あなたいろにそまる
手に取ったシーツを大きく広げる。僅かに飛んだ水滴が初夏の陽光を受けてきらめいた。
波打つ白い布の向こうでは、本日の畑当番が額に浮かんだ汗を乱雑に拭っている。かく言う自分も、剥き出しにした肌がじっとりと湿り気を帯びていた。いよいよ水羊羹が美味しい季節だ。
「アイスには早いかな」
道すがら、今後の八つ時事情に思いを馳せる。
まだまだ一日の寒暖差が大きい時分だ。短刀の子たちは喜ぶかもしれないけど、それでお腹を壊してしまっては元も子もない。人の身も便利なことばかりではないのである。柑橘系のアイスが好きな彼には今少し我慢してもらおう。
厨に着くなりコップ一杯分の水を呷る。水道の少し温んだ水でも喉を潤すには十分だ。生き返った心地がして、ほっと一息つく。
たかが洗濯をしていただけの自分がこの様なのだから、内番の面子についてはお察しだろう。先日仕込んでおいた梅ジュースの出番と見た。そうと決まれば早速準備といこう。
何人分用意するか考えて、ふと手を止める。
今日の彼は……近侍だったか。
主の居る部屋だ、空調も十分効いている。だからといって水分補給を疎かにしていいわけではないが、当然急ぐ必要も無い。いつもの書類整理じゃあるまいし、いくら彼だって主の前で無茶はしたりしないだろう
「主、長谷部くん、お疲れ様。梅ソーダ持ってきたから休憩にしないかい?」
葛藤時間ものの数秒。ふたり分のグラスを載せたお盆を手に、僕は主の部屋を訪れていた。
僕を見上げる藤色の瞳が恋しくて、早く障子が開かないかと胸を弾ませる。後は返辞を待つだけだ。
待つ。待つ――中からの反応は無い。
「長谷部くん?」
留守かな、と思い桟を二、三叩く。やはり返答は無い。
試しに戸をずらし、中を窺ってみることにした。
幸いにもうちの主は礼儀作法にうるさくない。そもそも室内から人の気配はするのだ、これで居留守だったら不躾なのは相手の方だろう。
さて襖だが、あっけないほどすんなり開いた。
「……」
開け放たれた戸から室内の重苦しい空気が流れ出す。
既に触れた通り、暦は初夏の時分だ。日当たりも悪くない。それにも関わらず、主の部屋は永遠凍土を思わせる冷気が漂っていた。
僕が真っ先に目にしたのは、座布団に鎮座し、見つめ合う男女の姿だった。
女性の方はこの本丸の主である。それに対峙するは、本日の近侍であり僕が愛してやまない刀であるところのへし切長谷部だった。
妙齢の男女が視線を絡ませ、正面から向き合っている。見る者が見れば、彼らの関係について下世話な想像を巡らしたことだろう。しかし、実際に僕がふたりから見出したのは、情愛とは程遠い感情だった。
「我が言葉に背くと申すか、へし切長谷部」
「生憎と、こればかりは主とて譲歩できませぬ」
声そのものは淡々としているが、主従の表情は双方共に険しい。その光景に僕が面食らったのは言うまでもないだろう。
あの主大好き忠犬長谷部くんが審神者に口答えだって? 何の前触れだこれは。戦か、嵐か?
