死体と添い寝したら彼氏ができた件 - 2/2

 

 鈍色の天井をぼんやりと見上げる。分厚いカーテンの隙間を縫って、細い光帯が寝床にまで差し込んでいた。朝陽を受けた埃が視界の端で煌めいている。
 どことなく全身が気怠く、疲労が抜けた感じがしない。さもありなん、昨夜は中々寝つけなかった。理由は明白、己が至極健康な二十代男性の身だからである。

「長船、朝だぞ」
「ああ、おはよう長谷部くん」

 ノックと共に悩みの種が顔を出す。片腕と腹筋の力だけで起き上がろうとすれば、彼はすかさず僕の背に手を宛がってくれた。
 支えられてベッドから下りる。そのまま洗面所まで付き添われて、ヘアバンドやタオルなど必要なものを用意してもらった。僕が顔を洗っている間、長谷部くんは朝食の準備を進めてくれている。流水音に紛れて、トースターのタイマーが鳴った。次いでスリッパが台所の床を忙しなく往復する。
 慣れない他人の家でも長谷部くんは甲斐甲斐しく働いてくれている。傍に寄り添い、何くれとなく気を遣って、僕のために尽くしてくれる姿は大変可愛らしい。実際助かってるし、目の保養にもなる。

「シェフ長船に出せるようなものじゃないが、まあ食わないよりはマシだろう」
「僕が審査員なら長谷部くんが作った時点で三つ星贈呈するけどね」
「味で評価しろ。いや、やっぱり味わうな。コーヒーで飲み流せ」
「そんな健康に悪い食べ方しません。ああ、長谷部くんの手料理が食べられる日が来るなんてなあ」

 幸せもろともチーズの載ったトーストを噛みしめる。
 塞翁が馬と言うべきか、怪我の功名と言うべきか。僕は今、長谷部くんと一つ屋根の下で暮らしていた。いわゆるお付き合いを始めたわけじゃない。全ては義理堅い彼による申し出が発端だった。

「しばらく住み込みでお前の面倒を見たい」
 この鴨は葱を背負っている自覚が無いのだろうか。そのうち自ら鍋に入って水浴びまでしそうな勢いだ。自分に好意を抱いている男の家に寝泊まりなんて、正気の沙汰とは到底思えない。しかし、これを至って真面目に提言するのが長谷部国重という男だった。

「長谷部くん、据え膳って言葉知ってるかい」
「はっ、片腕だけで何ができる。大人しく看護されておけ、怪我人」
「……この腕の責任を取ろうと考えているなら余計御免だ。君には、僕とのことで負い目なんて感じてほしくない」
「負い目を無くしたいなら世話をさせてくれた方が気が楽になるぞ。借りっぱなしは性に合わん。それに」
「それに?」
「もう会社には辞表を提出してきた。絶賛有給消化中で、はっきり言って暇だ」

 迅速すぎる行動に眩暈がする。断らせる気なんて端から無いんじゃないか。
 背水の陣を敷いてきた相手を素気なくあしらえるほど冷血漢にはなれない。下心を載せた秤に良心の呵責まで加わって、僕は敢えなく長谷部くんの計略に屈してしまった。

「シャワーはまだだよな? 片腕だと洗いにくいだろう、手伝うぞ」
「本当に君は警戒心をどこに落としてきたんだい? ちゃんと遺失物センターに問い合わせした?」

 こちらは全裸で、あちらは薄着で、狭い浴室に二人きり。密着しているから、たまに吐息が剥き出しの肌を撫でることも有る。不埒なことを考えないでいられる方がおかしい。それでも僕は歯を食いしばり、ぎりぎりのところを耐え忍んだ。
 その拷問のような一時をやり過ごしても、試練はまだまだ続く。着替えまで手伝おうとしたり、ソファでお腹出して寝ていたり、筋トレを手伝う名目で腰に跨がってきたりする。わざとやってるんじゃないか、と問い質したくなったことは数え切れない。

 と、万事が万事こういった調子で、長谷部くんは完全に油断している。片腕が不能では大したことはできまいと高をくくっているのだろう。
 実際その通りなのだが、そろそろ釘を刺さねば息子の機嫌が危うい。この歳で夢精はしたくないし、今夜あたり右手の世話になろう。刺されたのが利き腕でなくて本当に良かった。

「今日の目玉焼きは焦げなかったぞ」
 箸の先が白身を二つに割り裂く。自炊はしないという長谷部くんはコンロに火を点けることすら久々だったらしく、初日は見事に楕円形の炭を生産していた。もっとも覚えが良い彼は早々にコツを掴んで、今では半熟の焼き加減までマスターしている。
 こちらとしても生徒の成長は喜ばしい。美味しいよと朝食の出来を褒めやり、僕は爽やかな朝の一風景を演じてみせる。鼻を高くする長谷部くんは、まさか目の前の男が朝から煩悩に囚われているとは夢にも思うまい。

「いつか料理でお前の度肝を抜いてやるからな」
 ある意味既に達成している目標を掲げ、長谷部くんが挑発的な笑みを浮かべる。他者の悪意や理不尽から解放された彼は、意外に素直で、負けず嫌いで、ますます魅力的だった。
「はは、楽しみにしておくよ」
 いくら長谷部くんの要領が良くとも、二週間かそこらで僕の腕に追いつくのは不可能だろう。怪我が治ってからも彼の手料理を味わう機会が有ると約束された。これだけで諸々の葛藤についても十分すぎるほどお釣りが来る。

