに狙いが甘い。かち合った鋼の向こうで、長谷部くんは肩を小刻みに震わせていた。

「この、ひとでなしがッ……!」
「まあ、ひとではないよね、刀だし」
「屁理屈を抜かすな! 好青年のふりして貴様は本当に性悪だな! おまけにとんだ大ぼら吹きと来ている!」
「僕が君にどんなほらを吹いたっていうんだ」
「勝手にひとを抱き枕にした挙げ句、君の大切なもの全て守るなどと虚言を吐いただろう! 思いきり壊れてるんだが!? 俺が、あの金平糖を、どんな想いで守ってきたと思っている!」
「壊した当事者がそれを言うのかい」
「そうでもしなければ互いに踏ん切りがつかなかっただろう? さすがに同僚の命が懸かれば今度こそ有耶無耶にはできまい」
「そうも簡単に自刃を決意するほど、君にとってあの金平糖は大切だったのかな」
「ああ、そうだ宝物だった! 燭台切の目と同じ色をした菓子を眺めているだけで幸せだったんだ! なのに、お前が優しくするから、俺はどんどん欲深くなって、触れたい、触れられたいなどと馬鹿げた願いを抱くようになった」
 鍔迫り合う刀から力が抜けていく。暫くもしないうちに正面の煤色は項垂れ、武器を手放した。菖蒲の花弁と葉に紛れ、川縁に刀が生える。

「すきなんだ」
 せせらぎよりか細い声が空を伝う。背を丸め、搾り出すように紡がれた文句は実に弱々しい。白い手袋が俯いた顔を乱暴に擦り上げる。落日の余韻が指先を照らせば、その一部は微かに湿っていた。

「ずっと、ずっと前からすきだった。でも俺はおまえに迷惑かけてばかりで、すきになってもらえるはずなんかなくて、はじめから諦めていた。諦めようとした。特別といわれても、だきしめられても、それは戦友だからで、俺のほしい特別じゃない」
 少しずつ語尾が不明瞭になっていく。往復する手袋は目に見えて濡れ始めた。

「なんで俺ばかりこんなにすきなんだ。どうして諦めさせてくれない。お前は俺を仲間としかおもってくれないのに、ああ、みじめだ、ぶざまだ、かっこわるい、こんなのいやだ」
 大粒の雫がひとつ、ふたつとこぼれ落ちる。僕は躊躇うことなく刀を捨てた。

「おまえも、おれのことすきになってくれよ!」
 縮こまった身体を抱き込む。口を塞がれ、漏れるはずだった嗚咽は丸ごと僕の咥内に溶けていった。

「言われなくたって」
 唇を離し、驚愕に見開いた目の周囲を拭う。

「僕はもう、君のことが好きで好きで仕方なくなってるよ」
 潤んだ眼球がぱちぱちと瞬かれる。黒革は押し出された水の受け皿となり、なめしたてのように照り輝いた。

「いつから」
「気付いたのは昨日のお昼ぐらいかな」
「よりにもよって俺が寝てるあいだに」
「君が起きたら言うつもりだったのに、いざ会いに行ったら切腹寸前とはね。さすがに肝が冷えたよ」
「昨日の今日でそんなの、信じられるか」
「じゃあ信じてもらえるまで口説き続ければいいかな?」
「やめろ、心臓がもたない」
 握った拳が僕の胸を叩く。甲を当てるだけの可愛らしい抗議は、むしろこちらの心臓を騒がしくさせる結果になった。

「好きだよ長谷部くん。待たせてしまった分、たくさん可愛がって甘やかしてあげるからね」
「う、まて、そんな、いきなりかっ飛ばすな」
 ここで待てと言われて待つ男はいない。暴れる腕を拾い、指を絡めるようにして手袋を剥いだ。役目を終えた布が落ちる間に耳、頬、額へと口づける。強ばっていた身体からはみるみる力が抜けていった。

「ん……ひとりで歩けそうかい?」
 ゆるく首を横に振られる。僕は笑って腰を屈めた。辺りはすっかり夕闇に包まれたものの、長谷部くんを担いで戻るくらいの体力は残っている。もっとも、この後のご褒美を考えれば多少の疲労は誤差の範疇だろう。

