開かずの間にて - 6/6

 

 気怠さを覚えた長谷部が目を覚ます。隣には誰もおらず、慌てて飛び起きようとしたところで酷い鈍痛に苛まれた。全身が痛い、主に尻が痛い。呻き布団に突っ伏す長谷部をふと黒い影が覆った。

「おはよう長谷部くん、身体は大丈夫?」
「大丈夫そうに見えるか」
「わあ声もがらがらだ」

 燭台切に渡された水を長谷部は一気に飲み干す。グラスを空けてようやく、長谷部は部屋を見渡す余裕に恵まれた。文机には全ての始まりである日記が置かれている。
「何でまた、そんなものを」
「ちょっと未来、いやこの場合は過去になるのかな。まあ自分自身への助言みたいものをね」
「助言?」

 言われて長谷部は開かれた頁を覗き込む。男が折れたのを嘆く記述の後に、記憶に無い一文が付け足されていた。
「左腕を遺して逝け、忘れるな」
 長谷部の視線が燭台切の左腕に向かう。鶴丸から形見と言って渡されたものは単なる鋼でしかなかったが、もしや。その疑惑を肯定するように燭台切が微笑んだ。

「これに関しては上から塗り潰させてもらったから、君は知らなかったんだろうね」
「お前、本当に最初から折れる気満々だったんだな」
「あはは、そりゃあ帰ってくるとは約束したけど、折れないとは一言も言わなかっただろう」
 悪戯が成功した子供もかくや、といった会心の表情である。青筋を立てた長谷部が伊達男自慢の髪をぐしゃぐしゃに掻き回したのは言うまでもない。

 あの日、燭台切のみが帰還できなかった理由は明確である。既に同一固体の男士が本丸に存在していた。機械の認識としては燭台切は既に本丸に戻ってきているのだから、そもそも装置を作動する必要が無いのである。
 それまでの出陣で同じ事態が生じなかったのは、開かずの間に封じられた燭台切自身の意志が関係している。たとえ一度は長谷部を悲しませることになろうとも、あの日燭台切光忠は折れなければならなかった。破片となって帰って初めて、男は歴史と愛しい刀を守ることができるのである。

 ――と、理屈では理解できても感情はそう簡単に割り切れるものではない。説明された後も長谷部はふて腐れ、燭台切に背を向けたままだった。

「長谷部くん、そろそろ機嫌直してくれないかなあ」
「知らん、燭台切光忠なんて刀俺は知らん」
「いっぱい抱きしめてあげるから、ねえ」
「知ら、うー知らな……」
 後ろから抱かれ、早くも意志が揺らぐ長谷部を前に燭台切は思う。

 ――長谷部くんこんなにチョロくて大丈夫なの、僕がついてないと心配で仕方ないよ本当。

 そう懸念する燭台切だが、実のところその不安は杞憂に過ぎない。
 辿る道筋が多少異なろうと、燭台切は長谷部を放っておけず、長谷部は燭台切の生き様に惚れ込んでしまう。冗談みたいな話だが、この本丸にいつの日も「開かずの間」が有ったのがその証左である。
 宗三に言わせれば呪いも同然の繋がりだが、少なくとも二振りは今日も幸せに時を過ごしている。

 

 

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