 朝食を済ませた後は、二人で掃除や洗濯を分担していく。それも大した量ではないから、大概午前中には片付いてしまった。空いた時間は、録画したドラマの消化や、腕に負担を掛けない程度の筋トレ、長谷部くんの転職活動などに費やした。
 短いながらも共に生活をして解ったことだが、僕と長谷部くんは結構気が合う。好きな作品の傾向だったり、仕事に対する姿勢だったり、食べ物のちょっとした好みだったりと、僕らの小さな共通点は多岐に渡った。
 結論が同じでも、そこに至るまでの過程が全く違うところがまた面白い。例えば、キャストや演出に拘る僕と違い、長谷部くんは脚本や構成で映画を見る。注目する点が全く異なるせいで、DVD鑑賞会は揃って熱弁を振るう羽目になった。

「これだけ趣味が合うなら、あの映画もさぞかし楽しめたんだろうな」
 パッケージに視線を落とし、長谷部くんが何気なく呟く。二人で初めて見た映画は、長谷部くんが途中で抜け出し、僕も彼を追ったから、互いにその結末を知らなかった。

「別に過去形にしなくてもいいだろう? あの映画はまだ公開中だし、僕らには時間がたっぷり有るんだからね」
「無職コンビだからな」
「僕は休暇中なだけだよ」

 午後の予定が決まった。世間は平日で、空模様は晴れ渡っている。デートのやり直しにはもってこいだった。

 スタッフロールが終わる。照明が戻り、他の利用客が一様に席を立ち始めた。出口に向かう列の中から感想を言い合う声がちらほらと聞こえてくる。
 僕らはその喧噪に交ざるでもなく、その場から未だ一歩も動いていない。
「う、うぇええ……」
 隣の席では長谷部くんが背を丸め、滂沱の涙を流している。これだけ役立てばティッシュ配りのお姉さんも報われるだろう。空になったポップコーンの箱は、長谷部くんの感動を吸ったちり紙で埋め尽くされた。やっとのことで劇場から出た時分には、既に上映終了から十五分も経過していた。

「もっと落ち着ける場所に行きたい」
 興奮冷めやらぬ眼差しが僕を射貫く。これが情を交わした間柄なら、そういう誘い文句だと解しても良かっただろう。しかし結論を急いではいけない。何しろ相手はあの長谷部くんだ。

「料理をつまみながら映画の感想を思う存分語りたいから、適当な店の個室に入ろうって意味かな?」
「さすがは長船、話が早い」
 褒められているにも関わらず、虚しさばかりが胸の内を占める。いっそ演技だと言ってほしい。問うまでもなく天然なことは判っているので、僕は大人しく相手の要求を呑むことにした。
 映画のために落としていた携帯の電源を再び入れる。手近な店を調べようとするより先に、SNSの通知に目が行った。

「あれ、宗三くんからだ」
 送り主の名前を読み上げた途端、長谷部くんが軽く息を詰まらせた。隣に視線をやれば、土気色の顔に冷や汗が浮かんでいる。

「長谷部くん、宗三くんと何か有った?」
「特に何も」
「既読スルーは良くないよ」
「お前また人の携帯を勝手に」
「残念、当てずっぽうです。じゃあ代わりに返信しておくね、長谷部くんは今僕の隣にいるよ、と」
 密かに後ずさりするホシの腕を左手で掴む。三角巾を取ったとはいえ、未だに安静第一なことに変わりはない。良心を責めるやり口は好きじゃないが、その分効果は絶大である。長谷部くんは無理に拘束を振りほどくような真似はせず、店が決まるまで大人しく待機していた。代わりに目つきが少し剣呑になってしまったので、夕飯は財布の紐を緩めた方が賢明だろう。

「なるほど、挨拶も無しに会社を辞めたと思ったら彼氏の家に転がりこんでいたわけですか」
「彼氏じゃない」
「まだ付き合ってないよ」
 右から肘鉄が飛んでくる。友人の邪推をすかさず訂正する長谷部くんだったが、肝心の相手にはいまいち響いてないらしい。彼なりの抗弁は「夫婦漫才は余所でやって下さい」と有り難い声援を貰うに留まった。
 やがて注文した皿が次々に届く。熱したプレートに肉と野菜をバランス良く並べ、焼けるのを待つ間に再び宗三くんが口を開いた。

「まあ、あんなことが有った職場で働く意欲が失せるのは当然でしょう。事情を把握してる会社が迅速に対応したのも頷けます。しかし、直接話を聞こうと連絡したら「諸事情で長時間外に出られない」だの「家は留守にしてる」だの「居場所は訊くな」なんて返事が来るんですから不安にもなりますよ」
 監獄から送られてくる生存報告か何かか。こんな葉書が両親の元に届いたら、さぞかし上京した息子の安否が危ぶまれるだろう。

「貴方の場合、弱ってるところに優しい言葉を掛けられたらコロッと行きそうですからね。とうとう趣味の悪い女に飼われたか、筋者に拾われて鉄砲玉でもやらされてるのかと思いました」
「長谷部くん自分を安売りしすぎじゃない?」
「宗三の妄想を真に受けるな。大体、お前も何でこいつに連絡入れたんだ」
「僕の真に迫った想像が正しければ警察沙汰ですよ。捜索依頼を出すべきかどうか、本職に判断を仰ぐのは妥当では?」
「う」
「散々心配させておいて、当の本人は呑気に昼間から映画を見に行っていたと知ったときの僕の心境が判ります? あともう少しで折れましたよ、スマホが」
「そ、それは悪かった……すまん」
 とうとう非を認めた長谷部くんが頭を下げる。語尾の謝罪は消え入りそうな声だったが、宗三くんも無事と判ってほっとしたのだろう。追及もそこそこに、焼き上がった牛タンへと箸を伸ばした。

「ま、生きてるなら良いですけどね。それで? 付き合ってもないのに、どうして一緒に住んでるんですか?」
「ああ、それは僕の世話をするためだよ。例の事件でちょっと左腕を怪我してね、片腕じゃ何かと不便だろうって住み込みで面倒を見てくれてるんだ」
 消沈している長谷部くんの代わりに僕が答える。袖を軽く捲り上げれば、真新しい包帯がすぐに露わになった。
「名誉の負傷ってやつですか。正直胡散臭いと思ってましたが、貴方が有言実行する人で良かったです」
「長谷部くんの親友に認めてもらえて何よりだよ」
「親友じゃありません」
「親友じゃない」
 右と正面からほぼ同時に否定される。お互い認めていないだけで、十分に親友レベルの仲の良さだった。