「燭台切」
「なんだい?」
「色々と、すまなかった」
「謝られるようなことは何もないよ。ああ、でも他の男に抱かれようとした件と勝手に折れようとした件は今後も絶対に忘れないから」
「めちゃくちゃ根に持ってる」
「でも僕も長谷部くんの気持ちに全く気付いてあげられなかったし、お互い様だよね」
「そうだ、一度振られたこととラブホの寸止めについては絶対忘れないからな」
「めちゃくちゃ根に持たれてる」
「……でも、その分可愛がってくれるんだろう?」
「それはもう。今すぐにでも」
「はは、またお前はできもしないことを――ところで燭台切光忠さん、今どちらに向かわれておいでですか? 行き先が俺の部屋から逸れてるような気がするのですが?」
「はは、ガラスの破片まみれの部屋に帰って寝るつもりだったのかい? 長谷部くんは面白いことを言うねえ」
「そういえば片付けてないな……ますます自室に戻った方が良くないか?」
「うんうん、今夜は帰すつもりないから安心してね」

 横抱きにした身体が途端に暴れ出す。僕の好きになった刀は意外に往生際が悪かった。なおキス一つであっさり黙った。愛情の勝利である。

 

□100/???□

 

 がしゃがしゃ、と音を立てて武具が畳に落ちる。共に紐を緩め、帯を外す最中も唇を押しつけ合った。
 呪い云々で触れてもらったときとはまるで違う。以前の燭台切は良い意味でも悪い意味でも落ち着いていて、前戯や会話に熱を感じられなかった。性急に服を寛げ、噛みつくように口を吸ってくる目の前の男とは似ても似つかない。それが堪らなく嬉しくて、息継ぎも忘れ、重ねた柔肉を貪った。

「長谷部くん、何だかんだで乗り気だね」
「口先だけでも悪態をついた方が良かったか」
「それはそれで味があるけど、素直に身を預けてくれる長谷部くんはとても可愛い」
「その意見には同意しかねるが、お前が喜んでくれるならまあ、いい」

 装備を捨て、衣服の上から相手の輪郭を確かめる。筋肉のしっかり載った背中は分厚く、逞しい。
 ふやけるほど唇を合わせて、もう互いの境界すら曖昧になっている。僅かに生じた隙間に舌が潜り込み、侵入に応じてからは一切の思考が霧散した。

「ン、ッんん、ぁ……」
 歯列を、口蓋を、咥内を余すところなく蹂躙される。舌の先を吸われ、甘い痺れが背筋を突き抜けた。負けじと燭台切を真似て、こちらも相手の中を探る。
 肉厚の舌をノックし、表面に溜まった唾をじゅっと吸った。心なしか燭台切の眉間に皺が刻まれる。

「はぁ、あ……ッ!?」
 俺の腰を支えていた手が滑り、すぐ下の尻をやわやわと揉み込む。大して肉付きも良くない場所は、男の掌によって存外豊かに形を変えた。
「前も思ったけど、長谷部くんお尻小さいよね」
「お、大きくて良いことなんて特にないだろ」
「そうだね、僕も大きさに拘りはないかな。このサイズも収まりが良くて撫でやすいし。ただ入るかどうか、少し心配になるよね」

 何が、などと野暮な問い掛けはしない。散々それをねだってきた身で、今さらカマトトぶっても失笑を買うだけだ。第一、こいつの下卑た懸念だってあながち的を外してはいない。
 いつぞやの夜這いのお陰で、燭台切の息子がいかに立派なのかは身に染みて知っている。全て受け入れれば、きっと腹の奥深くまで暴かれてしまうだろう。
 正直なところ、怖い。少しでも萎縮すれば、また燭台切は途中で止めてしまうのではないか。俺では燭台切を満足させてやれないのでは、と考えると身が凍えそうだ。

「心配だから、たくさん慣らさないとね」
 薄い肉を撫でていた指先が尻の狭間に埋まる。服越しに後穴を触れられ、知らず肩が跳ねた。俺の動揺を目の当たりにしながら、燭台切は未だ男を知らない箇所を突く。
「ひッ、な、なあ燭台切……」
「……こわい?」
「こ、わくない。怖くないから、やめないでくれ」
 肩に額を押しつけ、抱擁を許された背中に縋る。目を閉ざし、ただ燭台切の温もりと匂いだけを感じた。シャツを握る力を込め、言外に離れるつもりはないと主張する。寒い。鼓動はこんなにも忙しないのに、何故か指先の震えが止まらなかった。

