錬結を待つ刀 - 4/4

 

 まるであの日の再現だ。情人の肌に浮かぶ汗を拭いつつ、燭台切は秘かに述懐した。
 人形の長谷部が活動するのに必要な神気はさほど多くない。男士たちが纏うそれに比べれば、おそらく二十分の一にも満たないだろう。心構えもなく人並みの体躯を手にした人形が、慣れぬ量の神気に中てられて床に伏せるのも無理は無かった。

 今回も例外ではなく、長谷部はまたも伴侶に介抱される身となっている。ただ長らく男士としてあったせいか、或いは一度経験しているためか、以前よりは長谷部も随分と余裕が有った。

「長谷部くんさ、ひょっとして怪我の理由、勘付いてたんじゃないかい」
「どうしてそう思う」
「君が戦場で棒立ちになったのも錬結した刀が原因だろう? 彼らは仕掛けるとき、常に許せないと語りかけてきた。あの恨みようからして、その声を僕だけが聞いていたとは思えない」
「まあ、な。俺に傷を負わせた遡行軍の輩より、よほど楽しそうな声を上げていた」
「はあ。今まで隠してたなんて酷い刀だね、君は」
「悪かった。だが俺にも言い分というものが有る」
「どうぞ、納得できなかったら明日のお八つ抜きだからね」
「お前の仲間を疑いたくなかった」
 ただ、それだけだ。
 付け足された文句を最後に会話が途切れる。長谷部は妙に静かになった片割れを訝しんだ。首を動かし、後ろを覗き見ようとして押し止められる。長谷部の肩口で、烏羽色の頭髪が揺れていた。

「もう、長谷部くんはもう!」
「頼むから日本語を喋ってくれ。俺が何をしたって言うんだ」
「敢えて言うなら存在が罪だよ。ああずるい、すき、だいすき。君が僕を選んでくれて、本当に嬉しい」
「同じ台詞を寄越してやる。出来損ないの人形を好きになってくれて、ありがとう」
「ありがとう、は良いけど前半がちょっと気にくわないなあ。いくら長谷部くんでも、僕の好きな子を貶めるのは許せないよ」

 燭台切が手拭いを離す。自由になった腕で長谷部の身体を反転させると、自分より細い双肩を抱いて正面から向き合った。

「僕は、長谷部くんが人形の姿をしていた頃から君に惹かれていた。勿論、こうやって遠慮無しに触れ合える身体を持った今の君も素敵だよ。でも切っ掛けは、君が僕のために泣いてくれたことなんだ。出来損ないだ何だと言うけれど、あのときの言葉は人形である長谷部くんにしか掛けられないものだったろう。鋼から生まれなかったことを卑下する必要は無いさ。土より成った身なればこそ、刀を振るえる器を誰より僥倖と思える。僕は、そんな長谷部くんだから好きになったんだ」

 長谷部の白い額に唇が落ちる。すぐと離れた男の琥珀色は甘く蕩けていた。鼈甲を溶かしたような黄金が熱を帯びている。二人きりのときのみ見せる、男の情欲を宿した瞳はいつでも長谷部の身体を熱くさせた。神気による酔いも忘れて、愛しい刀の口に吸いつく。肉を押しつけるだけの触れ合いは寸刻で終わった。舌を絡ませ、体液を啜るうちに二振りは褥の上に倒れ込む。燭台切の指先は当然がごとく長谷部の襟元を寛げた。

「今晩は、してくれないかと思っていた」
「何で?」
「お前は妙に真面目だから、俺の体調が優れないとこの手の誘いは断ってくる」
「君の方が負担掛かる行為だからね。でも今日は特別だよ、出さないと気持ち悪いんだろう?」
「手伝ってくれるか?」
「喜んで」