「それにしても長船はともかく、辛口の宗三がよく第一印象ホストの男を信用したもんだ」
「確かにつむじから爪先まで夜の雰囲気に染まってますが、さすがに警察手帳を見せられたら疑いも晴れますよ」
 本人の目の前で何てことを言うんだ、この人たち。

「あとは話を聞いていたら、結構冷静にものを考えていると判りましたからね。どういうわけだか、貴方はひどく警戒していたようですけど」
「そこは僕の接し方がまずかったんだよ。長谷部くんに疎まれてもしょうがないさ」
「ところが今では四六時中べったりと。チョロい男ですね」
「それは思う」
「長船、お前どっちの味方なんだ」
 三者三様の主張が飛び交い、形勢はめまぐるしく変わる。こうして、混沌を極めた晩餐は思いの外盛り上がった。

 宗三くんは明日も仕事が有る。僕も療養中の身でアルコールは控えているから、会はそこそこの時間でお開きとなった。
 親友への隠し事が無くなり、長谷部くんは反って気が楽になったらしい。行きとは打って変わって饒舌な彼に相槌を打ちながら、二人並んで帰路に就く。
 駅からマンションまでは徒歩で十分ほどかかる。大通りを抜けて、住宅街寄りの道を進めば、都会には不釣り合いなほど辺りが静かになった。

「お前はどうして宗三に連絡を取ったんだ」
 道半ばまで来たところでふと尋ねられる。あれ以来、長谷部くんから事件に関する質問は一度も受けなかった。勿論、僕から話題を振った覚えも無い。長谷部くんはこの件に関して完全に被害者だ。下手に取り上げて、いたずらに恐怖を煽るような真似はしたくなかった。
「預かっていた携帯の通知から、彼が君に一番近しい人間だと判断したからだよ。怨恨にしろその他の理由にしろ、あの偽装は君を陥れることに意義が有る。その線から考えれば、宗三くんは真っ先に捜査対象として挙げられるだろう」
「あいつは口こそ悪いが、根性はそこまで腐ってないぞ」
「ああ、話したらすぐにシロだって判ったよ。信頼の置ける人物と知れたから、次に社内のことを詳しく訊かせてもらった。有力候補までは絞れなかったけどね」
 もっとも会う前から宗三くんの人柄は概ね予想できていた。少なくとも友人を陥れておきながら、心身を慮る台詞を吐くような異常者には見えなかった。果たして僕の想像は的を外していなかったし、二人の友情は本物だった。長谷部くんから無二の親友を奪うような結果にならなかったのは僥倖だろう。

「……本当に俺が犯人で、俺がうっかり携帯を落とした可能性は考えなかったのか?」
「考えなかったよ」
「どうしてだ。ドラマや小説じゃあるまいし、殺人事件なんて大概は衝動的に起きるものだろう。あの状況で真っ先に槍玉に挙がるのは、普通俺じゃないか」
「衝動的な犯行で刃物なんて用意できるわけないさ。現場は路地裏だよ? 君が常時包丁やナイフを懐に隠し持っているというなら別だけど、そんな危険人物なら別件でとっくにお縄になってそうだしね」

 言うなれば、あの携帯はわざとらしすぎた。刃物を用意するような計画犯が、現場の確認を怠るはずがない。
 殺人による高揚感で視野が狭くなるパターンは確かに有る。凶悪犯に常識を求めるのは難しく、長谷部国重に事情聴取すべきという意見も挙がってはいた。だからこそ僕には、彼を保護すると同時に監視の任も与えられていた。

「……言われてみれば、そうだな」
「納得してくれたかい?」
「お前は始めから色々と知ってたから、あの夜、俺を信じると言ってくれたんだな」
「え」
「それらしく口説くの上手いなお前。やっぱり向いてるぞ、ホスト」
「待った。それらしいも何も、君に対する言葉に嘘偽りは一切含まれておりませんが」
「血まみれの現場で落ちてた免許証の写真見て一目惚れなんて誰が信じるんだよ」
「それはッ……いや、やめておく。詳しく言ったら引かれそうだ」
「何だ、言え。裸の付き合いまでした仲だろうが、今さら恥ずかしがるな」

 マフラーの先を引っ張られ、詳細を促される。恥ずかしいのではなく、長谷部くんに嫌われたくないから黙っているというのに、当人はその辺りを全く考慮してくれない。首元の平和を守るべく、僕は大きく嘆息して在りし日の残照を語った。

「写真を見て綺麗な子だな、って思ったのがまず第一印象。実際に会ってみたら、君はひどく憔悴していて、今にも倒れそうで、仕事とか抜きに放っておけなかった。介抱して、少し落ち着いたら、君は僕にお礼を言ってきただろう? 弱りきった君が、僕を頼りにしてくれたことが自分でも信じられないくらい嬉しかったんだよ。何が何でも守りたい。ずっと傍に居て、僕だけに弱った顔を見せてほしい。僕無しじゃ生きていけないくらい、どろどろに甘やかして、ずぶずぶに依存してくれればいいのにって、そう思ってしまったんだよ」

 正義と公正を謳う警察官にあるまじき欲求だった。恐ろしいのは、その場限りの衝動的なものではなく、今この瞬間も彼に同じ想いを抱いていることである。
 薄暗い執着を向けられ、さしもの長谷部くんも怯えただろうと様子を窺う。隣に立つ彼のかんばせには、恐怖や嫌悪といった僕を拒む色はまるで見られない。ただただ、放心したとばかりに口を小さく開けているだけだった。