「やめないよ」
 欲を孕んだ声が耳を打つ。かくも艶っぽい低音を注いでおきながら、俺を宥める手つきは信じられないほど優しい。
「長谷部くんが本気で嫌がるようなことはしない。自分を呪うほど君が望んでくれていたことを、僕の思い込みで棒に振ったりしない。怖いとは思うけど、とびっきり優しくするから、あのときの続きをさせてくれないかな」
 顎先を掬われ、自ずと視線が上向く。あのときの続き、とはよく言ったものだ。暗闇にぽっかりと浮かぶ金色は、己の記憶より遙かに甘く、美しい。

「……ちょっとくらい乱暴にされてもいいから、最後までしてくれ」
「名誉挽回したい男心を弄ぶのはよして頂こう」

 広げた足の間で黒髪が揺れている。ただえさえ俯いている上に、浅ましく勃ち上がっている己の性器のせいで相手の表情は見えない。仮に見えたとして直視するには憚られる光景だろう。
 美の化身みたいな男が嬉々として同性の尻を舐め回してる。信じられない。憧れていた刀に恥部を晒している自分も、不浄の場所を厭わず触れる燭台切も、何もかもが現実離れしていた。
「指だと苦しいなら、先に口でしようか」
 どういう提案だ。当然突っ込んだし反対もしたが、唇を執拗に啄まれ、なし崩しに承諾してしまった。俺の意志が弱いわけではない。あいつが妙に芸達者なのが悪い。

「ァッ、ああぁ……! も、いいッ……! もういいから……!」
 丹念に唾液を塗され、腸壁を擦られ、とうに後ろはほぐれている。もう指だって三本は入った。滑りを足すという理由で俺だけ一度達している。丁寧すぎるほどに前戯を施され、固く閉じていた縁は熱を帯びていた。異物が抜けるたび、収縮して喪失感に悶えているのが嫌でも判る。

「んん……柔らかくはなったけど、まだだぁめ」
 舌に代わって指が内側の空白を埋める。にゅぷ、と逐一塗り込んだ油が鳴るのが堪えられない。
「う、ぅう……しょくだいきりぃ……」
「ごめんね長谷部くん。でも痛くしたくないから、もう少し我慢、ね?」
 額に唇が落とされる。燭台切の口調はまるっきり幼子をあやすそれだ。右手のいかがわしさとはまるで釣り合わない。この落差にさえ胸をときめかせてしまうのだから、大概自分も狂っている。

「確か、この辺りにあるって……」
 目的を持って動いていたらしい指先が何かを掠める。途端に腹の奥から筆舌に尽くしがたい感覚が迸った。
「ああぁッ! ふッ……は、なん……だ、これ」
「ああ、ここかな」
「やぁあああ、ア、やァ……! しょくだ、そこへん、変になる……!」
「大丈夫、変じゃなくて気持ちよくなってるだけだよ」
 燭台切は今度こそ確信を持って中を抉った。一層強い刺激が全身を駆け巡り、目の裏でちかちかと火花が散る。自分の身体にもかかわらず制御が利かない。忘れられて久しい前は涎を垂らし、軽く嬲るだけで今にも精を吐き出しそうだった。

「ァ、ああ、やあああッ、こわい、しょくだいきり、これこわい……ッ」
 シーツを掻き毟り、窮状を訴える。未知の感覚に押されて視界が滲んだ。ぼやけた燭台切の像が揺らぐと共に、圧迫感も遠のく。後膣は激しく疼き、恐怖に涙したくせにまた同じ場所を擦ってほしくてたまらない。
 目を瞬き、余計な水分を落とす。見れば、燭台切が膨れ上がった前立てから赤黒い竿を取り出していた。びくびくと脈打つ剛直に喉を鳴らす。あれならきっと、火照る腹の寂しさを埋めてくれるに違いない。

「長谷部くん」
 膝裏を持ち上げられ、陰部に熱が宛がわれる。束の間に恐怖は立ち消え、期待に取って代った。
「今度はふたりで気持ちよくなろうね」
 先端が狭い入り口を押し広げる。燭台切が腰を突き出すと、その分だけ太い幹が俺の中に潜り込んでいった。

