短文まとめ / 二 - 3/4


こどくのかたな

 

「長谷部くん」
 低く、艶のある声が俺を呼ぶ。いつもながら耳に心地の良い響きだった。あの男はただそこにいるだけで俺を狂わせる。恋情といった甘酸っぱい所以ではない。あれに対する感情は、恐怖や猜疑心というのが正しい。
 そう、俺はあの男が、燭台切光忠が怖ろしい。恨んで然るべき相手に、親しげに話しかけ好意すら仄めかす怪異に、心底震え上がっていた。

 政府より課せられた日々の務めに「刀解」がある。一度は人の身を取ろうと、物は物。道具の処遇は全て所有者のさじ加減次第だ。刀剣男士であっても例外ではない。
 ただ新しく審神者となった主は大変繊細で、情に脆い御方だった。本丸の評価に繋がるとしても、刀を溶かすのは忍びないと彼の日課を放棄した。
 当然この判断は一時しのぎにしかならない。鍛刀、戦場での拾得、月ごとに設けられる催しの褒賞など、本丸を運営していけば男士の数は自ずと増える。刀を無限大に所有することは不可能だ。いずれを残し、いずれを諦めるか、選択は避けられない。
 こういう汚れ仕事こそ臣下の出番だろう。心優しい主が傷つくのを避けるべく、刀解は俺ひとりで担うことにした。

 物言わぬ鋼を次々と炉にくべる。新たに刀を鍛えるときと違い、付喪神の依り代が溶け落ちるのはあっという間だった。
 一度も戦場に出ることは敵わず、人としての悦びを知ることなく、主の役に立つこともできず朽ちていく。最期を炎の中で迎えた彼らは、いったい何を思うのだろう。
 嫉妬、憎悪、諦観、羨望。およそ想像できる呪いは、とても人の仔が間近に浴びて良いものではない。文字通り心を砕くのは、俺ひとりで十分だ。

 同志を溶かし続けること一月、とうとう俺の身体に異変が生じた。手や足に黒い染みのようなものが見える。幸い動かすのに支障はない。確かに見てて気持ちの良いものではないが、報いとしてはいっそ安すぎる。
 主に相談することもなく、俺はまた一振りの刀を火中へ押しやった。

 さて、周知の通り刀解で得られる資材は雀の涙である。ただし塵も積もれば何とやら、数をこなすうちに刀の一振りは鍛えられそうな量が集まった。
 過程が過程なだけに、他の資材と一緒にするのは憚られる。といって廃棄するのは勿体ない。
 悩んだが、まだ戦力が整っていない現状を考慮し、鍛刀に踏み切った。
 何も問題なければ仲間として素直に歓迎する。仮に翻意を抱くような刀であれば折れば良い。
 念のため鍛刀には立ち会うことにした。聞けば三時間で打ち終わるらしい。特に変事も起きてないと知り、ほうと息をついた。思い返せば、俺が安堵できたのはこのときだけだった。

 三時間後、俺は墨で染め上げたような黒い刀身と対面した。地鉄にしたって、その色味はあまりに深く、重すぎる。
 肌がひりついた。血が沸き、神経が研ぎ澄まされる。自らの鞘を払い、切っ先を鍛えたての刃に添えた。
 途端、花弁が舞う。同時に弾けた光が徐々に収縮し、ひとりの男の形を取った。

「僕は、燭台切光忠」
 革の感触が己の刃文をつつ、となぞる。ただ指が触れただけなのに、身体の奥まで暴かれてるような感覚に陥った。
「人の身を得て、ようやく理解できたよ。僕は、君の傍にあるために顕現したんだって」

 あれから観察を続けたが、燭台切が主に仇為すような振る舞いをすることは無かった。物腰は柔らかく、仲間想いで、修練も欠かさない。膂力にも優れており、戦場でも活躍することは間違いないだろう。
 ただ不審なのは、俺に向ける妙に甘ったるい顔だけだ。
「どうしたら君は振り向いてくれるのかな」
 壁際に追い詰められ、顎を取られる。視線を逸らすこともできないまま、俺は鈍く光る黄金色に射貫かれていた。

「振り向いたところで後ろからバッサリいくつもりだろう。騙されんぞ」
「どうして好きな子をバッサリいく必要があるんだよ」
「口先では何とでも言える。器もろとも刀としての矜恃を折り続けた俺を、さぞ恨んでいるだろう」
 手袋を剥ぎ、俺を見下ろす尊顔に掌を押しつける。内番のときでも覆いを隠さない指は、付け根まで黒い澱みに冒されていた。
「これが証拠だ。まるで焼け爛れた跡みたいだな? 溶ける苦しみをお前も味わえとでも言いたいのか?」
 燭台切から軽薄な笑みが失せる。ようやく本性を現すか、と左手に刀を呼び寄せ、相手の出方を待った。

「ひッ……!」
 人差し指が温い粘膜に包まれる。咥内に消えた指先は徐に舐られ、赤い唇に何度も食まれた。
「長谷部くん、この指、他の子にも見せた?」
「み、みせられるか、こんな気色悪いの……」
「そう」
 なら良かった、と濡れた声が言の葉を紡ぐ。水音が鳴るたび力が抜けて、俺はそのうち立つこともままならなくなった。

 隣で眠る白い裸体をたっぷりと愛でる。情交の余韻が残る肌は仄かに熱い。
 やっと手に入れた。一目見たときから僕はこの刀が欲しくて堪らなかった。それこそ、燻る怨嗟の声を抑え、呑み込み、自らの血肉とするくらいには。

「おっと」
 影から伸びた刃の首根っこを捕まえる。この器を得る前に分化した己の残滓は、中々どうして聞き分けが悪い。
 穢れは全て祓った。マーキングとしては優秀だけど、長谷部くんを怖がらせるのは本意じゃないからね。

「ああ、でも怯えていた顔も可愛かったなあ」
 畏怖も嫌悪も言い換えれば執着の一つの形だ。どういう感情であれ、長谷部くんが僕のことばかり気に掛けてくれたことに変わりはない。
 これからも僕は君のために強くなるよ。そう、長谷部くんが刀を溶かし続ける限り、僕は誰より強くなる。

 ずっと護ってあげるよ、君の傍で、永遠にね。