段ボール本丸 / 幕間一【日本号】

 

 

 戦力拡大の名目で、各本丸に六十口以上の刀剣男士が配布されたのは先日のことである。古参の連中にはあまり関係ない話だが、稼働したての本丸からは続々と喜びの声が上がった。しかし正三位の俺まで贈呈の対象ってのは、政府も随分と太っ腹なことをする。或いは戦況がそれほど芳しくないのだろうか。

 まあ考えたところで始まらない。せっかく水を浴びても錆びない身体を手にしたんだ。戦場で誉を上げた暁には祝い酒と洒落込もう。

 俺が顕現した本丸は駆け出しというほどじゃないが、まだ発足から一年も経ってない陣営だった。聞けば池田屋攻略の真っ最中で、修行に出た男士は一口もいないらしい。当分槍の出番は無さそうだが、幸い御手杵に蜻蛉切、一緒に顕現した博多といった面子のお陰で話し相手には困らなかった。次郎太刀なんかは飲める口だし、他の連中も気の良いやつばかりだ。この本丸で不満が有るとすれば、それは一つだけだろう。

「よお、へし切」

 馴染みの仏頂面を見かけ、呼び止める。紫の長衣がもったいつけるように翻った。
 煤色の髪に藤色の瞳。いかにも生真面目そうな面貌に相応しく、八月の暑気に晒されながら上までしっかりボタンを締めている。見ているだけで暑苦しい格好をした男とは、もはや腐れ縁と言っても過言ではない。

「ほう。今日は飲んでないのだな」
「嫌み言う暇が有んなら出陣させてもらいたいねえ。部隊編成はお前さんの仕事なんだろ、近侍殿」
「そういう台詞は人の身体に慣れてから言え。まずは内番を一通りこなし、遠征で時間遡行の経験を積むことだな。あとへし切ではなく長谷部と呼べ」

 長らく圧切御刀と呼ばれていたくせに、本丸で再会した旧知は妙なことに拘った。耳慣れない響きだが仕方ない。もう一振りの堅物と同じく、こいつの文句に逐一付き合っていては日が暮れてしまう。

「へえへえ。しゃあねえな、今日のところは収穫した南瓜を煮付けにでもしてもらって一杯飲むことにすっか」
「まるで今日だけ特別に飲むような雰囲気を出すな。顕現してから連日連夜酒浸りだろうが」
「黒田武士が酒に弱くちゃ格好がつかねえだろう。お前もどうだ、たまには付き合えよ」
「悪いが遠慮する」
「博多と厚も参加するって言ってたぜ?」
「……ならなおさらだ。旧交を温めたいならお前たちだけでやってくれ」

 まさにけんもほろろ。素から愛想の無いやつではあったが、本丸に来てからの態度は異常だ。この一年足らずで何が有ったのかはともかく、博多たちにまで距離を置こうというなら流石に見過ごせない。

「何を意地張ってんだか知らねえがよ。お前、そんなに黒田の連中と話すのが嫌なのか?」
「黒田の刀に思うところが有るわけではない、が思い出話をする気もないな」
「はっ、聞いてもねえ右府様への恨み言は垂れ流すのにか?」

 無言で睨み合う。先ほどまで感じていた茹だるような熱気が失せて、互いの間合いを測り始めた。板張りの廊下に足を滑らせ、己より低い位置にある胸ぐらを掴もうと狙いをすませる。

「あああ~! 虎くん待ってください~!」

 少年の悲鳴が聞こえるより先に本能が恐怖を覚える。背後から近づいてくる気配は目の前の男より余程無害だというのに、身の毛がよだつのを抑えられなかった。
 図らずも床に縫い付けられた足下に衝撃が走る。勢いよくぶつかってきたが、全身がふさふさと柔らかい毛に覆われたそいつの突進は痛くもかゆくも無かった。もっとも身体はさておき俺の心はもはや重傷同然である。

「うおわあああああ! 虎だあああああああ!」

 ようやく動くようになった足で本丸を駆け抜ける。白色の毛玉が追い縋るのも無視し、脱兎のごとく逃げた。
 酒を好きに飲めるようになった代償というやつだろうか。俺は肉の器を得て以来、天敵と一つ屋根の下で暮らす生活を余儀なくされている。これが唯一にして最大の不満だが、自らも刀剣男士である以上は、飼い主たる五虎退を責めるわけにもいかなかった。
 でもいくら虎を退けたからって虎と一緒に顕現するこたないだろ! 蜻蛉切ったのに蜻蛉連れてない蜻蛉切を見習ってくれ!