「ァ、ぅぐッ、あ、ああ、ぎ……ッ!」
 熱い杭に穿たれ、内臓が限界を叫ぶ。悲鳴が漏れる上の口とは違い、肉壁は侵入する雄を拒まなかった。襞がぴったりと燭台切に寄り添い、その形を否応なしに意識させられる。
 くるしい。おもい。あつい。ふかい。諸々の感情が湧き上がる中、歓喜だけが常に変わらず胸の底にあった。
「っ、は、いったよ」
 燭台切が大息し、上体を倒す。近づいた身体から汗の匂いがした。試しになぞった背にはシャツが貼りついてる。

「……あつそうだな」
「長谷部くんの中あったかくて気持ちいいから」
「脱がなくていいのか」
「そんなことより今は長谷部くんを愛でることに集中したい」
「ン、やぁ、ばか、おれはいいから、ぬげ、あっ」

 腹いっぱいに頬張った肉塊が外へ抜け出ようとする。責め苦から解放されたはずの隘路は未練がましく男に追い縋った。小刻みに腰を揺らされ、拓かれたばかりの場所が打ち震えている。
「んんッ、あ、しょく、あああ、ふかい、おくッ、きてる……!」
 繋がる前と同様の衝撃がじわじわと身体を冒していく。耳に届く息遣いも荒くなりだした。
 あの燭台切が興奮している。俺で、俺の痴態で昂ぶって、こんなにも身体を熱くしている。どうしよう、今度こそ本当に折れてしまうかもしれない。嬉しさのあまり鋼がどろどろに溶けてしまいそうだ。

「はぁッ、長谷部くん、目とろっとろで可愛い、ね……!」
「ぁん、や、だってうれしい、やっと、アぁっ! おまえに、もとめてもらえたの、うれしくてぇっ……!」
 抜けかけた楔が一気に奥までを満たす。あられもない声を次々と発し、俺は犬同然にみっともなく喘いだ。蹂躙に慣れつつある下腹は、この苦しさこそ快楽なのだと悟り始めている。気付けば猛った逸物が出入りするのを陶然として眺めていた。

「あああ、あッ、いい、これすき、すき、しょくだいきり、すきだ」
 ろくに喋ることもできず、ただ譫言だけが口を衝く。覆い被さる影に抱きつき、鍛えられた腹に自らの性器を押しつけた。
「ッふ、長谷部くん、ひょっとしてもうイきそう?」
「ひァあッ! うんっ、あッあぁ、いく、いきたい、いかせてぇ……!」
「……いいよ、長谷部くんのしてほしいこと、全部してあげる」
 深々と刺さった肉槍が粘膜を掻き回す。密着したまま奥を責められ、互いの間に挟まれた陰茎も同時に刺激された。
「~~~~ッ!」
 担がれた脚が大きく跳ねる。腹から胸にかけて濡れた感触がした。いつになく余韻が続くが、きっと吐精したのだろう。熱に浮かされていた頭も少しだけハッキリした気がする。

「はぁ、ふ……んぁ」
「上手にイけたね長谷部くん」
「うん、すごかった……ふぇ?」
「お疲れのところ申し訳ないけど、僕はまだだから、ね?」
 引き抜かれたと思いきや、弛緩した身体をうつ伏せにされる。尻たぶに添えられた肉茎はなおも硬く、そそり立っていた。張り出した傘もやはり健在で、押しつけるだけで一度閉じた秘部を容易く割り開いた。
「あ、ああああッ!?」
 一息に貫かれ、激しい抽挿が始まる。下生えが皮膚を擦り、接合部がじゅぶじゅぶと水音を立てた。さっきまで俺に遠慮していたことがよく解る。燭台切の体重をそのまま受ける体勢になって、俺はされるがまま男の下でひんひんと啼いた。

「あぁ、すっご……きもちいい……」
 いかにも余裕のない呟きが降ってくる。中にいる燭台切を一層締め付けたのを自覚した。仕方ないじゃないか。こんな身勝手で独りよがりな燭台切、きっと他の誰も知らない。俺ひとりが知ることを許された、俺だけの燭台切だ。