「それは刑事としてセーフなのか?」
「……お互いに同意の上なら問題ないんじゃないかな」
「そう、そうだよな。頼むからワイドショーで取り上げられるような真似だけはするなよ」
「しません。長谷部くんが良いって言ってくれるまで、ちゃんと自分の煩悩とは折り合いをつけていくよ」
「本当についてるのか?」
「君が無意識に煽ったりしてこなければ余裕だね」
「いつ煽った」
「お風呂の世話までしたり、人の腰に跨がって「がんばれがんばれ」なんて声援送ったり、風俗スレスレの行為をしておいて自覚が無いのはどうかなあ」
「う」
「あ。少しは自覚有るんだね、よし今後は過度な挑発を控えるように」

 ただえさえ長谷部くんには軽薄そうなイメージを持たれている。ここで安易に誘惑に乗っては先日の二の舞だろう。あの夜のように、なし崩しで関係を持つことは可能な限り避けたい。
「確かに、サービスにしては行き過ぎだった節は有る。だが、別にお前をからかっていたつもりはないんだ」
 長谷部くんの足が止まる。僕も少し遅れて立ち止まって、両者の間に一歩半ほどの距離が生じた。俯いた彼の目元はすっかり煤色に覆われている。その下にどんな表情が隠れているのかは現状、推し量ることしかできない。

「俺はずっと仕事一筋で生きてきた。会社に尽くして、自分がいなければ職場は回らないと思っていた。でも今回の事件で判ったんだ。俺の代わりなんていくらでもいるって。滑稽だよ。必要とされてると感じていたのは、俺の勝手な思い込みに過ぎなかったんだから」

 長谷部くんが自らの右腕を掴む。コートの分厚い生地に食い込む指先が震えているのは、本当に寒気のせいだろうか。

「お前を疑った罪滅ぼしと、助けてくれた礼をしたいという気持ちは本当だ。でも長船なら俺を、長谷部国重という一個人を求めてくれるだろうと、そういう打算的な考えが無かったとは言い切れない。過剰なまでに尽くしたのは、飽きられたくなかったから。職場の代わりに俺を必要としてくれる、長船光忠という男を手放したくなかった。俺は、お前の好意を利用して自分のちっぽけな承認欲求を満たしてたんだよ」

 身を削るような激白が繰り出される。己を徹底して蔑む言い様には、聞き覚えが有った。あの夜も、長谷部くんは追い詰められて、自らを人殺しなどと喚き散らした。
 傍からは荒唐無稽と思われる宗三くんの評価も、きっと長谷部国重を知る者なら一理あると頷くだろう。
 勝ち気で堂々とした口調に反し、長谷部くんはとても自己評価が低い。だからこそ自らを認める言葉には弱く、強引に求められれば絆される。仕事という支柱を失い、他者からの需要に飢えている今はなおさらだ。優しくしてくれるのなら誰でも良い。彼が言わんとしているのは、そういうことだろう。

「別に利用されていても構わないさ」
 吐き出した呼気の向こうで長谷部くんが目を見張った。勢いづいて顔を上げた額には、乱れた前髪が張り付いている。
「宗教家やお坊さんじゃないんだし、人との付き合いに打算や計算が入るのは仕方ないだろう? 長谷部くんは僕に好かれて安心する、僕は長谷部くんが傍に居てくれて嬉しい。互いに良いこと尽くめじゃないか。何か問題でも有るのかい?」
「そ、そんなの屁理屈だ」
「屁理屈でも詭弁でも何でもいいよ。君と一緒に居られるならね」
 既視感の有るやりとりを交わし、長谷部くんはあの夜と同じように口を噤む。僕は苦笑しながら、一歩半の距離を埋めた。以前は耳に寄せた唇を、今日は頬に落とす。

「おさふね」
「光忠」
 こうして呼び名を正すのは何度目だろう。いくら促しても長谷部くんは頑として名字呼びを譲らず、結局彼が光忠と呼んでくれたのは、あの晩だけだった。

「……お前はいちいちタイミングがずるい」
「お褒めに預かり恐悦至極。攻め時は逃したくないよね」
「名前で呼んだら、また押し倒してくるんじゃないだろうな」
「しないよ。長谷部くんがご所望なら話は別だけどね」
「俺に任せてたら一生そんな機会はやってこないぞ」
「一生一緒に居てくれるんだ? ふふ、ありがとう」
「警官の前で下手なこと喋るもんじゃないな。何を言質に取られるか判ったもんじゃない」

 両手で軽く僕を押し返し、長谷部くんは一人足早に先を行った。すれ違いざまに見えた耳の端が赤いのは、勘違いじゃないだろう。
「置いてくぞ、光忠」
 そう言って、こちらを睨む目尻の下も、耳と同じ色合いをしている。

 長谷部くんは気付いていない。照れ隠しに凄んでみせても可愛いだけだということ、打算の告白は相手とは誠実に向き合うべきだという信条の表明だということ。彼は自分で思っているよりも真面目で、嘘が下手で、ずっと魅力的だ。

 長期休暇も終盤になり、左腕の痛みもほとんど感じなくなった。
 リハビリも兼ねて、今日の食事は全て僕が担当している。こなれてきた長谷部くんの手料理も味わい深いが、僕としてもそろそろ包丁の感触が恋しい。
 長谷部くんの反応を見る限り、滑り出しとしてはまずまずといったところか。張り切りすぎて量を作りすぎてしまったのは要反省かな。近所に育ち盛りの高校生が二人も居て助かった。