 

「っていうことが有ったんだよ、くそへし切め……」
「逃げたくだりは長谷部全く関係なか」
「五虎退が落ち込んじまうから少しは慣れてくれよ」

 見た目はちびっこ、実際は俺より年上の短刀たちは悲しくなるほどに冷静だった。
 理不尽なのは重々承知の上である。それでも逸話に縛られるのが男士の宿命とはいえ、己の膝丈にも達しない小動物に怯える日々は俺の矜持をひどく傷つけた。歴代の主も剛の者で鳴らした兵ばかりというのに、この体たらくでは正三位の名が泣くというものだ。

 さて既に事が起きてしまった以上、先刻の醜態は酒で呑み流すしかない。瓶を傾け、自分の器の他に博多と厚の分も継ぎ足していく。粟田口の長兄には許可を貰ってるし、多少羽目を外したとしても問題は無いだろう。

「お前ら今日は飲むぞ、ここにある瓶全部空けるまで帰れないと思え」
「日本号の胃に八割吸収されるだけじゃね?」
「酒ん貯蔵尽きたおいしゃんからトイチで搾り取れそうばい」

 可愛げない発言ばかり漏らしながらも、短刀たちはそれぞれのペースで杯を進めていった。
 夕餉の後とはいえ、三口で摘まんでいればつまみの消費も早い。博多が率先して厨に向かったのが数分前のこと、帰ってきた我らが切り込み隊長は、盆いっぱいの酒肴に加え、本丸きっての伊達男を連れてきた。

「お待たせ。光忠特製揚げ出し豆腐と南瓜サラダだよ」

 障子を開いただけで様になる美丈夫が唇を綻ばす。色気が服を着て歩いているようなこの男は燭台切光忠、彼の有名な伊達政宗公の使っていた刀らしい。
 第一印象はすかした野郎だな、と思っていたが話してみるとこれで存外気骨がある。柔和な口調に人当たりの良い性格をしながら、己の主張は曲げない頑固さを持っていて、中々に面白いやつだった。何より料理が美味い。顕現して二日目、つまみを物色する俺にその手腕を披露してから、燭台切光忠株は毎日がストップ高である。

「おお、あんがとなあ兄ちゃん。今日も美味そうだな、あんたが女だったら嫁にしたかったぜ」
「ありがとう。日本号さんみたいな格好いいひとに認めてもらえるのは嬉しいよ」
 あっこれ俺が嫁になる方だ。軽口にそんな爽やかな切り返しすんじゃねえよ、胸の辺りがキュンっていったぞ。やめろ天下の三名槍に少女漫画ムーブさせるな、べっ別にときめいてなんかいないんだからね!

 こちらの心境などつゆ知らず、黒い太刀は配膳を済ませるなり畳にあぐらを掻いた。珍しいことも有るものだ。付き合いが良く、誰に対しても優しい燭台切だが、酒の席には進んで参加しようとしなかった。居座る姿勢を見せたということは、今日は給仕ではなく飲む側に回るということだろうか。
 いかにも洋酒入りのグラスを回すのが似合いそうな面をしている。夜の雰囲気を纏わせた男が果たしてどれだけ飲めるのか、純粋に興味がそそられた。

「いいねえ。今日はあんたも飲んでいくのかい」
 棚から新たな猪口を取り出す。黒い磁器は突っ返されることなく、革の手袋の中に収まった。
「燭台切のあんしゃんが飲むの初めて見るばい」
「そういや俺も見たことねえな」
 博多はともかく、俺より二ヶ月は本丸に長くいる厚が言うなら、燭台切はよほど酒席に縁が無いのだろう。ますます好奇心を煽られ、未開封の純米吟醸を引っ掴んだ。

「ようし、いつも美味い飯作ってもらってる礼だ。こいつは俺の奢りだぜ」
「日本号さん」
「何だ、日本酒じゃなくて焼酎や洋酒のが良かったか?」
 生憎と洋酒はあまり取り揃えていない。横文字の料理を颯爽とお出しする伊達男の目に適うものが有るかは若干怪しかった。

