短文まとめ / 一 - 2/3

それは大地もお手上げ

 

「はぁ……」
 長谷部の口から重い溜息が漏れる。もうすぐ年も改まるというのに、その面持ちはおよそ慶事には似つかわしくない。近侍部屋の向こう側では、除夜の鐘が荘厳な音を立てている。彼の響きが真に煩悩をかき消すものであれば、長谷部がこうまで思い悩むこともなかっただろう。

「今年も燭台切と懇ろになれなかった」
 長谷部が顕現して早三歳みとせ、教育係を務めていた刀と睦言を交わす夢想は今年も現実とならなかった。
 付き合いは長く、仲間としての信頼は十分に得ている。しかし意識されているかと言えば話は別だ。甘い言葉なら長谷部より野菜の方が余程掛けられている。

「他の燭へし連中に聞いた、演練で既に出来上がってる同位体を見せる作戦も功を為さなかった。というか、人前でいちゃつくのは格好悪いよねえ、と怪訝な目をされて終わった。そうだよなあ、燭台切は硬派な男だからなあそこが好きなんだけどなあ、あーーーー脈無しにもほどがあるだろ泣くぞこら」

 一年の反省という名の独り言が加速する。そう独り言である。周りに長谷部の愚痴に付き合う刀はいない。
 織田や黒田の忘年会にも参加せず、鬼の近侍は大晦日という一年の締めにさえ書類と睨み合っていた。なお、原因は年越しそばを燭台切と啜る計画が実行前に破綻したためである。
 遠くからでも聞こえる伊達部屋の喧噪が羨ましい。廊下で今晩の予定を太鼓鐘と語り合う燭台切を見て、長谷部は玉砕するより先に肩を落とした。おせち作りに奔走していた彼を労うという名目も立ち消えである。ヤケ酒という気分にもなれず、長谷部はひとり近侍部屋に閉じこもった。

「下げ渡された刀には書類仕事がお似合いだろうさ……」
 どこぞの写しがごとく卑屈な発言がぽんぽん飛び出す。
 今宵の長谷部は面倒くささの塊である。絡み酒になって後日旧知にからかわれるよりはましと、長谷部は自ら湿っぽい年越しを過ごすことを決断した。もう俺にはこたつと蜜柑と主命さえ有ればいい。

 鐘をあと十も鳴らせば新年というところだった。慌ただしい足音が近づき、大広間から離れた近侍部屋の襖が開けられたのは。
「突撃! 隣のお宅拝見!」
 酒精の匂いが途端に濃くなる。酔漢の襲撃を受けた長谷部の顔は判りやすく歪んでいた。

「帰れ芸人四天王」
「芸人じゃない、歌って踊れる付喪神だ」
 頬を赤らめた篭手切が長谷部の物言いに抗議する。数少ない江の良識派がこのざまなのだから、他の面子は推して知るべしだろう。

「おいおい、大晦日だっつーのに仕事か? どう思われます、解説の桑名さん」
「典型的な社畜像だね。見てください目尻の隈。これは二徹は堅いですよ、りぽーたーの豊前さん」
「血色も悪いね……僕のればーをお裾分けしよう」
「懐から臓物を出すな。というか何でレバーを持ち歩いてるんだ」
「かりかりしてんなあ。何だっけ、かるしうむ不足? 骨食べろ骨、長谷部だろ」
「へし切長谷部の主食が骨みたいな言い方やめろ」
「すとれすが溜まっていそうですね」
「原因お前ら」
「何だ、悩みが有るなら聞くぜ?」
「貴様らが退室すれば解決する悩みだな」
「職場で何か辛いことでも……?」
「現在地が職場だからな」
「いや大地が言っている……これは恋の悩みだよ……!」
「恋!?」
 好奇心の炸裂した瞳が三対、部屋の主の方を見やる。図星なだけに長谷部も否定できない。

「詳細はCMの後でじっくり聞かせてもらおうか」
 左腕を桑名に、右腕を松井に取られ、正面は豊前に陣取られる。退路といえば、既に篭手切によってつっかえ棒を仕掛けられた襖と障子のみである。
 万事休す。長谷部はかくして最悪の年明けを迎えたのである。