「ちょ、ちょっと、ふたりとも落ち着いて! 何が有ったかは知らないけど、喧嘩は良くないよ!?」
盆を置いて両者の間に急ぎ割り込む。どちらも視界を妨げられてようやく僕のことに気づいた、という顔をしていた。その盲目ぶりが事態の深刻さを物語っているようで背を冷や汗が伝う。冗談じゃないよもう。
「ちょうどいい、ここは本尊に意見を伺うというのはどうだ長谷部」
「ええ、俺も同じことを考えていました主」
どろりと濁った四つの眼に視線で嬲られる。幸か不幸か、彼らの行く末は僕の判断に委ねられたらしい。良い予感はしないが覚悟の上だ。
「燭台切光忠」
付喪神をも使役する声が己を呼ばわる。
「お前は男性器を呼ぶにあたって、ち○ぽかち○こどっち派だ?」
何十もの刀を従えしヒトの子は、朗朗とした調子で頭が沸いてそうな質問を投げかけた。
「ごめん、もう一回言ってくれるかい?」
「ち○ぽとち○こ呼ぶならどっち○ぽ?」
「ごめん、僕今すぐ修行に出たくなった」
「まあ待てや未実装」
「僕の答えが聞きたいなら、それを納得させるだけの理由を示してもらいたいね。でないと君を一度でも主として仰いでしまった自分が情けなくて己の腹をかっさばきそうだ」
「そこまで?」
「くだらないって言うなら、さっさとこの話題打ち切ってふたりだけで決着つけてくれ。というか意味有るのあの二択」
「有るよ。めっちゃ有るよ。無かったら近侍と朝まで生討論おち○ぽトークとかしないよ」
「一晩中話し合ったが事態は何も進展しなかった」
一晩かけて何やってんだこのひとたち。僕より先に長谷部くんと一夜を過ごすなんて、とか嫉妬する気力も無いよ。というか仕事はどうした。怠慢不可避だろこの論争。
「……君たちが真剣に悩んでいることは解ったよ。とりあえず、どうしてそんな話題になったのか聞かせてくれないかな」
正直なところジュース置いてさっさとお暇したい。身も蓋もない本音を抑えつけてまで、この場に留まっている理由はただ一つだ。
「実はだな」
前髪に隠れた長い睫が伏せられる。物憂げに眉をひそめた長谷部くんは事の発端を語り始めた。
そう、内心どんなにくだらないと思っていても、僕はこの刀に頼られたら断り切れないのである。げに恐ろしきは惚れた弱みよ。
「主が執筆中の艶本なのだが、今回は燭台切が触手に絡まれる話でな」
惚れてなければこの切り出しでもう帰ってたな。
「俺は燭台切のことを心から信頼している。いかに妖の手練手管に溺れようが男らしくち○こ派を貫いてくれるとな……しかし、主は男性向けならち○ぽ一択だろうと」
「男性向けエロいうたら、快楽落ちして老若男女男前不細工問わず淫語乱舞するのが醍醐味やろ」
褒められてるのに嬉しくないなあ不思議。
「なあ長谷部、考えてもみろや……燭台切は福豆のことを「お豆」なんて呼んじゃうやつだぞ……?」
「お豆の何が悪いんだい」
「悪くはない。むしろ最重要ポイントと言っても過言ではない。お豆の例に則るならッ……! 燭台切光忠は! ち○ぽのこともおち○ぽと呼ぶ可能性が高いッ……!」
「おち○ぽ……ハッまさか!」
「そうだ長谷部! ち○ぽをおち○ぽと呼ぶのは珍しくない……しかし! ち○こをおち○こと呼ぶケースはごく稀だッ!」
「ァ……あァッ……!」
稲妻トーンを背負った主の気迫に押され、長谷部くんが床に崩れ落ちる。ちょっと悩ましげな声なのが僕の涙腺を刺激した。
「そんな……俺は……燭台切のことを何も解ってなかったと言うのですか……」
嘆く長谷部くんの拳は震えている。いつも気ままに跳ねる癖っ毛も、今はどこか項垂れて見えた。その肩を優しく抱いて慰めてあげたいところだが、話題が話題なだけにどう声を掛けるべきなのか躊躇ってしまう。
長谷部くん、そう落ち込まないで。そもそも僕は男性器のことおち○ぽとか呼んだりしないから。だからといってち○こ派ってわけではないけれど。
まずい、己のことが取り沙汰されているはずなのに全く共感できない……!
「長谷部くん」
ただ放っておけるはずもなく、固く握り込まれた拳に指を伸ばす。
「やめろ!」
悲鳴と前後して指先に鈍い痛みが走る。勢い顔を上げた長谷部くんの眦には、雫が浮かんでいた。
「友を見誤った俺が愚かだった……同情なぞ要らん……頼む、少しひとりにしてくれ……」
覚束ない足取りで長谷部くんは部屋を出て行った。僕の掌には、彼に打ち払われた感触がまだ残っている。
「主」
「真顔は止めてくれ、夢に出る。言っておくが、男性器の呼称は宗教問題も同然だ。この件に関しては一歩も引く気は無い」