「はは、後からお邪魔した身で主人の好みに文句をつけるわけないよ。それに日本号さんの目と舌は確かだからね。ただ勝手ながら一つだけ頼み事が有ってね」
「おう言ってみろ、言ってみろ」
「僕と勝負してほしい」

 黄金色の隻眼が己を見据える。戯言ではないのだと、その声色から容易に察せられた。博多と厚が息を呑んで、俺と燭台切を交互に見遣った。
 さすがに練度が上限まで達しているだけあり、こうして相対しているだけでも威圧感を覚える。相手にとって不足は無い、ということだろう。

「飲み比べで俺に挑もうたあ、とことん面白い兄ちゃんだな」
「手加減は要らないよ」
「安心しな。酒盛りだろうが戦場だろうが、俺は容赦しねえ」

 瓶を厚に預け、酌を頼む。とくとくと透明色の液体が互いの杯に注がれた。波紋が落ち着き、静寂が室内を満たしたところで博多に目配せをする。一瞬呆けた後に意図を理解した短刀は、高らかに開始の音頭を口にした。

 

「うっそだろ燭台切光忠」
 たった二杯で魂を飛ばした相手を前に困惑だけが募る。
 弱い。あまりにも弱すぎる。さっきまでの盛大な前振りは何だったんだ。いかにも強豪感出してただろ。即オチ二コマかよ。陵辱もののヒロインだってもう少し粘るわ。

「あんしゃん、大丈夫とー?」
「返事が無い。ただの屍のようだ」
 観客ふたりが右から左から倒れ伏した黒い塊を突く。肩を揺さぶっても髪を弄っても反応は返ってこない。いよいよ心配になり、ひとまず部屋に連れ帰る方針が固まった。
 これで燭台切も六尺を超える大男だ、短刀が担いでいくには文字通り荷が重い。俺に白羽の矢が立つのは当然の成り行きだった。

 涼気を求めて縁側を行く。もう寝静まっている連中が大半のようで、星明かりや蛍の灯だけが道しるべになった。朧気な記憶を頼りに燭台切の部屋を探す。ほとんどの部屋が照明を落としている中で、その人工的な光は実に目立った。

 始めは自分が部屋を誤ったのかと思った。未だ顕現して間もなく、部屋割りどころか本丸の構造だって把握しきれているわけではない。ただ桟の隣にぶら下がっている札には、燭台切光忠の文字がはっきりと刻まれていた。
 部屋の主は俺の肩口で安らかに寝息を立てている。すなわち障子越しに見える影は、燭台切と懇意にしている男士の誰かだろう。伊達の刀剣なら後の面倒は見てくれるに違いない。できれば悪戯を仕掛けそうな白いのではなく、同じ倶利伽羅龍仲間の打刀を期待して戸を開けた。

「へし切……?」

 予想だにしていなかった刀の姿に思わず面食らう。背筋をぴんと伸ばし、文机に書を広げていたのは夕刻喧嘩別れした旧知だった。

「何でお前がここにいるんだ。闇討ちか」
「その肩に担いでる大男に呼ばれていた。あれにしては随分待たせると思ったがなるほど、質の悪い酔っ払いに捕まっていたようだな」
「勝手に有罪判定出すんじゃねえよ。この兄ちゃんが望んで飲み比べ仕掛けてきたんだからな」

 既に用意されていた布団に燭台切を横たえる。へし切を呼び立てた男は、身体をくの字に曲げて、ひとり素知らぬ顔で夢の世界を揺蕩っている。
 今晩こそ多少奇行が目立ったものの、燭台切が約束を反故にするような刀だとは思わない。その点は俺よりも、きっと遙かに交遊の長いへし切の方が理解しているだろう。事実堅物で規律にうるさい男から、燭台切に対する罵声が飛ぶことは無かった。