 黒く大きな手が長谷部の胸板を這う。感触を楽しむような愛撫は優しいが、決定的な刺激を与えることは無い。長谷部の下肢がもどかしげに揺れた。その動きはどこか抗議めいている。それと察した二指が胸の尖りを摘み上げた。途端に長谷部の口から嬌声が漏れる。先端を押し潰し、付け根をなぞり、軽く引っ張る。日々弄られ続けた部位はどんな小さな性感をも拾った。
 ぞくぞく、と全身に甘い痺れが行き渡る。身悶える長谷部の内腿が忙しなく摺り合わされた。燭台切の手が下がり、腹から腰を通って下腹部に触れる。布越しといえども待ち望んでいた箇所を嬲られ、長谷部は思わず身体を折った。逃げる背を追い、燭台切は後ろから長谷部を抱え込む。その間も勃ち上がりだした熱を弄うのは止めない。皮の手袋が次第に粘度の高い水音を立てるようになった。
 抱いた身体が小刻みに震え、男の目が恍惚に眇められる。間近に聞こえる濡れた吐息も燭台切を煽り立てるのに一役買った。
 手袋を外して、とろとろと零れる先走りを掬い上げる。それらが未だ開かれていない後孔に塗りたくられた。ひ、と短く悲鳴が上がる。窄まりの周辺をなぞられただけでも、慣れた身体が腹を埋められる快感を思い起こすには十分だった。潤いが足りていないにも関わらず、男の指を奥に導こうと腰が勝手に揺れ出す。それを見た燭台切が、えっち、と過敏な身体を揶揄する言葉を発した。そうした発言が長谷部を一層滾らせるのだと、黒い太刀は重々承知している。
 予想に違わず、腸壁は内に在る指をより強く締めつけた。抜き差ししては前から垂れる雄汁を後ろに運ぶ。指が動くごとにずちゅり、と淫猥な音が長谷部の耳を犯した。

「あ、ああゆび、や、そのままされたら、まえ、出さずにいく……!」
「じゃあ後ろ弄るの止める?」
「やだ、そっちやめるのやだあ」
「もう、我が儘さんだなあ」

 呆れたような口調は上っ面だけのものである。燭台切は心底愛おしげに片割れを見つめ、性器を擦り上げる速さを増した。
 長谷部の吐く息が見る間に荒くなる。裏筋を執拗に責められ長谷部が射精の予感を覚えたときに、内を広げる指がさらに足された。圧迫された前立腺が強い快楽を伝える。過ぎた刺激に泣きながら長谷部は絶頂を迎えた。
 数日の間、自慰も叶わなかった男性器から勢いよく精液が飛び出す。敷き布や乱れた寝衣を汚したそれは拭われて、そのまま燭台切の口中に収められた。

「な、なんで舐める」
「だってこれ慣らすのに使ったら、また気持ち悪くなっちゃうだろう」
「ティッシュでぬぐって捨てればいいだろうが……」
「やだよ、勿体ない」

 禁欲的な言動が目立つ二振り目だが、いざ事に及ぶと存外我を押し通すことが多い。長谷部の、潤滑油は別に有るから尻は舐めるな、という文句もほとんど聞き入れられた覚えは無かった。
 今晩も長谷部の嘆願は無視され、燭台切の舌先が熱心に内側を解している。いやだいやだ、とぐずる長谷部だが身体は男の愛撫を貪欲に求め続けた。一度吐精した性器がまた鎌首をもたげる頃には、もう燭台切の雄を埋められることしか長谷部の頭には無かった。

「ふふ、長谷部くん、顔とろとろでかわいい」
「あ、はあ、もうやだ、はやくしてくれ」
「あはは、本当にえっちだなあ。いいよ、僕ももう限界」

 脈打つ男根が様々な体液に濡れた孔に添えられる。期待感に長谷部が悶えたのも束の間、一気に腹の奥まで満たされて目の前が白く明滅した。
「あぁあああ! あっはあ、ああッ……! はぁっ……! あ……あああ……」
「っ、長谷部くんの中すっごいきゅんきゅんしてる……出してないけど、イっちゃったかな」
「いった、いったからいま、うごく……なぁ! あっあっあああ……! やだ、いまだめ、ほんとむりぃ……!」
 暴れる長谷部の手首を燭台切が捉え、押さえつける。
 禁欲生活を強いられたのは長谷部だけではなかった。一振り目との鍛錬も募る性欲を完全に発散することはできず、長谷部は長谷部で夜ごと悩ましげな声を漏らす。さらに出陣も見送られている最中、昼間にあのような大立ち回りを繰り広げて刀としての本能を喚起された。戦闘の高揚感はなおも二振り目の中で燻っている。欲望に任せて肉壁を穿つ姿は、敵の臓腑を突く様子にも似ていた。

「減った分の神気、ちゃんと戻しておかないと、ねっ……!」

 ぐ、と限界まで腰を押しつけた燭台切が内に精を放つ。先に長谷部が零した以上の神気が奥に注がれた。息も絶え絶えの長谷部は、それでも何とか己に覆い被さる情人を睨み付けた。