「何を信仰するかは個人の自由だから僕も何も言わないよ。ただ言っておきたいことが有る」
「拝聴する」
「僕はち○ぽ派でもち○こ派でもないし、君のお八つは当分抜きだ」
断末魔の叫びを背に受け、僕もまた主の部屋を辞した。微かに残る藤の香りを追う。
慣れた足取りで男士たちの私室がある一角を訪ねた。つい先日も手土産携え通った場所だ。静まり返ってはいるが留守ということはないだろう。
耳を澄ませば微かに水音が聞こえてくる。ああきっと目も鼻も真っ赤に違いない。
「長谷部くん」
障子越しにも部屋の主が動揺した様子が伝わってくる。人影は戸の手前まで近づいたが、客人を迎えることは無かった。それどころか何かを立て掛ける音が続く。つっかえ棒とは随分と可愛らしい真似をしてくれるな。
「ひとりに、しろって……いった……」
「ごめんね」
原因はどうあれ、好きな子が泣いているのに黙ってなんていられない。
「落ち着いて聞いてほしい。長谷部くん、僕はね別に男性器のことを好き好んでおち○ぽなんて呼んだりしないよ」
誤解を解くためとはいえ、僕は好きな子にいったい何の告白をしているんだろう。だがここは冷静になったら負けだ。
「俺に、きをつかってるなら……」
「無いよ、こんなところで変に嘘ついたりなんてしない」
「だって……にあうじゃないか……お前がおち○ぽって……いうの」
君の中の燭台切光忠はどういう認識なんだ。おち○ぽが似合う刀剣男士って何だよ。
いや長谷部くんは真剣なんだ、混ぜっ返すのは良くない。
「似合う似合わないの問題じゃない。僕が男性器をどう呼ぶかは僕が決めることだ」
「……確かにそうだな」
「でも長谷部くんの中のち○こって呼ぶ僕を否定したいわけじゃないよ」
「え」
「自分にしか認識できない自分が有るように、他人にしか見えない自分も確かに存在する。それは紛れもない事実だ。本丸の数だけ色んな燭台切光忠が顕現する。きっとそこには個体差も生まれるだろうし、中にはち○こ派の僕だっているかもしれない。どれが正しいなんてことは無いと思う。だから君には、君が思う燭台切光忠像を大切にしてほしい」
「しょくだいきり」
「ここ、開けてくれないかい」
「い、いやだ」
「やっぱりち○こ派じゃない僕はだめなのかな?」
「そっそんなことはない! ただ、いま顔ぐっしゃぐしゃで……とても、見せられないから」
「それくらいで幻滅したりしないよ。僕のこと、信じられない?」
「しんじ、られる」
戸の奥でゆらり、と影が動いた。それまで開閉を抑えていた棒が外される。
「長谷部くん」
部屋に入るなり、虎を自ら招き入れたお人好しを腕の中に抱え込んだ。
いくら何でもチョロすぎる。大丈夫かこの子、と些か不安に駆られたものの、今は大人しく愛しい刀の抱き心地を堪能するとしよう。
「しょ、しょくだいきり。いきなりなにを」
「ん? 言葉より行動で示そうかなって」
泣き腫らしただろう、長谷部くんの目尻はすっかり赤くなってしまっている。なおも頬を濡らし続ける水滴は、舌先で拭い去った。
「んッ」
「ね、幻滅するどころか可愛くて仕方ないくらいだ。僕がち○こって言わないって知っただけで泣いちゃう長谷部くん本当可愛いよ」
「ち、ち○こち○こ言うな」
「いやそれはないよね。君から言い始めたことだよね」
「だ、だからその……お前にち○こって言われると、こまるんだ」
「どうして?」
「解釈ド一致すぎて昂奮する」
「解釈」
「お前の眩しすぎる顔面と唇からち○こなんて言葉が紡がれてると思うと下半身に悪い」
「鼻声からいきなり饒舌に」
いや待てよ、下半身に悪いということはつまりそういうことじゃないか。
長谷部くんの両脚を割って、太腿でその中心を押し潰してみる。ふぇ、と堪えかねたらしい嬌声が漏れた。僕の肩に頭を預ける長谷部くんは、表情こそ窺えないが耳の先まで真っ赤にしている。
うん、下半身に悪いのは君の方だね。
「長谷部くん……」
自分でも驚くほど低い声が出た。本能のままに無花果色の耳たぶを甘噛みする。強ばる背をなぞる手つきは、あやすより逃げ道を塞ぐのを目的としたものになっただろう。
「僕どちらかというとおち○ちん派なんだけど……君はそれでも受け入れてくれるかな」
「ど、どっちの意味で?」
戸惑う獲物を前にして、己の口角がにんまり吊り上がるのが解った。おそらく僕は今、顕現して以来最高の笑顔を見せている。
「どっちの意味でも、かな」