「……回りくどい。この刀は、本当に格好つけだ」
 薄紫の袂が畳に垂れる。枕元に膝を突き、燭台切を見下ろす古馴染みは、いつになく穏やかで、優しい眼差しをしていた。

「おいへし切、この兄ちゃん前からあんな酒によええのか」
「どれくらい飲ませたか知らんが、こいつはチューハイを少し舐めただけで顔が赤くなるぞ。あと長谷部と呼べ」
「そんな下戸がよりにもよって黒田の刀に勝負ふっかけてきたってか。訳わからん兄ちゃんだな、おい」
「肝心なのは勝敗じゃない、その結果だ。俺も、お前も、この伊達男の奸計にまんまと嵌められたってことさ」

 語る長谷部の口調があまりに落ち着いていたからか、或いは伊達の刀が巡らした策の種明かしが知りたかったからか、この場を退く機を逸してしまった。
 なんとなく燭台切を挟む形で長谷部の対面に座る。一時は殴り合いにまで発展しかけた相手なのだが、不思議と今は憤りや苛立ちを一切覚えなかった。

「こいつは昔から勘が鋭くてな。俺に何か有ると目敏く見つけて、色々と突っ込んでくるんだ。そういう間柄でありたいと俺が望んだせいかもしれないが、まあ要するに夕刻の一件が燭台切にバレた。洗いざらい吐かされたが、意外に厳しく言われることは無かった。てっきり、あいつは俺の気持ちを知ってるからそうしたと思ったんだが、やはりそう甘くはなかったみたいだな」

 長谷部に前髪を掬われ、燭台切の白い額が露わになる。単なる仲の良い同僚と解するには、手つきも表情も熱意が籠もりすぎていた。もし俺の下世話な想像が的を射ていたとすれば、燭台切の態度も少しは納得できなくもない。

「黒田家のことを蔑ろにしているわけではないが、昔話をするのは少し、辛い。特にお前を、母里太兵衛の槍を前にすると、どうしても長政様のことを思い出してしまう」

 右府様より頂戴した圧切御刀は、黒田筑前守の銘を入れられ以来同家に伝来した。織田に長らく執心していた長谷部だが、やはり我が身に名を刻んだ主のことは忘れられないのだろう。

「長政様は本当に良い方だった。付喪神にあの世があるなら、ついて行きたいとすら思った」

 俺たちは刀の付喪神だ。ヒトの何倍、何十倍の時を経てなお現世に在り続ける以上、いつまでも同じ主に仕えることはできない。

「しかし刀の俺ではあの世への同伴は叶わない。だから忘れることにした」
「そうかい」
「忘れることにしたかったんだが、どこぞの正三位が同窓会のノリでひとを気軽に誘ってくるからなァ。お陰で要らんお節介を焼かれた」

 要らないと評する割に、長谷部の手は燭台切の髪から離れようとしない。濡れ羽色を指先で梳いては、月白に透けるその感触を慈しんでいる。

「自分の体質まで利用して、飲んだくれと引き合わせるなんてしなくてもいいのにな」
「本当、どこぞの国宝サマと違って出来た兄ちゃんだよなあ」
「言っておくが、こいつは俺のだ。やらんぞ」
「要らねえよ。また少女漫画フェイスにされるのはごめんだ」

 とうとう明け透けに牽制してきやがった。正直なところ燭台切の趣味は解らんが、馬に蹴られるのはごめんなので、いい加減にお暇させてもらおう。
 立ち上がり、再び障子を開け放つ。天上の墨色は無数の星で彩られ、鈴虫の鳴き声が耳に心地良い。日中よりも過ごしくなった気温も踏まえ、飲み直すには十分な趣だった。

「なあ長谷部」
「何だ」
「暇になったら晩酌に付き合えよ。黒田の連中と、この本丸のことでも肴にしてな」

 何も酒の席で盛り上がる話題は昔のことに限らない。段ボールが審神者やってる本丸なんて、それこそ笑いが尽きやしないだろう。とりあえず惚気以外なら大歓迎だ。
 おまけに眼帯シェフの手料理なんか有れば最高である。長谷部の参加が決定すれば、供される肴の質は飛躍的に向上するに違いない。

「気が向いたらな」

 素直でない返辞を尻目に、外へ出る。踵を返した刹那、行灯の作り出す人影がそっと重なったことは見て見ぬ振りをした。

 

 

いいね! 0

←番外/長谷部の日記    シリーズ一覧    番外 / 風呂→