「CM明けました、現場の豊前さんどうぞ」
「はい、解説の桑名さん。ただいま被疑者の部屋に来ています。ホシは中々口を割らず、捜査は難航しております」
「ふん何が恋だ、馬鹿馬鹿しい」
「松井博士の考察によりますと、お相手の候補は博多藤四郎、不動行光、薬研藤四郎と数振りにも渡るそうです」
「刃選が恣意的に過ぎる!!!!」
「鬼の近侍と名高いショタ切長谷部が懸想する相手……いったい誰なのでしょうか!」
「冤罪をまことしやかに語るなマスゴミ。俺に稚児趣味は無い」
「なるほど、にほんご――」
「それ以上言うと二度と走れない身体になるが異存は無いな?」
「豊前りぽーたーが絶体絶命!」
「僕は豊前の血なんて見たくないよ。何か知恵は無いのか解説の桑名!」
「ちょっと待って大地に聞いてみる。……わかった、長谷部が懸想しているのは燭台切だよ!」
 大地万能すぎるだろ!!!!
 そう突っ込みたくても長谷部は突っ込めなかった。核心を突かれたへし切長谷部は通常の三倍脆いのである。

「なるほど燭台切かあ。難易度たっけーな」
 どすっ。
「手先が器用で料理上手、ぷれぜんと作戦とか安易な手段も取れそうにないですしね」
 ざくっ。
「誰とでも仲良くしてる分、特別な存在になるというのは難しそうだね……」
 ずぶり。
「そもそも大晦日にひとりでいる時点であぴいるが足りてないよね」
 江の四振り(特に桑名)の容赦なき攻勢で長谷部の心は既にずたぼろである。
 主家を同じくしたことも無く、審神者や仲間に対する考え方もまるで違う。当人からも話が合わないと語られる始末だから、そもそも生半可な努力で距離が詰められるはずがなかった。

「はっ、わかっているさ……」
 太鼓鐘のように溌剌としておらず、鶴丸のように含蓄有る振る舞いもできず、大倶利伽羅のように密かな慈愛に溢れているわけでもない。苛烈で後ろ向きでつまらない自分を好く者など、燭台切はおろか誰もいないだろう。自覚してはいても、容易に生き様を変えられるほど長谷部は器用な刀ではなかった。

「所詮俺なんて国宝として年に一度展示されてチヤホヤされてはすぐに忘れられる程度の刀なんだ……」
「意外に元気だぞこいつ」
「僕の同情とればーを返してほしいね」
「何となく原因が見えたような気がしますが、この恋路を実らせる秘策は有るのでしょうか解説の桑名さん」
「大地に聞いてみる」

 これまで脅威の正答率を誇ってきた大地の声だ、或いは一発逆転の妙手も授けてくれるかもしれない。藁にも縋る思いで長谷部は桑名の預言を待った。

「打つ手無しだって」
「天は我を見放した」

 この場合見放したのは地じゃないかな、という松井の指摘は長谷部に届かない。
 膝を屈し、皆焼の刃文も美しい国宝は項垂れた。スーパーアドバイザーの大地パイセンも匙を投げるようでは終いである。何と声を掛けたものか、これにはさしもの豊前一行も悩んだ。

「頼む……今はひとりにしてくれ」
 絞り出すような声で嘆願されて断れるはずがない。豊前たちは静かに近侍部屋を辞した。

 廊下をとんぼ返りすることになった江の表情ははかばかしくない。切っ掛けこそ酔いに任せたものだったが、悩める同胞を応援したい気持ちに偽りは無かったのである。

「色恋沙汰とかよくわっかんねーけどさあ」
 そう簡単に諦めていいもんには思えねえな、と豊前は続ける。篭手切や松井も無言で頷いた。
 江の刀たちはそれぞれに固執するものが有る。篭手切は歌って踊れる付喪神を目指しているし、桑名なら畑、松井は血、豊前は迅さに自らの有り様を見出していた。領分こそ違えど、互いの信念の強さは十分に知るところである。長谷部の燭台切に対する執心もまた然り。故にこの状況には納得がいかなかった。

「何か、私たちにできることは無いのでしょうか」
「そうだね……お詫びに燭台切が今欲しいものでも訊いてきてあげるべきかな」
「僕が何だって?」
 予期せぬ声を耳にして、松井のみならず他の面々も目を見開いた。まさに渦中の刃物である燭台切が目の前に立っている。