 買い出しを終えて、長谷部くんには居間で休憩してもらっている。その間、僕はタンドリーチキンの仕込みを進めていた。これを出すのは休暇最終日である明日、頑張ってくれた長谷部くんを労う会のメインを飾る予定でいる。年末年始は忙しくなるし、クリスマスを祝えるかどうかは甚だ怪しい。彼がまだ家に居るうちに、前倒しでイベントをこなすのも悪くないだろう。
 長谷部くんとは、未だに友人とも恋人とも言えない関係が続いている。多少のスキンシップは許容してくれるし、向こうから雑談を振ってくることも多い。ただ良い雰囲気になっても僕らの関係は進展を見せなかった。
 長谷部くんは僕に迫られても拒まない。拒まないが、同時に応えることもしない。試しに顔を近づければ、形の良い眉が下がって口を閉ざしてしまう。そのたびに僕は身を引いて、つかず離れずの距離感を保った。長谷部くんのペースに合わせると約束したんだ、怖がらせたり困らせりするのは本意じゃない。

(少しずつ、着実に行こう)
 ニンニクと生姜をすり下ろす間に、ちらとリビングの方を見遣る。ソファにもたれる彼はペットの特集番組に夢中だった。猫がベランダで寝転がる姿に熱視線を送っているが、僕としてはそんな長谷部くんを見ている方が余程癒やされる。
 煤色の後頭部を眺めながら作業すること数分、玄関の方からインターホンが鳴った。おそらく宅配便か何かだと思われるが、調味料まみれの手ではとても対応できそうにない。
「ごめん長谷部くん、判子お願いしていいかな」
「ああ、わかった」
 ややあって玄関で簡潔なやりとりが二、三交わされる。長谷部くんが席を外したのはせいぜい一分そこらで、帰ってきたときには小型の段ボールを抱えていた。

「送り主は鶴丸国永だそうだ」
「鶴さんから? じゃあ多分お見舞いかな、長谷部くん開けていいよ」
 仕込みの方は九割方終わった。できれば片付けまで済ませておきたい。それに荷物の送り主があの鶴さんだというのが引っかかる。サプライズ好きで通った彼のことだから、見舞いの品一つとっても油断はできないだろう。
 本来なら手が空いたときに覚悟を決めて開封すべきなんだろうが、ちょっとした好奇心がその選択肢を敢えて外させた。

 鶴さんの悪戯に翻弄される長谷部くん。見たいか見たくないかで言ったら、とても見たい。間違いなく可愛い。新鮮な悲鳴を上げてソファからずり落ちる姿とかめちゃくちゃ見物だ。
 という欲望に塗れた理由で、僕はいたいけな子羊を戦場に送り出した。素知らぬ顔で調味料に漬けた鶏肉をしまい、使い終わった器具を洗う。跳ねた水がシンクを叩く音の他は、いたって静かなものだった。
 当てが外れたのか、ソファに座る長谷部くんからは特に反応は無い。紙が擦れたような音が時折するから開封そのものは終えているはずだ。相手が鶴さんだからと警戒しすぎただろうか。しかし中身が驚くに値しないとしても、長谷部くんなら一言報告くらいしてきそうなのに、黙ったままというのは違和感が有った。

「長谷部くん、中身何だった?」
 ようやく台所から出て、長谷部くんの隣に腰を下ろす。彼の膝元に置かれた段ボールには、クッキーの箱詰めやコーヒーギフトといった定番の品が積まれていた。これらに取り立てておかしいところは見当たらない。
 次いで荷物から長谷部くんの手元に目線を移す。どうやらメッセージカードも同封されていたようだ。長谷部くんは五、六枚ほどのカードを両の手で広げ、その文面を凝視したまま動かない。そして先刻まで緩んでいた頬は引き締まり、眉宇の辺りにはあからさまに不快感を漂わせている。突然の変化に息を呑んだのも束の間、長谷部くんの矛先がこちらに向いた。

「モテモテだなあ、光忠クン」
 耳慣れない敬称に面食らってると、鼻先に例のカードを突きつけられる。勢いにのけぞりつつ内容を確認すれば、刺々しい揶揄の理由はすぐに理解できた。
 書いたのは僕の同僚で、公務員にしては派手好きな婦人警官だった。メッセージの主旨は怪我の回復と職場復帰を祈るもので、別に目くじらを立てる文章ではない。それだけに文末に押された口紅の跡がひどく浮いていた。
 他のカードも軒並み女性が書いたものだった。頭の奥で鶴さんの哄笑が響き渡る。ああ、慰労会で再び攻勢をかけようとしていた僕の計画が音を立てて崩れていく。復帰直前になって、こんな指向性爆弾が送られてくるなんて誰が考えるものか!

「あ、あのね長谷部くん。誤解しないでほしいんだけど」
「光忠くんが居ないと寂しい。年末年始の繁忙期を乗り越えられる気がしないよ、早く元気になってまた一緒に働こうね!」
 淡々とした口調で手紙を読み上げられるのは結構な破壊力が有る。せめて弁解の余地くらい与えてほしい。

「それで? このうち何人が元カノなんだ? 全員か? 何なら絶賛交際中か?」
「いやいやいや。誰とも付き合ってないし、付き合うこともないから。僕には君だけだから安心してくれ」
「安心? 安心って何ですかー? 長船光忠くんが傍に居ないと生きていけない身体になった覚えはございませんがー?」
 捨て台詞を吐き、長谷部くんはそっぽを向いた。しなやかな足を組んで、苛立ちを隠そうともしない。

 どうにも気が逸る。長谷部くんが見舞いのカードに怒っているのは明らかだ。問題なのは、どうして彼がそれを見て気分を害したのか、ということだった。
 期待してしまうのは当然だろう。僕たちは恋仲ではない。相手以外の誰かと付き合ったところで、それを咎める権利は無い。長谷部くんだって、そこは重々承知しているはずだ。

「もしかして長谷部くん、妬いてる?」
 我ながら何とも白々しい問いかけだった。もしかしても何も、僕は確信している。
「妬いてない」
「じゃあ、何でカード読んで怒ったんだい?」
「怒ってない」
「怒ってないならこっち向いてくれないかな」
「いやだ」
 取り付く島もない。長谷部くんはこうと決めたら梃子でも動かないから、懐柔するのは難しいだろう。まあ、向こうが動かないのなら、こちらから回り込んでしまえば良い話だ。