「はぁっ、はせべくん、そろそろ出すからねッ」
「ン、あっ、いい、だせ、俺のなか、おまえの種で、いっぱいにしてくれ……!」
 収めた雄がさらに嵩を増す。腰を叩きつけられながら、下腹に力を入れて最後のときを待った。
「ッ! ぅぐっ……」
 燭台切が低く呻いたのを皮切りに、膨れ上がった神気が内に溢れ出す。勢いよく飛沫が腔内を濡らし、腸壁を叩かれる悦びに身震いした。

 

□110/???□

 

 甘い香りがする。どこかで嗅いだ覚えはあるが、果たして、いつ、どこで触れたものだったか。思い出せないもどかしさに頭を悩ませていると、曖昧だった意識がじっくりと浮上してきた。
「あれ、起こしちゃったかな?」
 声の主は洋装ではなく和装の寝衣を身に着けていた。まぐわってる間は頑なに脱がなかったくせに、目を離した隙に格好を整えるとは何事か。

「なんとなく目が覚めただけだ。それより何だこの匂い」
「ネロリだよ。リラックス効果があるから、よく眠れると思ってね」
 なるほど既視感があるわけだ。確か燭台切お薦めのアロマだったと記憶している。貼られていた値札の桁数に仰天したので、まずもって間違いない。

「どうだい、良い匂いだろう?」
「ん……」
 悪くはない。店頭で試したときも似た感想を抱いたはずだが、不思議と以前より心惹かれなかった。もっと芳しく、かつ落ち着く匂いを俺は知っている気がする。

「そうだ、お前だ」
「はい?」
「ネロリとやらも嫌いじゃないが、燭台切の匂いの方が良い。よく眠れる」
「……その発言で僕が眠れなくなったんだけど」
 布団をたくし上げ、隣を叩く。燭台切はしばらく髪を掻き毟った後、意を決したように俺の誘いに乗った。

「うん、これだこれ。弾力、体温、匂いともに最高品質抱き枕」
「お買い上げありがとうございます」
「支払いは身体でいいか?」
「笑顔一つで十分だよ。こら、ひとが格好良く決めようとしてる最中に身体払いを敢行しない」
「触り心地を確かめてるだけだが」
「マッサージ機能をオンにしたくなるからよしてくれ。ほら、大人しくッ……!」
 調子に乗って脇腹をさすると、燭台切の眉根が微かに寄った。だめ押しとばかりに語尾を詰まらせたので、すかさず黒い襟元を捕まえる。
 アロマポットの淡い光が男の肌を照らす。白い皮膚の片隅に痛々しい内出血の痕が刻まれていた。原因には心当たりがある。自分で狙って打ち込んだ部位を忘れるほど、耄碌はしていない。

「これを隠すためにさっきは脱がなかったのか」
「……ばれるなんて格好悪いなあ」
「怪我してるならあんな、悪化するような真似はよせ。俺が言えた義理じゃないのは承知しているが、燭台切はもっと自分を大切にしてほしい」
「本当に言えた義理じゃないね。でもまあ、ここは一つ、お互い様ってことで手を打たないかい?」
「む」
「僕は長谷部くんを守るためなら自分の身体がどうなろうが構わない。君に何と言われようと、このスタンスだけは変える気はないよ。でも僕が傷つくことで長谷部くんを悲しませたくもない。だから君も、自分を呪ったりせず、ひとりではどうしようもない澱みを抱えたら僕を頼ってくれないか」
 行き場をなくした手を取られる。絡み合った手の先で、誓いを請う燭台の灯が燃えていた。

「手を打つと言いながら、自分の意見を一切曲げる気がないのが見え見えで笑う」
「ああ、実は僕って結構頑固な質なんだよね」
「知ってる」

 繋いだ手の頂きに額を寄せる。俺の諾否なんてきっと燭台切には関係ない。この刀はどうせ一度決めたら梃子でも動かないのだ。
 誰よりも優しいくせに、誰よりも強引で、誰よりも始末が悪い。ああ、俺はなんて面倒な男を好きになってしまったのだろう。

「全く、おちおち呪いをかけている暇もない」

 呪いを解く最も有名な方法がある。
 眠れるお姫様しかり、蛙になった王子様しかり。とかく愛する者の口づけと大団円は切っても切り離せないものらしい。どうやら俺も、これらの先例に倣う羽目になりそうだ。

 

 

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