開かずの間にて - 4/6

 

「燭台切が格好良すぎて辛い」
 乱暴に置かれたぐい呑みから飛沫が舞う。礼儀作法にうるさい刀らしからぬ所行だが、それを難じる声は上がらない。宗三左文字は旧知の不躾より寧ろ、これから始まるだろう話題に辟易としていた。

「一体何度目ですか、その話」
「何度だってする。格好いい辛い」
 傾国の娟容から重苦しい溜息が漏れる。こうなってしまっては宗三の手には負えない。後はひたすら聞き流し、杯の中身を空けるのに集中すべきだろう。旧知からのぞんざいな扱いにも構わず、長谷部の惚気は続いた。
「遠くからみてるだけでも眩しい、目がつぶれる、全身真っ黒のくせに歩く直射日光だぞ迷惑な」
 とんだ言いがかりである。宗三は内心燭台切に同情した。

「そんなに好きなら、さっさと告白してさっさと抱かれてきたらどうです」
「あんな色男が下げ渡された刀なんぞ相手にするものか」
「毎度毎度貴方の辛気くさい話を聞かされるこっちの身にもなって下さいよ。告白しないならせめて愚痴は壁に向かってこぼしなさい」
「壁が薄すぎて隣にだだ漏れる」
 ああ言えばこう言う。何だかんだ付き合いの良い宗三は、悩める同僚の相談につい乗ってしまったことを早くも後悔し始めていた。

「声に出して駄目なら文字に起こしたらどうなんです」
「文字」
「日記にでも書いて発散すれば貴方の酒癖も多少はマシになるでしょう。ああ我ながら妙案です。今日からでも始めなさい、いいですね?」
 うん、と幼子のように頷く長谷部だが、その様子から言って翌朝にはこのやり取りも忘却の彼方だろう。宗三は躊躇いなく油性ペンを手に取り、酔っ払いの掌に「日記」と書き付けた。

「これでよし、貴方に限って心配はしてませんが三日坊主は避けるように」
「がんばゆ」
「幼女アピール止めて下さい」

 それから一時間もしないうちに、長谷部は酒瓶を抱えて夢の世界の住人となってしまった。本日の会場は居間である。誰がこの酔っ払いを部屋まで運ぶと言うのか、そこまで世話を焼くつもりはない宗三は他人事のように考えていた。

「あれ、二振りともまだ起きてたの」
 黒い太刀がひょっこりと顔を出す。狙い澄ましたかのようなタイミングである。思わず出待ちを疑う宗三だったが、男の肩にはタオルが掛けられていた。湯上がりに水でも飲みに来たのだろう。いっそ会話を聞かれていれば話は早いのに、という宗三の期待は此度も叶わなかった。

「ちょうど良かった。この酔っ払いを部屋まで運んで頂けませんか」
「構わないよ。ほら行こうか長谷部くん」
 二つ返事で引き受けた燭台切は長谷部を軽々と横抱きにし、居間を後にした。
 同性相手に平然とあの振る舞いをしてのけるのは伊達男故か。それとも燭台切も長谷部を好ましく思っての行動なのか。いずれにせよ、イチャつくなら己の視界の外でやってほしい。
 足音が遠ざかり、聞こえなくなったところで宗三も立ち上がる。

(送り狼になってたら明日は薬研に言って赤飯ですね)
 廊下はしんと静まっている。今宵も二振りの仲は変わらず仕舞いだったようだ。

 長谷部が夜ごと筆を執るようになって一月、冬の厳しさも峠を越えて少し和らぎつつあった。春の到来を待ち望む刀は多い。長谷部もまた桜の季節に焦がれる者の一人である。その心は燭台切と花見の約束を交わしたことが大きい。
 周囲から見ればほとんど恋仲に見える二振りだが、未だ互いの胸中を明かしたことは無かった。その関係は一月ほど続き、彼らが人目を忍んで睦言を囁くようになったのは、桜の咲く少し前のことだった。

 へし切長谷部という刀は素より色恋沙汰に疎い。その男が長らく片恋を拗らせてきたものだから、いざ恋仲となっても熱を持った触れ合いには慣れる気配が無かった。手を繋ぐだけでも緊張で脂汗が滲み、甘い言葉を掛けられれば腰が抜ける。その初々しさを燭台切は生温かく、だが辛抱強く見守り続けた。

 ある日、燭台切が中傷を負って帰還した。半日にも及ぶ手入れの間、長谷部は男の傍から離れなかった。腫れぼったい瞼を燭台切の人差し指がなぞる。心配かけてごめんね、と謝る男の頬に二、三の水滴が落ちた。

「それ以上泣いたら干からびちゃうよ」
「さびることはあっても、ひからびるものか」
「はは、もののたとえだよ」
 腕を引かれ、長谷部は燭台切の上に倒れ込んだ。鼻先が触れ合うほどに距離が近づく。頬を伝う涙は舐め取られ、目尻に溜まった水は吸われ、最後に唇が重ねられる。

「長谷部くんがおいしい」
「俺は食べ物じゃないぞ」
「いつか僕に食べられるのに?」
 腰に添えられていた右手がつつ、と長谷部の背を撫で上げた。意味ありげな手つきに長谷部の肩が大げさに震える。

「全部美味しく頂ける日を、僕はずっと待ってるよ」
 あ、う、と呻き声にも似た響きだけが長谷部の咽喉から絞り出される。その日以来、二振りの睦み合いは肌を晒すことが増えていった。