「眉間に皺、寄ってるよ」
 白い額の下部を指で突く。半ば覆い被さるようにしてソファに手を突けば、長谷部くんはもう逃げられない。見下ろしたすぐ先には、耳まで赤々と染めた面貌があった。

「ねえ。僕が他の子と付き合ってたかも、って考えたら嫌な気持ちになった?」
「べつに、俺は」
「本当のこと言ってくれたら、僕は君だけのものになるよ」
 長い睫毛が震える。正面から見据えた二つ目は、薄らと膜を張っていた。

「はせべくん」
 額と額とを合わせ、応えを待つ。瞬きすら憚れる距離で、いったいどれほど見つめ合っただろう。不意に視界が急転し、前方が暗くなる。それまで服越しに感じていた人の温もりが突如として生々しさを伴った。
「ン、は、んぅ……」
 僕の上で長谷部くんが弱々しい声を漏らす。稀に湿った吐息が顎や鼻先を擽った。隙間なく重ねた唇が、言葉のみならず理性までも奪っていく。肌を気遣わない長谷部くんの唇は始めこそ乾いていたけれど、僕の皮膚を食むうちに次第に蕩けて、凹凸がぴったり合わさるようになった。

「やいてない、おれは、やいてなんかない」
 否定を繰り返しながら、長谷部くんは何度も僕に口づける。こういった行為にはあまり慣れてないのか、ただ押し当てられるだけの拙い触れ合いが続いた。
「は、ぁ、む、ッ!?」
 のし掛かる身体に腕を回し、重ねた肉の境界を舌で突く。驚いた拍子に唇が軽く開いた。その隙間を縫うようにして咥内に割り入る。長谷部くんの中は温かくて、不思議と甘い。いつまでも味わっていたいと思わせる心地良さだった。

「ん、はせべくん、した、こっち」
 及び腰の舌を捉え、粘膜同士を絡ませる。歯列をなぞり、口蓋を刺激し、存分に愛でた身体から徐々に力が抜けていく。上から供給される唾液を飲み干す頃には、もう長谷部くんの息は絶え絶えだった。

「キス気持ちいいね」
「ん……」
「もっとしたいけど、これ以上はちょっと厳しいかなあ」
「やだ、する。もっとする」
「いいの? キスだけじゃ足りなくなっちゃうよ?」
「いいから、してくれ」
「……そんなに他の子に僕を取られたくなかった?」
 先刻一蹴された質問を再び投げかける。快感でふやけていた顔つきに、少しだけ険が戻った。

「……そうだよ、やいた。すごくむかついた。俺のこと好きとかいっておいて、他のやつとつきあうなんて絶対ゆるさない。ふん、本当のこといったぞ……とっとと俺のものになれ」
 僕の肩口に煤色の髪が埋まる。こんな可愛いらしい文句を聞かされては励まずにいられない。上下を入れ替え、望まれるままに長谷部くんの唇を奪った。
 お互いに行為の行き着く先も、そこで得られる快感も知っている。とりわけ、僕はこれまで散々お預けを食らってきた。抑圧してきた劣情が堰を切って、つい手足がひとりでに動いてしまう。早く目の前の肢体を暴きたいと、右手がセーターの下に潜り込んだ。

「ン、ぁ、はぁ……ッ! ひゃっ」
「ごめん、冷たかった?」
「へっへいきだ、気にせず、つづけろ」
 促されて、さらに奥へと手を忍ばせる。長谷部くんの肌は滑らかで、無駄な脂肪もついていない。程よく載った筋肉の弾力を楽しみつつ服を捲り上げた。日焼けしない体質なのか、運動部所属だったという割に肌が白い。セーターも白いせいで、寒さに凝り固まっている突起の赤みが余計目立った。
「長谷部くんのここ寒そうだね」
「どこ見て話しかけてるんだ、ひっこら、つまむなぁッ……!」
 暖めようと芯を持った乳頭に息を吐きかける。指で挟んで人肌に包んでもみるが、当然そこが柔らかさを取り戻すことは無い。口に含んで甘く噛んだところで結果は変わらなかった。

「はせべくん、きもちひひ?」
「ぅ、あッ……ン、うぅ、ん、うんッ」
「口と指、どっちがすき?」
「やぁッ、も……どっちもぉ……!」
 それまでソファの表面を引っ掻いていた手が僕の後頭部に回る。ぐいぐいと胸を押しつけているのは、もっとしろというお達しだろうか。本当に長谷部くんはえっちで困る。
「いいよ。いっぱい摘まんで、挟んで、舐めて可愛がってあげる」
 一方は指の腹で押し潰し、一方は舌で嬲った後に思いきり吸い上げる。組敷いた身体が小刻みに震え、徐々に熱を上げていった。それは僕も同じで、好きな子の痴態に煽られた下腹部が解放を訴えている。ごり、と体積を増した一部が長谷部くんの腿を擦った。密着している今の体勢では、どうしたって相手に興奮が筒抜けとなる。

「がっちがちだな……」
「好きな子の服を脱がして、えっちな声聞いた男の正常な反応です」
「じゃあ、俺も脱がしたい」
「えっ」
「みつただの服、脱がしたい」

 思ってもみない申し出に一瞬脳がフリーズする。何度か瞬きを繰り返し、数秒前の言葉を咀嚼するも考えが上手くまとまらない。終いには、混乱する僕を置いて長谷部くんの方が動き始めてしまった。