主の主張で一つ正しかったことが有る。お豆の例に則るなら、燭台切は男性器の呼称も接頭語「お」を使用したものに違いない。ああ、大正解だよ主。
敷布に散らばった煤色を掬い上げる。柔らかい髪質はただ触れているだけでも心地良い。欲望の赴くまま毛繕いをしてやれば、閉じられていた瞼がゆっくりと開かれた。
「ごめん、起こしちゃったかな」
「いや、そもそも寝てない……疲れ果てていただけでちゃんと起きてた」
「ずっと?」
「……ずっと」
そうかあ。引き抜いたときにえっちな声上げてたのも、色々掻き出してるときに指を締めつけてきたのも、しっかり記憶として残ってるってことかあ。
うんうん、僕の想像の遙か上を行ったね流石だよ長谷部くん。
「こら押しつけるな、もう今日はできないぞ」
「今日じゃなかったらいいの?」
「……いい」
ああ~僕の長谷部くんが可愛すぎる。これには長船派の祖も臨戦態勢待ったなしだ。まあ無理強いする気はさらさら無いけどね。
「今日はだめだって言ってるのにお前は」
「ごめんね、そのうちに収まるから」
「そのうちはいったいいつになることやら」
長谷部くんが呆れたように言う。
そのまま彼は布団の中に潜り込んで、僕の腰元に顔を寄せた。すべすべとした感触が勃ち上がった陰茎を包み込む。熱っぽい吐息が敏感な箇所に触れて、一層下半身が重くなるのを感じた。
「仕方ないな、口でしてやる」
口調こそ渋々といった体だが、長谷部くんの表情は悪戯を企てる子供そのものだ。
「全く、あれだけ出しておいてこれほどガチガチとは……呆れたおち○ちんだな」
温かい咥内に迎えられ、僕の中心部はみるみる質量を増していった。始めおっかなびっくり触れていた舌も、今では積極的に性感を刺激しようと動いている。
「あれ、もうち○こって言わないんだ?」
ふと事の発端である呼称に意識が向く。
僕個人としては長谷部くんが言うなら、ち○こだろうがち○ぽだろうが何でも良い。無理して僕に合わせておち○ちん派に改宗しなくても構わないのだ。
「お前が最中におち○ちんおち○ちんと連呼するから俺にも移った」
「いや風邪じゃないんだから」
「俺はお前が一番興奮する呼び方を選択したい。好きなやつが言うなら、ち○ぽでもおち○ちんでも腰に来るって十分学ばされたからな」
ちゅ、とリップ音を立てて長谷部くんが先端に口付ける。奉仕を再開して揺れ動く後頭部をやんわりと撫でた。
「は、僕たちって本当」
気が合うね。
高まる快感に任せて白濁を叩きつける。喉の奥を犯される感覚に長谷部くんから呻き声が上がった。彼が苦しそうにしていたのも一瞬のこと、僕から離れた長谷部くんは満足げに微笑んで一言、
「お前のおち○ちんの味、癖になりそうだな」
一切の葛藤を交えずにおち○ちん派の御旗を掲げて見せたのだった。
「そうか、燭台切はおち○ちん党だったのか……」
「はい。この議題、痛み分けという結果で落着いたしましょう」
「仕方ない。公式の見解は絶対や」
後日、喧々囂々のやり取りを経た長谷部くんと主はあっさり和解していた。
あの険悪な雰囲気は何だったんだ。というか肖像権って知ってるかい君たち。
「じゃあ男性器の呼称はおちん○んで統一するとして……やっぱり触手って言ったらぶっかけだよなあ」
「いいですね。全身どろどろにされる燭台切、最高です」
よし今度僕ので全身どろどろにしてあげるから覚悟してくれ長谷部くん。
「そうなるとラストの台詞はこれしかないな」
「あれしかないですね」
「おち○ぽみるくもっといっぱいくだひゃい♡」
「ザーメンミルクもっとほしいれす♡」
同時に案を出したふたりが硬直する。
走る亀裂、凍る空気、続く沈黙。それら全て波乱が前兆なり。
「みるくはひらがなの方がえっちだ」
「おち○ちん一徹の燭台切が、精液のときだけち○ぽ派になるのは解せません」
両者の間で火花が散る。先日の再現とばかりに始まる熱い議論を前に、僕は無言で天を仰いだ。
ああ、空はこんなにも青いのに――僕の心は一足先に憂鬱な梅雨時を迎えてしまったようだ。
「おち○ぽみるく!」
「ザーメン!」
一歩も譲らぬ主従を余所に、僕は聞こえぬ程度の声量で密かに呟いた。
「僕はどちらかというと子種派なんだよねえ……」
末席とはいえ神は神。言霊というものが宿るのであれば、昼下がりからふしだらな議論に白熱する恋しい刀を冗談抜きに孕ませたりできないだろうか。
折角良い仲になったというのに、架空の自分を肴に一喜一憂する彼にそんな願望を抱いたのは、秘密である。