 舌を絡め、互いの性器を刺激し、一つの布団に収まる。身体を繋げてこそいないが、二振りは当然のように共寝する間柄となった。陰茎を擦られながら、時折奥まった場所も同時に弄り回され、長谷部はその先の行為についても着実に慣らされていった。

 ぐじゅり、と水気を含んだ音が長谷部の聴覚を犯す。それが自らの恥部から発せられていると思えば、尚更情けない気持ちになった。羞恥に涙する長谷部の口を燭台切が塞ぐ。

 だいじょうぶ、こわくないよ、がまんしなくていいからね、はせべくんがきもちいいとぼくもうれしいんだ。

 長谷部を追い詰めるのも燭台切なら、長谷部を落ち着かせるのも燭台切の役目だった。この刀が喜んでくれるのなら。その一心で長谷部は身体を拓かれる恐怖にも耐え抜いた。
 肉襞が往復する男の指にちゅうと吸いつく。受け入れる悦びを知った内側は、異物感より寧ろ喪失感に怯えるようになっていた。二本から三本と、指の数を増しても長谷部の声には色が混じっている。暗闇に浮かぶ黄金色が三日月の形に歪んだ。愛撫もそこそこに放置されていた長谷部の性器に燭台切の指が絡みつく。それから長谷部が上り詰めるまでは、あっと言う間だった。

「早く君の中に入りたいなあ」
 言いながら、燭台切が滾った欲望を長谷部の腿に滑らせる。男が腰を振るたび、顔を出すものの逞しさに長谷部は一人喉を鳴らした。
 きっとこの刀に全て食べられてしまう夜も近い。吐精し、脱力する身体を褥に預けて長谷部は来るべき日を思った。

 燭台切が折れたのはその翌日のことである。原因は帰還装置の誤作動らしく、燭台切だけが延亭年間の江戸城に取り残された。本丸からも働きかけてみたが、やはり装置は彼の刀を認識しようとしない。

 後日、回復した五振りと共に長谷部は江戸城下に赴いた。ストラを靡かせ、立ち塞がる遡行軍を鬼気迫る形相で倒していく。全身を染める赤銅色がもはや己のものか仇のものかも判らない。陰影を濃くする人の身に反して、斜陽を照り返す刀は黄昏時にあってよく輝く。それは断片でも同じことが言えた。

「見つけた」

 それまで足早に先を急いでいた長谷部の歩みが止まる。しゃがみこんだ先の地面には金属片が散乱していた。それら一つ一つを、長谷部は丁寧に拾い上げていく。嘗て付喪神を宿していた刀のなれの果てを集め、長谷部は撤退の指示を出した。

 持ち帰った破片を桐箱の中に収め、形を整える。ところどころが欠けてしまったそれは、随分と不格好に映った。あれからすれば大変に不本意な姿だろうが、こればかりは致し方ない。
 長谷部は男に詫びつつ、刀の入った箱を和箪笥の上に載せた。室内をぐるりと見渡す。机と寝具、収納の他には物らしい物も無い殺風景な部屋だと長谷部は改めて実感した。

 それでもここは二振りで仲睦まじく過ごした、思い出の場所である。寝起きすれば嫌でも男の幻影を見てしまうに違いない。長谷部はこの部屋に全てを遺し、全てを忘れることにした。
 最後に彼の刀への想いを綴った日記を文机に置く。戸を閉め、石切丸に教わった通りに印を切った。もはや長谷部以外の誰にもこの部屋を開けることは叶わない。

 同じ刀剣男士を同じ時代に送ることは不可能である。その理由について政府は「転送装置は今なお開発段階にあり、誤作動に繋がりかねない要素は極力排除している」と説明した。
 なるほど、時を越えるなどという大それた機能を持っていても所詮は人の子が産物である。被造物が創造主を越えることは有り得ず、創造主は己より優れた作品を生み出すことはできない。審神者の力がいかに強大であろうと、それが必ずしも男士たちの安全を保障することに繋がるわけではなかった。

 審神者は先日の帰還トラブルについて、当然機械の故障を疑った。それに対する政府からの応答は否である。青年は腑に落ちぬとばかりに腕を組み、眉間に皺を寄せた。
 近侍の長谷部から部屋を移りたいと相談を受けたのは、そんな頃合いだった。審神者は驚きこそしたが、長谷部の願いを撥ね付けるような真似はしなかった。
 長谷部と燭台切との関係を知らぬ主ではない。数日の間に随分と窶れて見えるようになった近侍の肩を叩き、その嘆願を快諾してやった。厳重に封印された部屋の前を通れば、彼の刀剣の悲しみがいかほどのものか思い知らされる。

 やれやれ、開かずの間が二つになってしまったか、と審神者は一人ごちた。

 その独白に審神者は自ら雷を打たれたような心地になる。急ぎ廊下を取って返して、近侍の下へ走った。慌てた様子の主に長谷部も目を丸くしたが、とにかく来いと促されれば従わぬわけにはいかない。連れて来られた先は、長谷部が顕現する前から存在した「開かずの間」だった。
 審神者すらも概要を知らず、渾身の力を籠めようが、その襖はありとあらゆる人物を拒み続けた。それがどうしたことか、長谷部が触れた途端に何の抵抗もなく横にずれて薄暗い室内をさらけ出した。呆然とする長谷部を尻目に審神者は中に入り、目的の物を血眼になって探し始める。遅れて長谷部もその意図を理解するに至った。

 考えるまでもない。部屋の間取りは、先日まで己が過ごした部屋と相違なかった。
 長谷部は迷わず箪笥の上に置かれた桐箱を手に取る。封を解かれた箱の中には、破片を無理矢理に繋いだ刀が一振り横たわっていた。