「む、外しにくいな。ちょっと腹浮かせてくれ」
 ぺちぺちとお腹を叩かれ、言われるがままに上体を起こす。それを追うように長谷部くんも起き上がって、中途半端に外れたボタンに手を掛けた。黒のカーディガンが緩み、ソファに落ちる。続けてシャツに指を伸ばしたところで、長谷部くんが前触れなく固まった。
「どうかした?」
「いや……良い体をしてるな、と思って」
 外気に晒された腹部を長谷部くんの掌が這う。好奇心の赴くまま、官能を刺激する動きではないものの、視覚的にまずい。
「うわ、かたいな」
 さらに身を屈めた長谷部くんが腹筋に頬ずりしてくる。あと台詞が完全にアウトだ。何でもかんでも思いついたことを口に出す癖は後々矯正しよう。

「満足しましたか長谷部さん」
「んーまだ」
 勘弁してくれ、という胸中の叫びが虚しく響く。僕が耐えていることも知らず、長谷部くんはあろうことか舌を突き出してきた。柔らかく湿った肉が、筋と筋との境目を唾液で浸す。こそばゆいとも快感ともつかない曖昧な痺れが走った。
「ッ、ちょっと長谷部くん」
「ふふ、何だ良い顔するじゃないか。かわいいぞ、みつただ」
 舌なめずりまでされたらもう駄目だった。性急にシャツを脱ぎ捨て、長谷部くんの両脚の付け根を下から撫で上げる。スウェット生地を押し上げる膨らみは、確かに硬く兆していた。

「やッ、もむな、ばっ……! あ、ひぁッ!」
「あは……長谷部くんもがっちがちだね。僕を脱がして、身体に触れて、それで興奮してくれたんだ?」
「ふぅ、っく……! そ、それがどうした……正常なおとこの反応なんだろッ」
「そうだよね。ふふ、嬉しいなあ」
 服ごとやわやわと揉み込めば、衣擦れとは別に粘着質な音が聞こえてくる。直に下着の中を確認すれば、音の正体はすぐに掴めた。
「ひっ、そこ、あ、ア……! ンンッ! みつただ、やだ、みつただぁ」
 制止を求めながら長谷部くんは僕に縋りついてくる。今もセーターに守られている腕や首元と違い、執拗に舐った乳首は晒されたままだ。長谷部くんが身を捩るたびに先端がぶつかるものだから、弄ってと主張しているようにしか思えない。
「やぁッ!? なん、れ、むねまでぇ……!」
「ん? だって押しつけてくるから」
「ちがう、そんなんじゃな、ぁア! だめ、いっしょにするの、だめだからァ……!」
 長谷部くんを引き寄せ、僕の膝上に座らせる。ちょうど目の高さに胸が来たから、これで上も下も両方構ってあげられるようになった。

「はぁ、はせべくん、かーわいい」
「く、くわえたまましゃべるな……ふぇっ!?」
 先走りを纏わせた指を滑らせる。陰嚢よりも奥、まだきつく閉ざされている場所の縁をくるりと一周した。
「ア、ぁ、みつただ……」
 欲に溺れていたときと異なり、長谷部くんが僕を呼ぶ声は懇願めいた響きが混じっている。一度経験したとはいえ、本来男を受け入れるつくりをしてないのだから怯えるのは仕方ないだろう。
「ゆっくり、するから」
 それでも拒んでほしくなくて、半ば諭すように先をねだる。手を止め、口を閉ざし、ひとえに長谷部くんの選択を待った。

「……おまえは、俺のものだ。だから、俺も、光忠のものになる」
 首に腕が絡められる。距離が縮まり、顔が近づいたときには自ずと唇を合わせていた。

 じゅぽ、じゅぽと水音が立つ。三本も指を咥え込んだ内側はすっかり解れ、順調に快楽を拾うようになっていた。先程から触れてない長谷部くんの中心は上向いたまま、自らを濡らし続けている。
「ふぅ、ふッ――ウ、ぐぅッ……!」
 また長谷部くんがセーターごと嬌声を噛み殺した。我慢しないでと言っているのに、頑固な彼は中々折れてくれない。
「長谷部くん、キスしたい」
 そう言えば、あっさりセーターを離してくれるのでやはり根は素直だ。しとどに濡れた唇を啄み、ゆっくりと後ろから指を引き抜く。圧迫感が失せて楽になったはずなのに、僕を挟む足はもどかしげに揺れていた。
 膝立ちになって、いい加減に痛みすら感じていた前を寛げる。ようやく取り出した逸物はパンパンに腫れ上がって、血管まで浮き上がらせていた。我ながらグロテスクだと思うし、視界に収めた長谷部くんも目を大きく瞠っている。

「アナコンダ」
「残念ながらホモサピエンスです」
「チンアナゴ」
「そこまでスケールダウンされるぐらいならヘビのままでいいよ」

 寝そべる長谷部くんの腕を引き、背後から抱きしめる。薄い双丘に昂ぶった熱を挟み込み、割れ目に沿って緩く往復した。
「ン、ぁ、熱い……!」
「あはッ……これはこれで、結構良いかも」
「はっァ、え、いれなくていいのか……?」
「まさか。ちゃんとお腹の奥まで可愛がってあげるよ」
 指で準備を整えた場所に先端を宛がう。一気に貫かないよう、長谷部くんを支えながら慎重に自身を埋めていった。