「ば、か……この量じゃ、さいしょより多くなってる……」
「そうかなあ」
「そう、だ。ちゃんと、責任とって、かきだせよ」
「掻き出さなくても、増えた分だけ長谷部くんがまた出せば問題無いよね」
「なんだと」
「五日ぶりぐらいだもんね。いっぱい気持ち良くしてあげるよ、長谷部くん」

 長谷部の顔が瞬時に蒼白となる。制止の声は、再開された律動ですぐに打ち消された。

 

 

「不思議だな」
 長谷部の呟きに作業していた燭台切の手が止まる。不思議な心地になったのは、寧ろ振り返った黒い太刀の方だった。納められた刀の柄頭を撫でる、長谷部の手つきは妙に優しい。男が覚えたのは羨望でも嫉妬でもなく、妙なむず痒さである。誇らしいような、恥ずかしいような自身の複雑な感情を燭台切は持て余していた。

「さほどこの部屋を利用したことが有るわけではないのに、懐かしいと感じる」
 理由は問うまでもない。燭台切も敢えて口にしようとはしなかった。人形の長谷部が感じている郷愁は、その身に溶けた刀が訴えるものだろう。
 二振り目の燭台切も、錬結を幾度となく体験してきた。それでも長谷部のように自分のものでない心情が芽生えた試しは無い。刀にとって錬結は強度を増すための行為だが、土塊の長谷部が鋼を取り込むのは、その身を維持する目的も有る。他の男士より錬結した刀の影響を強く受けるのも道理だろう。幾月かの日をこの資材部屋で過ごした鋼の記憶は、今もなお長谷部の内に受け継がれていた。

「やはり俺の見立ては間違ってなかったな。お前の仲間は光忠と同じで、どいつも強く、優しく、穏やかだった」
「……ありがとう、長谷部くん。僕も、そう思うよ」

 資材となる刀たちは多かれ少なかれ無念を抱えてはいるが、その意識は曖昧で、刀解や錬結を拒むことは無い。過去に二振り目の燭台切もそうしたように、彼らは例外なくその身の定めを受け入れていた。
 ただ彼らは顕現したての頃、ほんの僅かな時間でも肉体を手にしたことが有る。人の器とは面倒なもので、切れ味だけを求めて生きることはできない。己の足で地に立ち、己の目で天を仰ぎ、己の手で刀を握る。その感覚は鋼の身に戻ったとしても、痛烈な印象を以て彼らの中に刻まれたことだろう。目まぐるしく生じる様々な感情は、決して喜ばしいものばかりではない。しかし彼らには、悋気や憎悪を恥と思う精神が根付いていた。今回の件は、それらを切り離し、見て見ぬふりをできる高潔さが災いしたと言える。
 いかに僅かでも積もり積もれば山となる。刀たちが刀であるために捨てた心は、年月が経つにつれ陰かに独立し別個の意志を持つようになった。資材が増えれば増えるほど、悪意の塊もまた膨れ上がっていく。本体が錬結や刀解されても、それらは消えることが無かったから成長は止まることが無かった。

「俺があの日錬結されたのは、燭台切光忠だった」
「え」
「安心してくれ。戦場での一件はその光忠がやったことではない。あのへし切長谷部も、燭台切光忠とは憎からぬ仲だったのだろう。渡されたときにへし切と同じ神気を感じたからな。はは、やはり俺という刀は好いた男に先立たれるとどうも湿っぽくなるらしい。頼むから、俺より早く折れてくれるなよ光忠」
「随分とぶっとい釘を刺してきたねえ」

 燭台切が長谷部の手を取る。相手の掌を自身の胸に当てさせ、黒い太刀は破顔した。

「君のために生きようと思った命だ。長谷部くんが望むなら、僕はどんな無様を晒そうと必ず君の下へ帰る。そのときは格好悪い僕でも見て笑ってやってくれよ」
「そいつは楽しみだ。朝に数時間掛けてセットしてるその髪、めちゃめちゃに乱してやる」
「その言葉を聞いて、ますます重傷撤退するわけには行かなくなったね」
「当然だ、お前は戦帰りの昂奮を引き摺ったまま獣のように俺を抱く使命を課せられているんだからな」
「それは初耳だなあ」
「何だ、嫌なのか」
「まさか最高だよ。でも僕はできる限り君を優しく抱きたいんだけどね」

 燭台切の言葉に長谷部がくつくつ、と忍び笑いを漏らす。踵を離し、男の耳元に寄せた唇が「この嘘つき」と、片割れの言い分を否定した。長谷部の袖の下には、今もくっきりと手の痕が残されている。

 

 

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