「い、いや。燭台切に少し頼みたいことができそうでね、お礼の品をどうしようか話し合っていたところなんだ」
「そんなこと気にしなくてもいいよ。仲間なんだから助け合うのは当然じゃないか」
 出任せとはいえ、燭台切は実に爽やかな理由でただ働きを申し出た。あまりの好男子ぶりに松井の目が眩む。

「燭台切」
 沈黙を保っていた桑名が不意に口を開く。
「何も言わず、物音も立てずにこの先の廊下を歩いて行ってほしい。頼みたいことは、それだけだよ」
 月明かりに照らされた黄金色が幾度か瞬いた。
 桑名の言う頼み事は、なんとも奇妙で度し難い。それでも燭台切は、ああと肯定の返事を寄越した。

 言われるがままに気配を消し、燭台切は冷えきった冬の広縁を進んだ。男士たちの私室は別の棟に入っている。この先にある部屋と言えば、倉庫や近侍の詰め所ぐらいだ。

 ――いくら彼でも、大晦日まで仕事はしてないだろう。

 通い慣れた廊下を歩み、燭台切はある部屋の前で立ち止まった。
 誰もいないはずの六畳間から置き行灯の光が漏れている。障子に影を落とさぬよう、燭台切は通り過ぎる振りをして近侍部屋の様子を窺った。

「……うっ、ぁ……」

 耳を澄ませ、ようやく聞こえる程度の声量である。しかし燭台切には、その微かな物音を聞き逃すことなどできなかった。
 与えられた肉の器の、その内側が悲鳴をあげる。身体は熱を宿し、中の音を拾おうと聴覚はより敏感となった。
「どうして、俺じゃないんだ」
 誰かを乞う弱々しい声音が燭台切の理性を灼く。考えるより先に、黒い指先が桟に伸びていた。

「長谷部くん」
 部屋の主がびくりと身を強ばらせる。突然の闖入者を見上げる藤色は濡れていた。
「しょくだ、なんで、ここに」
「どうして泣いてるんだい。誰かに何かされた? それともどこかが痛む?」
「ちが、なにもない、みるな」
 両腕で慌てて顔を隠そうとする長谷部だが、その手首は虚しく燭台切に捕らわれた。太刀の筋力に打刀が敵うはずもない。

「何も無くて泣くような君じゃないだろう」
「……っ、おまえに、はなせることなんて」
「僕じゃ頼りにならない?」
 長谷部が首を横に振る。
「じゃあ話してくれないかな。僕は君の教育係だった、それは長谷部くんが独り立ちした今だって変わらない。いつだって、君の力になりたいんだ」
 ぎりぎりと万力のようだった拘束が弛み、代わりに長谷部は男の胸の中に引き込まれた。その温もりにますます涙腺が緩み、長谷部はもう口も利けなくなる。
 事の経緯を聞くことはできないままだが、燭台切が焦れることは無かった。己の背に回された腕が、何よりも雄弁に自分への信頼を物語っていたからだ。

「あのまま行かしちまって良かったんか桑名?」
 燭台切と別れ、飲み直しを図った江の部屋は宵の口より随分と静かになっていた。
 既に篭手切と松井は夢の中である。自らの膝に二振りを載せ、豊前は桑名と向かい合って杯を交わしていた。
 過ぎたこととはいえ、やはり気になるのは長谷部たちのことである。

「大丈夫だよお、順調に行けば長谷部の悩みも解決するからね」
「へ? だって大地もお手上げだったんだろ?」
「そりゃあね。とっくに好き合ってるんだから、燭台切を振り向かせるための手なんてこれ以上打てないよ」
 まさかの種明かしに豊前は呆気にとられ、直後膝を打った。

「さすが桑名。煮ても焼いても食えねーやつっちゃ」
「人聞き悪いこと言わないでほしいなあ」
「で? 鬼の近侍様にはどうやって説明すんだ策士殿?」
「燭台切に言って取りなしてもらえばいいよ。そのための貸しだからね」
「ほーと食えねえ」
 豊前の徳利が傾く。流れた酒は見事桑名の杯に収まった。