「ァ、はい、あ”、ア”アァっ!」
 割り開かれた衝撃に堪えかね、鞘にされた身体が暴れる。拠り所を求める手に口づけ、胸の先を捏ねながら、じっくり、着実に繋がりを深めていく。
「はァッ、あ……ふぅ、ハぁ……」
「お疲れさま長谷部くん。奥まで入ったよ」
「へ……はい、った……?」
「ほら、この辺りまで」
 当たりをつけて薄いお腹の一部をへこませる。深さを示されたことで中にある雄を意識したのか、肉壁がきゅうと収縮した。
「ッく……! はァ、初っぱなから情熱的だね」
「ちがッ! おまえが変なこと言うからっ」
 背後を顧みて抗議する様すら可愛い。馴染むまで待つつもりだったのに、つい腰が揺れてしまった。
「やああッ! そ、ッきゅうに、ンぁ、なか……!」
「はぁ、すっご……吸いついてくる」
 ぴたりと寄り添う襞を掻き分け、収めたものを抜いては戻す。時間を掛けた甲斐あって、始め頑なだった後穴は男の形そのままに蹂躙を受け入れていた。
「ン、ふッ……長谷部くんも、良くしてあげるね……」
 律動に合わせて揺れる陰茎を手に取る。苦痛で多少萎えてしまった竿を握り、ゆるゆると扱き上げた。
「あッや、みつただァっ……!」
「あ、元気になってきた。えらいえらい」
 前に意識を集中させる傍ら中を探る。前戯の際に触れてはよがっていた場所を求め、ぬかるむ隘路をあちこち突いた。
「ひあァッ!」
 内部のしこりを掠めた途端に艶めかしい悲鳴が上がる。同時にこれまで従順だった粘膜が咥えた雄にしゃぶりついた。

「や、あああ、ああッみつ、らめ、ぅぐッ! そこへん、へんになる、からァ……!」
「変じゃないよ。えっちなことしていっぱい気持ちよくなるのは普通のことだから、ねッ」
「あァァアア!? やァ、だめ、ほんと、だめだからぁあンッ!」
 前立腺を狙って突けば長谷部くんは判りやすく乱れる。口元を押さえる余裕も失せて、意味を伴わない母音の羅列ばかりが垂れ流された。
 下生えが触れるほどに突き刺して、奥まった場所を丹念に犯す。掻き回してやれば、長谷部くんが背を弓なりにして小刻みに震えた。雄の味を知った蜜壺はどこを突いても甘い声を上げる。だめ、と言った傍から自分でも腰を揺らしてるのだから、長谷部くんには困ったものだ。

「みつたら、ン、ぁ、なあ、まえ……」
「ん……? 前がどうかした?」
「うぅう、だから、はァ、こっち、も」
 長谷部くんが力なく己の上半身を指さす。丸まったセーターの下で、放っておかれた胸の尖りがつんと勃ち上がっていた。

「ひッ!? なんで抜い、やあああァッ!」
 一度長谷部くんの中から出て、ソファに寝かせた身体にまた覆い被さる。喪失感に悶える窄まりは雄を歓迎し、突き当たりまで易々と僕を呑み込んだ。
「ごめんね、さっきの体勢じゃ乳首両方可愛がってあげられないからさ」
前のめりになって汗ばんだ肌に頬を寄せる。左手で先端を弾き、舌先で舐め上げ、全力で長谷部くんの期待に応えた。

「ン、ハッああッア、むね、あつい、ンッあ、ぁああ、みつただ、みつただぁ!」
「ふふ、おっぱい、きもひよさそうらね、はせへふん」
「うんッきもちいい、いいからもっと、ひァ、ああッあ、ああッ! やあ、はら、おく、なんかッくる、やあぁあああ……!」
「イきそう?」
「わかんな、ン、あッああァ! たすけ、みつたら、くる、きちゃうからあ……!」
「あはッ、いいよ……! そのまま気持ちよくなって大丈夫だからねッ……!」

 長谷部くんの限界が近くなって、締め付けが一層厳しくなる。僕もみるみる追い上げられて、窮屈で温かい臓腑に精子を叩きつけることしか考えられなくなった。

「ア、ああああああああああッ!」
 最奥を抉られ、長谷部くんが吠えた。自らの腹を白濁を汚し、極まった四肢がびくびくと痙攣する。
「ッ……! はせべくん、ぼくも、だすよッ……!」
 絶頂を迎え過敏になってる後膣を容赦なく貫く。宣言した通り、長谷部くんから少し遅れる形で僕も精を吐き出した。
「ふぅ、は、ああ……はあ……」
 肩で息をする長谷部くんの奥深くに溜まり溜まった欲望を注ぐ。長い射精を終えて身体を別てば、ぽってりと腫れた縁から二人分の体液が漏れ出た。長谷部くんから溢れた行為の名残がソファを濡らし、その光景の淫靡さに性懲りもなく熱を煽られる。出したばかりだというのに、僕の一部はなおも硬度を保ったままでいた。頭を振って煩悩を払う。今は下半身より長谷部くんの無事を確かめる方が先決だ。

「大丈夫かい長谷部くん」
「ん……だい、じょうぶ……俺より、お前は」
「僕? そりゃあ平気だけど」
「ちがう、腕……痛くないか」

 長谷部くんの目線の先を追う。怪我が治り、激しい運動にも耐えられるようになった左腕には、未だに消えない傷跡が残っていた。

「もうどこも痛くないよ。長谷部くんの献身的な看護のお陰でね」
「別に。大したことはしてない」
「そう思ってるのは長谷部くんだけだよ。何より助けられた当人が言うんだから間違いないさ」
「お前……本当に俺に対する評価が甘々のガバガバだな」
「行為に対する正当な評価だよ。だから沢山褒めるし、お礼もたっぷりする」
「そういうのはちゃんと仕事をやりきってからでいい」
「仕事?」
「その随分とご立派な腫れ物を治療してやらないとなァ?」

 口角をにいと歪め、長谷部くんは濡れそぼった秘部を自ら広げた。この瞬間、取り繕ったばかりの理性が本能に忽ち押し負けたのは言うまでもない。

「……今夜は寝られると思わないでくれよ」
「はは、望むところだドスケベ」

 僕らは再びソファの上で折り重なる。指と指とを絡め、何度も一つになって、互いの熱に溺れた。

 タンドリーチキンが食べ頃になるには一晩掛かる。怠惰な休日よろしく、午後まで眠りこけた後に雑事を済ませれば、きっと丁度良い仕上がりになっているだろう。

 

 

いいね! 0

小説一覧へ