段ボール本丸 / 五 [ 紫苑の灯 ] - 2/2

 

 

 少し勿体ない気もするな。いや、やはりお前はそちらの方が似合ってるんだがな。俺色に染まった燭台切も悪くなかった、という独り言だ。流してくれ。……流せと言っただろうが。お前まで記憶を無くされても困る。
 何にせよ、これで燭台切光忠の修行も恙なく進められそうだ。ん? あの二振りへの干渉が過ぎるんじゃないかって? 俺たちと直接繋がりの有る本丸の方が何かと都合が良いだろうが。お前も、長谷部くんとの出会いを思い出せない分霊がいるのは可哀想だって言っていただろう。

 記憶の再現に不備が見られたのは、無理矢理に審神者との縁を作ったことが原因かもしれないしな。いわばこれは後処理だ。
 特定の本丸に入れ込むのは危険だというのは解る。それを承知でもう一つ、頼みごとが有るんだが……そんな顔するな。いいから話くらい聞いてくれ。

 どうだ、お前こういうタイプの大団円は嫌いじゃないだろう? 万が一が起きたら? いや、あの青年にそんな度胸が有るか? すまん冗談だ。彼だって己の立場くらい弁えて……は? もしものときは娘もこちら側に引き込め、だって?

 は、はは。散々こちらに忠告しておいて、お前もとんでもない提案してくるな? 良いだろう、乗ってやる。なに、いざとなれば俺とお前とで政府を相手に大立ち回りといこうじゃないか。

 お望みとあらばどこまでも。そう、地獄までお供して差し上げますよ、旦那様。

 

 

□□□

 

「あの」

 声を掛けられ、はっとなり繋いでいた手を離す。人気ひとけが無くて油断していたが、他にも来館者はいる可能性をすっかり失念していた。

「はい、どうされました」
 人好きのする笑顔を浮かべ、すかさず光忠が呼び止めた女性に応じた。当然だが見知った顔ではない。落とし物でもしたか、或いは片割れの顔面偏差値を考えると噂の逆ナンというやつかもしれない。なるほど、美丈夫を伴侶を持つとそれなりに苦労させられるようだ。今後、外出時にはマスクにサングラスを義務づけよう。

「突然、妙なことを訊いてくると思われるかもしれませんが……■■という名前の施設をご存じありませんか?」
 問われて、光忠と顔を見合わせる。聞き覚えが有るような気がするが、そもそも明治以降の時代を訪うのは稀のため、建物の名などろくに記憶していなかった。

「えっと、じゃあ□□という方は知り合いにいませんか?」
 二つ目の問いには、俺も光忠も揃って耳を疑った。彼女が挙げた人名は、平成で幾度も出会った少年、主の生前の名前だったからである。

 

×××

 

「主、主! 次はあっちの店に行ってもいいか!?」
「大倶利伽羅とはぐれなきゃええよ」
「どうして俺があいつの世話を」
「これ主命やから。俺はここでのんびり日光浴してっから頼むよ。はいお駄賃」
 五百円玉硬貨を一枚託して褐色と白い刀を送り出す。護衛という意識が無い鶴丸某くんは、我が本丸の懐具合など知ったことではないとばかりに、令和の街並みに興奮しきりである。燭台切の助言通り大倶利伽羅を付けておいて良かった。

 現代社会は日進月歩を地で行っており、六年も過ぎれば何もかもが様変わりするらしい。資料で概要を知るのと、実際に見るのとでは受ける印象も全く異なる。
 さて仮にも審神者である俺が、令和などという時代に飛んだのには理由が有る。
 事の発端は、我が本丸の双璧が新婚旅行と称して水戸に遊びに出かけたことだった。主の俺を差し置いて何でこいつら結婚してんの? という嘆きも虚しく、二振りは有給を存分に堪能してきたようだ。それはもう肌艶が物語っていた。これだけでもリア充爆発案件なのだが、奴らが土産と共に寄越した提案がさらに狂っていた。

「久々の水戸は良いところだったよ! 主も休暇がてら行ってきなよ!」
「ええ。ご不在の間はこの長谷部に全てお任せ下さい」

 そりゃあ新婚夫婦で旅行すれば、県内の寂れた遊園地でも盛り上がるだろうよ。パートナーがいる前提で童貞に遠征勧めてくんの止めようね?

「令和になると段ボールハウスも芸術として認知度が高くなっていて、水戸駅でもワークショップが開催されてたんだけど」
「それを早く言えよ」

 イベントの日付を聞き出し、こうして俺は令和二年の水戸へとはるばる出向いたのである。
 結論から言おう。いたいけな俺は、あのふたりの口車にまんまと乗せられた。調べてみたが、件のワークショップが開かれる予定なんて全く無いらしい。
 喜んでいるのは、令和の文化に興味津々な護衛役その一くらいのものだった。

「くそ、あいつら一週間くらいシフトが被らないよう調整してやる」
 穏やかな新婚生活を阻むべく、灰色の脳細胞がフル稼働する。真昼間から駅前のベンチにもたれて励むことではなかった。久々に人の身体で見る太陽が眩しい。

 中核市とはいえ、平日の人通りはさすがに疎らだった。道を行くのは春休み中の学生か営業と思しきリーマン、後は観光客といったところだろうか。たまに二十代くらいの女を見かけると、嫌でも死に別れた身内を想起してしまう。

 ああやだやだ、未練たらしい。あいつもいい年だ。彼氏どころか結婚してたっておかしくない。死人に口なし。今さら俺があいつにできることは何も無いのだから、せいぜい兄貴らしく妹の幸せでも祈ってやるべきだろう。

 風が吹く。どこからか白い花弁が舞い上がった。見るものもなく、ぼんやり梅の断片を目で追う。通行人の影に落ちた白は、またもや風に煽られ宙を泳いだ。その行方に興味が失せたのは飽きが原因ではない。過ぎ去る影の背後に落ちた荷物の方が、余程俺の関心を惹いたためだった。

「なあ、これ落としたぜ」
 半透明の小さなプラスチックケースを拾い、前を行く女性を呼び止める。図らずも見えたケースの中身は、絆創膏だった。

「ありがとうございます」
 折角拾ったケースが再び地へと還る。
 馬鹿な、こんな偶然有り得るはずがない。狼狽する俺とは裏腹に、振り返った女は平然としている。ケースの持ち主は自ら腰を屈め、一番底に入っていた絆創膏を取り出した。

「久しぶり、お兄ちゃん」

 ――もう怪我は大丈夫?
 小さな紙片の裏側に書かれていた文句を見せつけられ、俺は全てが仕組まれていたことにやっと気付いた。

「おま、おまえなんで」
「そうだねえ。強いて言うなら、神様のお導きかな」

 六年ぶりに再会した妹はあっけらかんと言い放つ。どうあがいても電波な発言にしか聞こえないのに、否定できないのは俺もその神様に嵌められた一人だからだ。

 ああ、更正したての俺よ。悪いことは言わないから、初恋の女の子相手に、俺は神様に救われたんだ、なんて夢物語を話すんじゃない。そのツケはまるまる死後に回ってくるぞ。

「お前、その神様、絶対に疫病神だからな。手を切るなら今のうちだぞ」
「そんなことないよ。だって、私にとっては縁結びの神様だったから」

 衝撃の告白に打ちのめされ、天を仰ぐ。霞が棚引く曖昧な空模様を縫って、春の優しい日差しが地上に降り注いでいた。

 

 

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